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ウクライナ紛争にCIAが関与していた⁈世界で暗躍するCIA②

前回のnoteの続きです。
戦後アメリカは、イラン、チリにも関与し、市民を操作したのです。



イラン🇮🇷の場合

きっかけは1951年イランのモサデク首相が、イギリスが長年持っていた石油利権を国有化したことでした。
CIAはモサデク政権を転覆させるため、エイジャックス作戦を開始しました。

100万ドルをばらまいてギャングや宗教関係者を買収。
反モサデクデモを煽動し、暴動や破壊活動を工作します。

1953年モサデク首相は襲撃され逮捕裁判にかけられます。
その後イランの石油は英米の石油会社8社が共同開発することになりました。
アメリカは石油利権の4割を手に入れました。そしてイランは国王が権力の座に復帰し、中東随一の親米国家に当時はなったのです。



南米チリ🇨🇱の場合

1970年南米のチリでアジェンデ政権が誕生しました。
それは世界で初の民主的選挙で選ばれた社会主義政権でした。
富の再分配を公約に掲げるアジェンデ政権は銅鉱山を完全国有化し多くの民間企業も国有化しました。
その9年前にキューバに社会主義政権が誕生していることもあり、アメリカは危機感を深め、CIAにアジェンデ政権打倒を指示します。

メディアを操作し、経済的圧力をかけ物不足やインフレに追い込みますが、アジェンデ支持がなお根強いので暴力的な手段に訴えます。

1973年9月陸軍総司令官ピノチェト将軍による軍事クーデターが勃発。
アジェンデ大統領は死亡。
大統領を支持する市民や活動家は逮捕処刑されました。
アメリカは人権弾圧で世界中から非難されていたピノチェト政権を支持。というかこの軍事クーデターをアメリカが支援していたのです。

ピノチェト政権は自由貿易、民営化、規制緩和を軸とした新自由主義経済政策をしました。
新自由主義は当時世界に先駆けての採用でした。
ピノチェト政権下のエリート達はアメリカのシカゴで学んだと言われています。
チリには外国資本が大量に流れ込みました。新自由主義なので、もちろん市民の経済格差も広がったのです。


そのとき、ニューヨーク・タイムズがCIAのチリでの秘密工作や国内の盗聴についての暴露記事を掲載します。
これをきっかけに初めてCIAの活動が議会で調査され、拷問や外国の要人暗殺など秘密工作の内容などが国民の知るところとなりました。
その後はCIA監視委員会が設置され、活動内容についての報告義務が課されるようになりました。


その後の世界🌎

イランは1979年にイスラム革命。以来強硬な反米国家となりました。
アメリカはイランの石油ビジネスをすべて失いました。


チリでは1990年にピノチェト辞任。
2022年アジェンデ大統領に敬意を払うボリッチ大統領が誕生しました。
行きすぎた新自由主義を是正し、社会保障の拡充を政策に掲げています。
就任演説でアジェンデの最後の言葉「自由に人々が歩く大きな道」を引用。
2023年の国連総会で50年前のCIAの秘密工作を非難しました。

CIAが今情報活動を活発化させているのはなんとロシアです。
SNS上でスパイ勧誘動画を公開しています。





いつものことですが、自国に都合の悪い文書でも広く公開するアメリカの民主主義のレベルの高さには感心します。
情報公開によりCIAの活動が明らかになりました。

特にハンガリー動乱でアメリカがとった態度は現在のウクライナへの態度と似ています。
アメリカはウクライナに対しても支援するから戦うようにと戦いを煽ったにもかかわらず、結局は支援をやめようとしています。
もし、ウクライナへのCIAの関与が事実ならアメリカはまた嘘つきであると言われることでしょう。



執筆者、ゆこりん

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