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パリからロンドンと北フランス「冬の旅」想い出記 〜久しぶりに D500 バッテリー充電と動作確認〜

https://www.nikon-image.com/products/slr/lineup/d500/

一眼レフって今これしか持ってないけど、一年ぶりに取り出してもまだ電池残ってるってすごい・・・

純正 DX レンズも色々買って D5200 と D7100 / D7200 で使ってみたけど、この 16-80mm F2.8-4 キットレンズと D500 用に純正望遠ズーム FX レンズを1つ買ったところで、ミラーレス方式の Z システムへの移行が始まった。

D500 はパリ同時多発テロ1ヶ月後に少しパリの美術館巡りと近場の観光地巡りに連れて行ったきり。

だから Nikon 一眼レフに関しては、フラッグシップ機も大三元純正レンズも、全く買えもしなければ試す機会すらもなかった。

防塵防滴ではない代わりにお買い得な 80-400mm も、まだ Nikkor 現役ラインナップに名を連ねる F マウント純正レンズであるにも関わらず、未だに実戦投入すらできていないのだった。

これ内部にカビとか生えてなきゃいいけど・・・

ただし

カメラやレンズはお金を貯めたらいつかは買える

でもどこへ行って何を撮ってどう表現するかは自分次第

だから自分自身にも投資して、色々見聞きして感じて考えて、時間をかけて咀嚼して消化吸収して、それをどうにかして表現して、誰かに伝える経験を積まないと・・・

以下は D500 にキットレンズの組み合わせで、十数年前にフランスへ旅した時の記録。

シベリア上空から愛を込めて(違
ジェットストリーム越しに凍てつくタイガを見下ろして
フランス航空御用達のシャルル・ド・ゴール空港、第3ターミナルと RER 駅にも近いヒルトンにて
RER でパリ北駅へ、ユーロスターのホームまで移動
ユーロスター車両が新旧そろい踏み、奥に見えるのはタリス
やがて音もなく滑り出し加速してゆく、村の中心には小さな教会の尖塔が見えた
キングス・クロス駅と隣り合わせのサン・パンクラス駅にて
虫だらけの先頭車両・・・駅員に早く出ろと怒られる
生ロンドン・バス見れた!
大英博物館とうちゃこ〜♪
これが噂のロゼッタ・ストーンか
美的センスを感じさせる古代ギリシャの壺、でも旧統一教会の壺は要らない
約5,000年前メソポタミアのウル王朝で王妃お気に入りだった未成年の奴隷の末路、竪穴へ投げ入れられ頭蓋骨とヘルメットが一体になって化石化
夜遅くにパリへ戻りヘトヘト、モンパルナスのメルキュールへ
やっと部屋にチェックインして窓を開けたら、クラゲみたいに怪しく光るモンパルナス・タワー
何とカメラの充電器を忘れてきたことにショックを受け、Nikon の代理店ググって調べて凸して彷徨うパリ市内の地下鉄駅にて
充電器は中華製の汎用充電器を調達できたので、サン・ラザール駅近くのブラッスリーにて腹ごしらえ
三位一体教会は修復工事中
丁寧な仕事で魂が込められていた
オペラ座近くのアップルストア店内にて
市街地を流すチューチュートレイン(違
国立図書館リシュリュー館の近くには国立古文書図書館があった、過去も現在も未来も書物を通じてフランスはずっと繋がっているのだ
国立図書館はリシュリュー館の大図書室、ここで学校の真ん中に図書室があることの意義を、この歳になって深く深く考えさせられる、我思う故に我あり
パレ・ロワイヤルの中庭から午後3時過ぎの空を見上げて・・・緯度が高いヨーロッパは冬になると夜が早いし、この日も朝8:30を回ってもまだ暗かった・・・だから冬休みに土地勘のない旅先でレンタカー借りて遠くへ行くのは難しい
遊歩道へ降りて、橋の下からセーヌ川
河岸では古本市が開かれていた
品揃えを見れば、店主が本好きかどうか、すぐにバレてしまう
ポン・デ・ザールの上から
この日のゴールはノートルダム大聖堂、鳴り響く鐘の音を聞きながら・・・もし尖塔が焼け落ちると知っていたら、明るいうちに登っておけば良かったのに・・・しかし全ては一期一会で、やり直しは効かず武士に二言も二度もなし・・・今さら取り返しがつかない、あとの祭りだと思うお上りさん
テロ後まだ1ヶ月なので、次から次へと愛国心あおる雑魚どもが湧いて出る、お前らテロを口実に騒ぎたいだけやろ・・・
AFPBB News : フランスの抗議参加者が町長宅に突入
https://note.com/moofuu123/n/nb15bbb61ac1b
自国民がやらない事を移民難民に押し付けて、その一方で少子高齢化した自国民はそのまま・・・どんな国でも戦後の混乱と荒廃の中からもがき苦しみ立ち直る過程で起きることは同じ・・・だからこそ戦争は何も産み出さないことを忘れてはいけないし、そういう集団心理による馬鹿騒ぎで引き起こされる不都合な真実への戒めは、必ず教育によって子々孫々まで繰り返し伝えていかなければならない
朝の「おめざ」は搾りたての生オレンジ・ジュース飲み干して
シャトレ・ルアレ駅近くのデ・デュクス・ダンジュー地下のダイニングにて
パリ中心部のサン・ジャックの塔から東へ、街中にあった教会を見上げる
天井の鏡・・・テラスからサン・ジャックの塔が見える Le Pavé は、イル・ド・フランスの家庭料理が売りで仔牛の骨髄を固めた一皿が有名、混み始める前の時間はアットホームでお薦め
ル・アレの地下街にて、近くに無印良品あってワロタ
逆にシャトレ・ルアレ駅の西側は、ノボテル通り越してさらに進むと、夜は薄暗い一角にコンビニやコインランドリーがひっそり営業していた
翌日はルーブル美術館デビューw
あ、広場の、ピラミッドだ!
そのまま道路を渡って、デパ地下みたいな、カルーゼル・ゲートへ
入場したらまずリシュリュー翼からスタート
明るい吹き抜けにドーンと銅像どうぞ!
さすが実物は迫力あるな・・・でも今のベルギー辺りの小国4つが、「井の中の蛙、大海を知らず」で「コップの中の嵐」さながら・・・インスタ映えすごいすごいw
ディオゲネスとアレクサンダー大王(直属の護衛隊長)の巨大レリーフ
ここで一応実物のモナリザ拝んでおく
ナポレオンの戴冠どーん!
修復が終わったばかりのサモトラケのニケ
ミロのヴィーナスも大人気
照明の色がおかしい、スフィンクス色もの扱い
発見当初はまだ砕かれておらず、聖書の記述の裏付けとなる貴重な古代文明の生き証人だったのに、十字軍とアラブの不毛な争いによって、粉々に砕け散ってしまったメシャ碑文
これ日本にもありそうな土偶!?
学生時代から静物画が好きだ
ル・アレの FNAC にて、CD 売り場の片隅で見つけた・・・いつの時代の話やねん
シャトレ・ルアレ駅西側の下町の一角、でも個人商店で買う果物だもの、1個だけだといい顔はされない
元旦はヒマでベルサイユ宮殿ではなく庭園が無料開放なので見にゆく
あまりの寒さに鳩は首を引っ込めてしまう
牧神の角笛あそび
絵になるねぇ
ルイ14世の母になぞらえたアポロンの女神とカエルに変身させられた貴族たち・・・そんな女神様も今は無事に修復されて、ツルピカ美白パック済みらしい
庭園をどんどん歩いて大運河にて
タイタンが必死にもがく像は噴水のメンテのため水が抜かれてますます惨めな姿に
ああっ女神さまっ(違
小運河の端には誰もいなかった
順路から外れた薮の中に、いくつか周囲から壁を設けて囲った構造物があって、それらの入り口にあたる場所には、このような獣避けのトラップが掘ってあった、何じゃらほい?
おかげでスニーカーもジーンズの裾も泥まみれ、折からの雨で観光どころではなく・・・洗えども洗えども、我が衣服また汚れる、ぢっと手を見る(自分がいらんことするからでしょ
年が明けてまたルーブル美術館詣で、カルーゼル・ゲートに並ぶ頭上はまだまだクリスマス
ルーブルではこの絵も見たかった
誰一人として目も合わせない詐欺師ども
エジプトのコーナーではマストな書記坐像
古代ギリシャの壺ではなくお一人様用の土鍋!?
テラコッタのレリーフの欠片
「節のある尾を持つライオン」と名付けられた古代ペルシャの金属彫刻
マトリョーシカの元祖!?(←不謹慎
ミイラを収めていた木製の棺の彫刻
無表情を貫くこの男に、腕の中のライオンは懐いていたのか、それとも虐待されていたのか
墓を守る一対の有翼牛の石像たちも、無表情のまま黙して語らず
また静物画の前でしばし佇む
サモトラケのニケはこういう所に置くのが似合う
再び有名なヴィーナスどアップで
アテネの女神「こっちの方が信者が多いんじゃ、アチキの方がよっぽど有名だったんじゃけ!」
あゝ腹が減ったな、広場に面したビストロにて
ルーブルの次はオルセー
こういうの日本人は好きよね♪
カメラが無い時代の肖像画は大変だ・・・はいっ皆さん動かないで!なんつって
フォンテーヌの森は永久に不滅です!
この年には南京錠の重みでポン・デ・ザールの欄干が崩れ、その修復工事で欄干は新品に生まれ変わってスッキリ!
長い「はしけ」が橋の下へ潜って通り過ぎる
反対側から見ると首がないからビビる
マックス・エルンストが住んでいたマンション
滞在中は何回セーヌ川を渡ったことか
フォンテーヌの森は今では塀で囲われた庭園に
かつて造園技術の粋を集めて整えられた伝統的な庭園も、時の流れには逆らえず自然の植生の影響を受けて微妙なバランスの破綻を見せる
古い噴水が残る
フォンテーヌの森の外の街並み
翌日はモン・サン・ミシェルへ
これ全部石組みなんだよねぇ
温かいオレンジ色の照明が白塗りの壁に映える
外光がほんのり差し込む廊下は別の色調
城郭への入り口となる引き上げ戸を備えた門
モン・サン・ミシェルへ渡るシャトルバス専用のレーンを挟む遊歩道を両側に備えたプロムナード
へそ曲がりは横へそれて狭い階段を登りたくなる
午後遅くに陽が傾いてきて、白い石壁に美しい陰影を織りなす
干潮のうちに浅瀬を渡る巡礼シミュレーションのご一行様
フランス文化庁に寄贈された公用車おしゃれ♪
悠久の時の流れが砂を運んで河口から干潟へ続く
有名な中庭の回廊を備えたテラス
テラスに出ると見渡す限りの干潟
ツアー客に説明してるガイドさん、まるで神父さんの説教みたい
職人の手彫りによる複雑な造形の彫刻
中世はまだ文明が未発達、絵画における人体描写の技術も、医学における細菌学の知識も外科的な技術も、神頼みという意味では神話の世界と似たり寄ったり・・・当時の王侯貴族としても、一族郎党のみならず領民一人一人に至るまで、今の地方自治に相当する使命と責任を負っていたはず、だから宗教に求められるものも期待されるものも、今よりはるかに大きく重いものだったろう
狭い岩山の絶壁の上に建て込まれた、人と牛馬の力だけで作り上げられた、「驚異的な、奇跡の」モン・サン・ミシェル、その中に閉じ込められた空を見上げて
修道院の中へ荷物を運び上げる踏み車、さながら修道士たちはハムスター!?
中庭から尖塔を見上げる
有名なオムレツ屋、単品で6,000円、あほか・・・100年以上前と今では食材も調理法も全く異なる、だから自分たちで一から育てて調理器具も一から揃えるのだが、当然のようにそれらのコストは全て消費者に転嫁される
全てはまるで昔の出来事のよう、「おとぎ話」の世界の夢物語だったのだろうか
さて残党の方々、各々自力で帰られよw
その翌日はTGVではなく、在来線の急行でナントへ移動、長蛇の列で混み合うSNCF窓口を避け、普通に券売機で英語表記のガイダンスに従って買えた・・・年末年始は乗客の平均年齢低めでバックパッカー率高し、それでもボックス席は独り占めだった
ナントの勅令とアンリ4世で有名・・・何とナント大公城の縁起を記した銘板あり(駄洒落を言いたかっただけ
橋のようになった道路を右へ進むと城の正面に回る、そこはこれ見よがしに大公旗が翻る「映えスポット」なのであるが、狭い歩道の上で観光客が自撮り棒を乱立させて大渋滞となっていた
その林立する自撮り棒を、下から見上げてみたい奇特な方は、こちら空堀の底の遊歩道へどうぞ、大公城の内部は写真と記述が前後しますが後ほど・・・
どの国へ行っても路面電車のある街には旅情をそそられる・・・たぶん路面電車のない街に育った人間は大概そう思うはずである
古くは Gallo-Romane 時代から何度か作り直された城壁が入り組んでいた
だから説明が無ければ何が何やら・・・
こういう図解が分かりやすくて助かる
ありゃ何だ?バスタブ?トイレ?違うか・・・
サン・ピエトロ大聖堂
その彫刻を浮き立たせる光と影
広場に面しているので反対側はこんな感じ
シャンデリア重そう・・・
異教徒だけど結婚式でもないけど祭壇の近くまで進む
ステンドグラスきれいきれい
まだ日は影っていない
しかし午後遅くに傾いた日が黄色がかった光で聖堂内を満たす
また違ったステンドグラスを通して斜めに差し込む光も独特の雰囲気をもたらす
これより先の祭壇は立ち入り禁止
パイプオルガン誰か弾いてくんないかなあぁ
中庭から裏手の方へ
この回廊も古そうだ
さてナント大公城に戻る
空堀に渡した橋の上を進み・・・
頭上には巨大な紋章が掲げられる、意匠の一部は現在の県の紋章に引き継がれている
うっ、こ、細かい!几帳面で根気のいる作業、虫好きにはたまらんでしょうなぁ
寓意と比喩と象徴の記号論!?せめて鳥の剥製の意味くらい、普通に直接説明してくれ、いちいち面倒臭いわ!
名は体を表すノルマンディ、ここからケルトやらノルマンやら北方民族の文化と交流が広がって、それがギリシャやローマなど地中海沿岸由来のラテン文化に、その後の繁栄をもたらしたと言えるのではないか?だからこの地に生きる人々の外界に開かれた社交性や好奇心無くしては、その後のフランス王国の貿易や外交も発展し得なかったはず
海運水運で持っていたこの地の気候風土と、そこで育まれた人々の気質や思想というものは、実際に足を運んでこの地の川や海を見てみなければ、到底何も理解できはしないのだ
パリ博覧会でこの地の有名なビスケット製造業の会社が建てた灯台のようなモニュメントの一部らしい
海運で持つこの地のギルドにとっては正しく守り神として相応しい聖エルモの像
城の最上階には当時の城主たちの生活の一端を再現した家具調度品が展示されていたが、この磨き抜かれた小さな銀器の鈍い輝きの中に、一家を支えた名もなき使用人たちの日々の膨大な家事労働の積み重ねを見た
またある日には、ブルゴーニュ・ワインのエスプリに触れたくて、ボーヌのメゾン・ジャフランへ、大人の社会見学を
古い城壁や堀割のような水路が残されていた
冬休みだからワイン博物館は入れず・・・ジョゼフ・ドルーアンは日本へ三国ワインがインポートしていた
外から見える鐘楼が目印、崩れた城壁の石や石像の脚が、守り神のように大切に組み込まれていた
セラーの起源は12世紀まで遡る、当時の修道院から広まり地域全体に受け継がれ、栽培技術と醸造技術の改良と気の遠くなるような地道な努力の積み重ねは連綿と続く・・・その土地と気候風土を慈しみ、その恵みを大切に育む営みによって、蔵人の持てる技術の粋を集めてその年の葡萄の持ち味を最大限に活かし、今日は昨日までの自分を超えて、今年は去年までの一品を超えんとばかりに、素晴らしいワインを醸し出すための積み重ね、ある意味で最も農家らしい生き方ではないか
12世紀という中世の頃から続く伝統の重み、暗く苔むした天井と明るく新しい樽の色彩のコントラスト!
その日に開けてあったボトルに残っていた 1 er cru までこっつぁんです!
あとは Regionale を赤白2本ずつ、それから Crémant も1杯!もちろんピノ・ノワールとシャルドネ、まず単一品種で醸されたワインの風味の特徴をつかむことから始めましょ、でなきゃマリアージュなんて分からないし、そもそも複雑怪奇なブレンドの妙なんて理解できないはずだ
ああ!身に余る幸せ♪
今日はぐっすり眠れそうだ・・・

(同時多発テロ1ヶ月後のフランス旅行はまだまだ続く、この続きはいつかまたどこかで書きましょうかね)

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