ホームレスは猫より価値が低いのか?

メンタリストDaiGoが、「ホームレスや生活保護受給者の命はどうでもいい」、「いない方がよくない?」と発言して、炎上した。
最近はほとんど彼の動画を見ていなかったけれど、前はけっこう見てたから、正直残念だ。
私は彼を烈火のごとく責めはしないが、この発言が自分自身に返ってくることを、彼はわかっているのだろうか?

炎上した理由は「命を軽んじる発言」「差別的発言」「優生思想」だから、とのこと。
本人は「辛口発言なんで」と言っているらしいが、一応有名人なわけだから、どんな言い訳をしても許されることではないだろう。
彼を擁護する側の意見としては、「あくまで個人の感想」「正確には優生思想ではない」「たしかにホームレスはいらない。一般人が根底に抱いている思想を、彼はキツく発言しただけ」といったものがあった。
Twitterとかnoteで検索すれば、いろいろ出てくるから、興味のある人は読んでみるといい。

さて、擁護側の意見について疑問を投げかけよう。

「あくまで個人の感想」
たしかにそうだ。
まったく有名でない、一般庶民が発言したなら、きっとスルーされたことだろう。
ただの一個人の思想として、見向きもされない。
しかし、メンタリストDaiGoは有名人だ。
しかも彼は、日頃から様々な論文を引用しては、人々の思考に深く入り込むようなことをしている。
「メンタリスト」というくらいだからね。
そんな彼が、差別発言をした時、「正しい」と信じる者がたくさん出てくることだろう。
そのことが問題なのではないだろうか?

「信じる方が悪い」と言ってしまえばそれまでだが、「ではあなたは、何も信じたことがないの?」と言いたくなる。
飛躍しすぎだろうか?極端だろうか?
しかし考えてみてほしい。

中国や韓国の学校の歴史では、基本的に日本は悪と教えられている。
その教育について、「嘘ばっかりだ」と日本人であれば思うかもしれない。
しかし逆を言えば、あなたは日本で教えられた歴史を信じてるわけだ。
もしかしたら中国や韓国での歴史も正しいかもしれないのに。(私は正しいと思ってないが)
学校と同じように、動画内のメンタリストDaiGoは「教えること」を基本としてる。
だとすれば、「ホームレスや生活保護受給者はいらない」という思想を、多くの人に植え付けるようなことをしてしまっているのではないだろうか?

「個人の感想」なら、わざわざ全世界に発信する必要はない。
仲間内だけで、お酒でも飲みながら言っていればいいだけの話だと思う。
その内容が誰かにリークされて、週刊誌とかに載ったって言うのなら、まだ擁護するのも理解できる。
それなら「個人の感想」の範疇と言えるだろう。

「正確には優生思想ではない」
優生思想とは、良い遺伝子を残し悪い遺伝子を排除して、人類の進歩につなげようとする考え方のことだ。
優生思想といえば、ドイツ ナチス政権が最も有名だろう。
ナチス政権は、ユダヤ人や障害者を大虐殺した。
それは、ヒトラー(ナチス政権 総統)の優生思想が原因とされているけれど、実はそれ以外の説も有力だ。

当時のドイツは財政難に陥っていて、お金が必要だった。
そこで、まずは税金のかかっている障害者を消すことにした。
「これだけ税金を使われているんですよ。お金の無駄ですよ。だから障害者を排除しましょう」と言ってのけたのだ。
そして、障害者を虐殺した。
しかし、これはキリスト教の牧師によって途中で中止されることになる。
牧師は市民に言った。
「障害者の次は、我々老人がいらないと言われるんだぞ」と。
そして、慌てた市民は障害者の虐殺に猛反対した。
市民に猛反対されたことによって、障害者の虐殺はあっけなく中止に追い込まれた。

しかし不幸なことに、この時開発された装置で、ユダヤ人虐殺も行われることになる。
次にナチス政権が目をつけたのは、ドイツのなかでも特に富裕層が多かった、ユダヤ人だ。
ユダヤ人を拘束して、彼らの財産を奪おうと考えた。
そこで、「ユダヤ人というのは遺伝子的に劣っている。だから排除しましょう」と市民に訴えかけた。
そうしてユダヤ人からお金を奪うことで、なんとか財政難を逃れることに成功した。
市民は、ほんの少し街が潤ったのを見て「素晴らしい政権だ!」と褒め称えた。
そして、悲劇の幕は切って落とされたのだ。
最終的に、日本がドイツに加担して、広島や長崎に原爆が落とされたことを考えると、どうにも他人事には思えない。

この背景を知って、本当に「正確には優生思想ではない」と言えるのだろうか?
優生思想というのは、ていの良い隠れ蓑なのではないだろうか?

人間には誰しも、劣等感がある。
人と自分を比べてしまう性がある。
だから、抱こうと思えば いくらでも、優生思想に傾くことができてしまう。
人は環境から50%ほど影響を受けるらしい。(%は研究によって違うが)
つまり、まわりの人たちが「あの人たちは劣っている」と言えば、その考えに染まってしまう人は多くいるだろう。
そして「あの人たちは、自分たちよりも劣っているのだから、雑に扱っていい」と言われれば、そうしてしまう人は多くいるだろう。
特に、お金や気持ちに余裕のない人は。
多くの人間は、自分自身の優位性を保とうと必死になるのだから。

実際、ドイツ人はそうなった。
日本よりも、GDPも幸福度も高いドイツ人でも、そうなったんだ。
日本人が、そうならないという根拠はない。
現に「老害はいらない」と言っている人がどれだけ多いことか。
たしかに嫌なことをされたら、どうしてもそう思ってしまうし、「老人ばっかり優遇されてる」と不満に思う気持ちも十分わかる。
しかし、自分もいずれ老人になるんだよ。
その絶対的な現実は受け止めなきゃね。

「たしかにホームレスはいらない。一般人が根底に抱いている思想を、彼はキツく発言しただけ」
この発言の後には、「炎上させてる人たちは、ホームレスに何かしらの支援をしたことがあって、普段から老人に席を譲っていて、ゴミを拾ったりしてるのだろうか?」と言う人もいた。
先に書いた2つの疑問から、この発言がどれだけ、呆れて笑えてきてしまうものかわかるだろうか?

さて、メンタリストDaiGoは「ホームレスと生活保護受給者はいらない」と言っている。
ホームレスになる人のなかには、毒親家族に育てられ、困っても親に相談できない人も多くいると聞く。
本当に酷い虐待に合っていた人も多くいるだろう。
生活保護を受給するにも、家族に連絡がいくのを恐れる人がいる。
それで、仕方なくホームレスになる人もいるのだ。
生活保護の申請をする時には、家族への通知もあるらしいから。

また、生活保護を受けている人の中には、病気で働けない人も多くいる。
事実かどうかは知らないが、メンタリストDaiGoの母親は病気を患ったことがあるらしい。
もし、その病気の母がひとりで苦しんでいて、どうしようもなくなって 生活保護を申請していたとしたら、彼はどう思うのだろう?
たとえば、父と母が離婚をしていて、母がひとりで住んでいたら、彼はどう思うのだろう?
「自分は今稼げてるから、自分がお金を出してあげる」とでも言うのだろうか?
あなたが稼げているのは、大学まで通わせてくれた両親がいて、いろんな人たちがあなたを認めてくれたおかげでしょう?と言いたくなる。

たしかに、お金を稼げるようになったのは、自分自身の努力が一番なのかもしれない。
でも、どうしたって、ひとりぼっちではお金持ちにはなれないだろう。
特に、知名度を利用しているなら。

私たちが今、普通に生活できているのは、ひとえに運が良かったからだ。
遺伝子、生まれた環境、育った環境、人との出会い……そのすべてが重なり合って、今の自分があることを忘れてはならない。
どこかの歯車が違っていれば、私たちだってホームレス(生活保護受給者)だ。
だから、そのセーフティネットをつくっておくのは、当然のことなのではないか?

最後に、メンタリストDaiGoは「もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない人間を処刑して生きてるんですよ」と発言してる。
過去にメンタリストDaiGoはイジメを受けていたと本人が言っていた。
じゃあ、その理論で言えば、彼は処刑された側なのだろう。
そこから這い上がったと言えば聞こえは良い。
しかし、彼は「君も処刑されてたよねww」と言われたら、どう思うのだろう?
(本当、最低な発言だと思わないか?)

昔、アメリカで黒人が奴隷にされていたことは有名だ。
だから今でも白人と黒人の間には深い溝がある。
黒人が解放されたとき、アメリカは、奴隷だった黒人のために国を用意した。
すると不思議なことに、アメリカで奴隷だった黒人が、現地の人を奴隷にし始めたのだ。
虐待は連鎖するというが、同じことが起きているのだと、私は思う。

つまり、メンタリストDaiGoが弱者を排除したいと考えるのは、単に連鎖してるだけなのではないだろうか?
弱者だった自分が強者になれたから、今度は弱者を排除する側にまわった。
内からくる劣等感に、彼は苛まれているのではないだろうか。
メンタリストなのになー……やっぱり連鎖を止めるのは至難の業なんだと実感する。
「僕はもう強いんだ!お金もあるんだ!」と言い張ってる子供にしか見えなくなってしまった。

彼の動画を見てた時、「メンタリストは、好きな人にはモテないのが悩み」と言っていたのを覚えてる。
彼は、もう猫がいるから寂しくないようだが、きっと本当はすごく寂しいんだろうなと思う。
そういえば、ヒトラーは親に虐待されてたんだよね。
そう思うと、優生思想的な発想を持ちやすい人は、劣等感がかなり強いとわかる。

彼を執拗に擁護する人たちは、まずは自分の心に目を向けたほうがいいのかも。
なぜ、そんなにも劣等感を抱いてるのか?
なぜ、誰かを弱者にしないと自分を保っていられないのか?

私は、毎回老人に席を譲るわけでも、ホームレスに対してボランティアをするわけでも、ゴミを拾うわけでもない。(障害者へのボランティアはしてたし、落とし物があれば拾って届けるけど)
特別優しい人間なんかじゃない。
2つ前の記事にも書いたように、私は人に見返りを求めてしまうし。(『99%の人は見返りを求めている』)
それに、すぐイライラしてしまう。
だけど、それを自制するのが大事なのではないだろうか?

たぶん、もし私の大切な人が殺されたら、殺した犯人を許せないだろう。
殺したくなるだろう。
排除したくなるだろう。
そこまで極端じゃなくとも、私の大切な人を傷つける人を絶対に許しはしないし、裁判で闘う必要があるなら闘う。

でも、自分も誰かを傷つけたことがある。
誰も傷つけたことがない人なんて、たぶん、この世にはほとんどいない。

知ってほしい。
他人に厳しくするということは、自分の首を絞める行為だと。
善人になんかならなくていい。
でも、人に優しくあることは、自分に優しくあるということでもあるんだよ。

サポートに興味をもっていただき、ありがとうございます。いつか 私の文書が、あなたの手元に残る形になって あなたをそっと支えられればと思います。