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一人で抱え込むという習性

わたしが障害を抱え、今に至るまで ⑩

~現在に至るまでの経緯 その10~

 わたしがリワークにて自己分析をまとめ始めた辺りから、わたしは全プログラムに参加するようになり、リワークのプログラムにも変更が見られた。以下に詳細を挙げていく。
① 社会生活技能訓練(SST)
 職場で起きた実際に起きた対人トラブルを再現し、どうすればより良いコミュニケーションを取れるか皆で話し合い検証する。主に上司と部下でのトラブルが多いため、参加メンバーにそれぞれ上司役と部下役を作り、再現する。最終的に良い落としどころが見つかるので、どうしたらよかったのだろうと自身で結論が出ていない内容に対して非常に参考になる。補足だが、ある程度、体調が回復したメンバーでないと基本的に参加しない。トラウマを刺激したり、状況再現するのもエネルギーが必要だからだ。
② 認知行動療法(CBT)
 リワークの柱の一つ。これだけを学びに来る人たちもいる。なにかの出来事に遭遇した時、咄嗟に思いつく考えを「自動思考」と呼ぶ。リワークで扱われた具体例を挙げると、人に挨拶をした時、挨拶が帰ってこなかった時に真っ先になにを考えるか、だった。これが「気付いてないのかな」なのか「無視された」なのかでその人の思考の偏りが見えてくる。これらの偏った考えを集団で講義を受けながらどう柔軟に捉えていくかを学ぶ。講義の序盤で、自身の思考がどれほど偏っているかテストもあるので、日頃ストレスを感じやすい方は自身を知る良い機会だと思う。
③ 集団精神療法
 臨床心理士さんから病識について学ぶ。一通り知識を講義で学んだ後、自身の経験と照らし合わせ、グループで話し合う。
④ 委員会活動
 これが新しく始まったプログラムだ。学校の委員会活動の延長のような活動だ。リーダー、副リーダー、書記などそれぞれ役割を振り分け、与えられた課題に参加者全員で取り組む。


 わたしが、自己分析の発表資料をまとめ始めた頃、スタッフさんから別室に呼び出された。こんなことは初めてだったので、何事かと思っていると、新しいプログラム、委員会活動の副リーダーをやってくれとのことだった。わたしは、「えぇぇ、、、」という感じだった。自己分析発表を控えていたため、とても無理だと思ったからだ。しかし、リーダーが信頼出来る心強い方であり、断れない性格もあったため、渋々承諾した。


 委員会活動の最初の課題は、リワークの広報用の記事作りだった。リーダーと相談し、表面はリーダー班、裏面は副リーダー班に分かれた。当時の私は、完璧主義の白黒思考で拘りが必要以上に強く、融通も利かない抱え込む人間であった。自己分析発表に使う資料を妥協するという発想がなかった。そちらに時間を使い、抱え込む習性から他の同じ班のメンバーにも相談出来ていなかった。リーダーの班は着々と記事作りが進むが、わたしの班は一向に進捗が見られなかった。状況を見かねた担当のスタッフさんが、自己分析発表に使う資料に拘り過ぎているのではないかとアドバイスをもらい、ハッと気付いた。自己分析発表の資料はまとめたものを読み上げるだけにし、記事作りに集中した。少し進捗が見られた頃、一番頼りにしていたリーダーがリワークに来なくなってしまう。リワークは利用料を払い参加している以上、すべては本人の意志だ。責めることは出来ない。わたしは、また別室に呼び出され、正式にリーダーをやってくれと話があった。わたしのためと言われるが、わたしには務まらないと考えていたため正直重荷だった。当時は断れるような人間ではなかったため、引き受けることになった。幸いにも、リーダーが表面をほぼ完成に近い状態でデータを残していってくれたおかげで、わたしは裏面にのみ集中できた。毎週の委員会の会議の司会進行もしどろもどろで、なんとか形にしていくだけの進行だったように思う。なぜ、利用料を払い、わたしは苦しんでいるのか疑問も感じることもあったが、この委員会活動でリーダーを務めていなければ、わたしはわたしの問題点、もといわたし自身を縛り付けているものに気付くことは出来なかっただろう。今なら大変という言葉が大きく変わると書くのを実感できる。そんなこんなで四苦八苦しながら、なんと記事は納期内に完成を果たす。


 完成し、病院内に掲示も終えた翌週、参加メンバーで今回の記事作りを振り返っての反省会を行った。わたしは余裕が一切なかった中での進行であったため、参加メンバーに至らなかったことを話した。だが、スタッフを含んだ皆はわたしは立派なリーダーだったと太鼓判を押してくれた。その時、素直に喜べなかったわたしはやはり未熟だったのだろうと今は思う。その記事はずっとあのリワークの記事第一号として残り続けるのだろう。わたしの成長の軌跡として誇りに思う。


 この時のわたしはまだ、自身の問題点に気付いていない。自分が一体なにを抱えているのか。なにが余分なのか。わたしがわたし自身に背負わせた荷物を降ろし始めるのはもう少し先になる。

今回の経緯はここまでです。


~後述~

 わたしが最初にリワークで学んだことは、「人を傷付けてはならない」といった無理な認知が自身にあったことでした。リワーク内でメンバー間で少しトラブルがあった時に、相手の状況を考えず、わたしが相手に傷付けられたと思ったのがきっかけでした。わたしは明確に「人が傷付くようなことを言ってはならない」という拘りがありました。この拘りがあると、相手に傷付けられた、と感じるとかなり敏感に反応し怒りの感情を覚えます。その時も、わたし自身かなり怒りを感じたのを覚えています。しかし、相手にわたしを傷付ける意図があったかどうか明確ではありませんでした。人とコミュニケーションを取っていく中で、意図せず相手を傷付けてしまうことはままあることです。その時も、相手の方は余裕がない状況だったことも後になってわかったことです。あまりにもそういった強い拘りがあるとそれはコミュニケーションを阻害します。人に言いたいことが言えない方の多くはこれによるところが多いのではないかと思います。そこで大事になってくるのは、人を傷付けてしまうことについては心がける程度で良いということ。それよりも、まず自身の意志を相手に伝え、もし相手が傷付いてしまったようなら、そのフォローに心を砕く。誠意を持って伝えたことに対する意図を伝えれば、きっと相手に気持ちは伝わります。それで成り立たない人間関係ならば、常にあなたが無理をしなければならない。そういう人付き合いは疲弊しかしません。そっと離れる方がいいかもしれません。今のわたしはかなり割り切った人間になっています。わたしはとりあえずこちらの意見や意志を伝えます。それでその相手がどう感じ、どう行動するかはその人の責任です。精神障害を負い、わたしが切実に感じていることは、相手を大切にするというのは、その人が抱くどんな感情であっても、それはその人だけの大切な感情であるので、それをこちらの物差しで捻じ曲げるようなことをしないということです。わたし自身、何も感情を表現出来なくなるのではないかと思える経験をしているからそう思うのかもしれません。相手の感情を気にして、意志を伝えないのは、むしろ相手に対して失礼だとも考えています。相手と対等であればこそです。ありのままの自分でいて、初めて本当の人間関係が築けます。このわたしになってから、友達は減りましたが、かけがえのない親友は数名います。これでいいと、わたしは毎日を噛みしめています。

 最後になりますが、今回、リワークで学んだ内容を記事として挙げさせてもらっています。それに辺り、お世話になっていたリワークの責任者と担当のスタッフさんに事前にお話ししてあります。この場を借りて一言言わせてください。わたしは本当にあなたたちと出会えてよかった。心からお礼を言います。ありがとうございます。あなたたちが日々、一生懸命にやられているお仕事のおかげで、救われた人間がここに一人います。わたしからこんなことを申し上げるのも不躾かもしれませんが、ご自分たちのお仕事に誇りを持ってください。また、顔を出しますので、よろしくお願いいたします。

では、今回はこれで。
皆さんの行き先に明るい未来がありますように。

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