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言葉を知らないと概念が分からないそうです
しとしと
ぼたぼた
さらさら
びゅーびゅー
しんしん
ふわふわ
びちゃびちゃ
こういうオノマトペを始め、雪の多い地域では「雪」に関する表現が多くあります。雪のない地域には雪を表現する言葉は豊富にはないでしょう。
私が辛くても、ハーブが入っていても、一概にソーセージと呼んでいるものは、ドイツの方にとってはそれぞれ呼び名が違うでしょう。
『翻訳できない世界のことば』という本もありますが、こういっ
井の中の蛙大海を知らず、しかし、
世間知らずだったり、
小さなコミュニティで自分がルールとばかり威張るようなイメージがありますが、
大海を知ったらどうなるのかアフターストーリーが気になるところです。
自分の考えは狭い考え方で、より多角的に物事を見なくてはならないと前向きに変われるのか、はたまた、居心地の良い(と自分は感じている)場所を守ろうと他の人にも大海を見せないようにするか。
アフターことわざ、考えてみました。
井の中の
考え方の違いは見え方の違い
価値観が違う人って結構いますが、そもそも同じ人っているのでしょうか?
見てきたもの、経験してきたことが違うのだから当たり前です。
だけど、価値観が「同じ」だと感じる人もいるわけです。
それは何かといえば、
「同じもの」を根拠に話をすることができる、ということかもしれません。
学習指導要領すら読んだことがない人と、
教科の見方•考え方や、資質•能力の話をしようと思っても、かみあうわけがありません
子どもの小さな変化に大きな喜びを感じ、小さないざこざに大きな疲れを感じ、小さな仕事に大きな労力を使い、小さな者たちに大きな敬意を払う。素直で謙虚なことが小さな存在を大きくしてくれる。
飾り係っていうといい感じなんだけど、お飾り係っていうと角があってさらにいい感じ。
人は慣れるようにできている
どんなに楽しくても
どんなに辛くても
どんなに美しくても
子どもたちは慣れ、飽きていきます。この、脳の働きを、ホメオスタシスと呼ぶそうです。
良くも悪くも普段と違う刺激に対してストレスを感じることに対して、ホルモンの分泌によって緩和する働きをしています。
型が決まっている安心感も学びには大切ですが、同じことを何回も繰り返されることによる慣れや退屈な気持ちもを感じることの方が楽しく学ぶことに対して
いつから勉強はつまらなくなって、いつから学ぶことは楽しくなったんだろう?
お勉強は学ぶことをつまらなくし、自ら学ぶことができるようになったら学ぶことはやっぱり楽しかったのです。
子どもたちは少なからず希望をもって小学校に入学しているはずなのに、目の輝きが薄れていき、休みの日を待ち遠しく思い、週の始まりを苦しく感じる。
学校という場が、子どもに寄り添わなくなったわけではなく、子どもに寄り添えなくなってきているのだと思います。
誰も得しないのに、誰もが通らなければなら
体にいいことは心にもいい
保健体育で学ぶことの一つで、心と体はつながっているということがあります。
最近ネガティブだなと感じている時は、あまり運動もしていませんでした。やはり、体を動かすことでそのネガティブさも解消されます。昨日は鬼ごっこしたり鉄棒をしたり(まだまだ逆上がりも後方支持回転も軽くできます!)しました。今日は散歩と筋トレです。ちょっとやるだけでも、自分のためになったと思えることで、気持ちも前向きになりました。
未来に宿題が溜まらないようにする
「今を生きる」ことが大切。
例えば皿洗いを後回しにすると、どんなにいい風を感じていても、「あぁ、皿を洗わなきゃ。」と頭をよぎることは、今を生きていないってこと。
と、ローラさんがAnother Skyで言ってて、すごく納得です。
楽しみながら現状を見ることができたら素敵ですよね。自分の体を大切にすることで心も大切にできるようにしたいです。
研究授業と理想の授業の間で
難しいなと感じています。研究授業で求めている子どもの姿は、自分で考え、表現し、友達と学び合い、さらに深め、自分の力にしていくような姿です。
しかし、45分の授業の流れを作ってみると、目当てを立てたり、問いを持たせたりすることで大忙しです。
さらにペアで話し合わせたり、全体で共有したり、発表させたり振り返らせたり、いろいろ書いたりして子どもが落ち着いて自分の学びたいことに向かっていく授業にはなら