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如来蔵・曼荼羅・色即是空空即是色 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(6)
中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。
精神の考古学。
私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか?
心の動きの全貌を観察するために、表層の分別心だけに依るのではなく、「セム(分別心)を包摂する(深層の)無分別のセムニー」でもって、目の前に浮かぶあれこれの事柄(諸法)を見て、その「意味」をコトバでもって説く。
+ +
表層の分別心の道具としての言葉は「あちらか、こちらか」「
アースダイバー 神社編/中沢新一 -読む前に-
昨晩、「精霊の王」を集中して読んでいた。
「精霊の王」だけでなく本を読む時には自分の記憶(記録)の中の意識と、文章に書かれている客体の意識やその周辺の集合意識、筆者のその文章に込まれている意識を見極めるため、結構集中して読んでいる。
頭の記憶に残したくない(記憶力がない)せいもあるのか、情景をイメージするというより、そこにある意識を拾いながら確認していく癖がついているのです。
こちらでも取り
アースダイバー 神社編 -プロローグ-
「アースダイバー神社編」も、「精霊の王」も、その前の「精神の考古学」もそうであったが、中沢新一氏は、自らのエピソードを元に、続く300ページ余りの内容に関わる題材を問題提議しながら、これからこの本に釘付けになってしまうであろう叙述をプロローグ冒頭から大展開させる。
冒頭の締まりかたというべきか、
それがとてつもなく面白く、感動している。
(私は滅多に感動などしません)
最近は、神、精神、精霊、
「精神の考古学」-読了-
第十部 いかにして人は精神の考古学者になるか
35 アフリカ的段階の仏教
何故、地球の土地を、お金で買わなければ生活出来ないのか(最近では月の土地まで売買されている始末)と今まで何回か何となくそう思った時があった。何故登記が始まったのかと考えればそれは明確で、家系図を見ながら実家の土地が初めて私有地となった明治時代の登記録を見たときもそんなことをかんがえていた。
父の祖父が登記をしていた
「セムを超えてセムニーに踏み込む実存のメタファー」中沢新一 『精神の考古学』P240
私はこのメタファーに成りうる、
実存のコトモノにしか興味がない。
精神の考古学 -第七部 ロンチェンパの遺産より-
本書は段々と難しくなって来ている。
ゾクチェンは言葉・言語もそうだが、独自の科学・哲学であり仏教でもある。そのためか、密教や西洋哲学、また、音楽等と照らし合わせた同一性を筆者は試みているが、哲学書は曖昧なため苦手な私は余計に混乱を起こし、仏教独自の言葉も然りだが、、
、、しかし、宗教、哲学、音楽、芸術、、全ての分野に於いて本質的構造は同一性があると言える。
また、言語化すると、そこに当て嵌め
「精神の考古学」と「ツァラトゥストラ」で共通する言葉が出て来た。
良くしたい、何かのためになりたい、努力してこうなりたいというのは病気を患っている「病人」なのだ。それは欲望成就念慮だろ。吐き気がする!(ツァラトゥストラ風)。ゾクチェンは吐き気はしないようだ…が、ツァラトゥストラ↓
「精神の考古学」のあれこれ
大筋の大切な部分は毎日のように抜粋させてもらっているが、それ以外にもトピック的に、自分と似たような面白いエピソードが数々あり、今回はそれを挙げてみようと思う。
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筆者の体験するゾクチェンへの道のりは、
やはり私が通ってきた所と同じだった。
筆者の六道輪廻の一つ一つになりきる修行は、私よりカラダを張っていると思うのだが、
六道輪廻とは、神、阿修羅、人間、餓鬼、畜生、地獄である。
この六