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この体を作る味と言葉


2024年9月5日(木)

近所に、ネコグッズを集めたお店ができた。
前を通ると、「ネコ」とだけ書いてある看板があった。
そのデザインがちょっと変わっていて、二文字がぎゅっと近付いている。
「神」みたいだなぁと思った。
そして、「神」の中には「ネコ」がいることに気付いた。
おぉ・・・。
だから何がどうって訳ではないんだけども、物心ついた頃からネコと暮らしてきた身としては、なんだか合点がいって、妙に納得してしまった。
やっぱネコって神だわ。

空気が秋っぽくなってきて、スーパーで売っているものも秋っぽくなってきて、秋っぽいものが食べたくなる。
かぼちゃの煮物と、なすと牛肉の煮物を作った。
実家で祖母から母親へと受け継がれていたメニュー。
僕も受け継いでいる。
レシピとか聞いたことないけど、味は舌が覚えているので、大体こんな感じだったなと整える。
見た目は美味しそうにできたけど、実家の味はもっと美味しかったなぁ。
特になすと牛肉の方は、もし実家で作ってたら、「水くさい」と祖母と母親が言っている光景が頭に浮かんだ。
また作ろう。
精進。

一口食べて、「水くさい」という表現がパッと頭に浮かんだ。
「味が水っぽい(=うすい)」ということ。
もしかしてこれ関西方言かな?と思って調べてみたら、一応辞書にも載っているので方言という訳でもなさそうだけど、関西でよく使われる言葉っぽい。
検索したら、Yahoo!知恵袋で何人かの関西の方が方言でしょうかと質問しているのが出て来た。
人間関係のよそよそしさを表す意味の方が一般的なようだ。
味の方の言葉を知らない人からしたら、料理の中の水に味は無いし、「くさい」訳でも無いから、違和感があるらしい。
たしかにその通り、変な言葉だな。

「水が合わない」とか「水魚の交わり」とか、水は自分のルーツとか馴染んだ環境と関係する表現に使われることがしばしばあるように思う。
水はこの体を作っていて、その地で生きるということはその地の水で体を作るということだからかな。
僕の中に残る実家の味も、方言も、水のように今の僕を作っている。

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