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靭帯切れてから、経過観察224日目(手術後194日目)

教育を変えたい

先週金曜日にするはずだった、知り合いの教師との電話をさっきしました。
テーマは教育の定義について。
まずはダイレクトに『教育の定義』を聞いてみました。
こんなにも勝手くらい教育について語ってくれて嬉しかったのと、それが故に為末さんの『20文字以内で教育の定義を示してみてください』には答えられ無さそうでした。笑
だけど本当にたくさん語ってくれました。

彼は現在、オーストラリアのメルボルンでサッカーをしながら、現地の学校でボランティア活動をしています。日本では教育事業に携わっていた経験もあって、学校には正規雇用で3年の職歴がある人物です。
さて、何から書こうか。

ハッキリと定義は出来ないけど、教育の根本というか、彼に影響を与えた本があってそれは、昔の商人が神様とか仏のような存在に助けられたんだけど、当の本人はそれらの存在に気づいていなくて、「自力で何とかした」「自分でやれた」と思っている。という逸話から影響を受けたのだと話してくれました。これはおそらく”自己肯定感”に繋がっていくことと思われます。

彼にはひとつ信念があって、先生という職業ではあるけど子供たちから「先生」という存在ではありたくない。そうボクは解釈しました。
要は「いち人間でありたい」ということです。

学校では子供が主人公である、というのを大事にしていました。
親や先生が主人公ではない。例えば、『あの先生だからうちの子が良い子に育った』という文言があったとしたら、彼にとってそれは決して「良いこと」ではないんです。
保護者が自分の子を「この学校、先生に教わったことで”良い子”に育ったのだとしたら、それは”学校””先生”の指導が良かったからなのではなく、その子自身が「自分で気づいて、自分で成長したんだ」というスタンスをブラさないこと、それが凄く重要なんだと言っていました。

僕のサッカー仲間の多くがこの「教える」ことよりも「促す、伝える、気づけるように仕向ける」というスタンスが多いんだけど、彼もほぼ同じ考えを持っていました。

『子供と一緒に考えること』

・一回上手くいかないことを、すぐに劇的にやり方を変えさせない。
少し変えてみれば、実は出来る。のような成功体験をさせること


彼の『教育を変えたい。』という熱意がビシビシ伝わってきます。

ルールを作ることより大事なこと

先生をやる上で、周りからの評価は必ずある。例えば
「まとまっているクラスですね」って言われるのは好きじゃないようです。
そういう評価になっているっていうことは、先生が主人公になっているということ。これは表面的には良いクラスに思われるかもしれないが、そのクラスで「指示待ちの子供」だったり、「自己表現がない、あるいは出来ない」そういう集団になっている可能性が高いんだと。
外から見て落ち着いている。っていうのは、まとまりがあるのではなくて、静かなだけなんだと。

果たしてそういう子たちが、自己表現をしないまま大人になっていくとどうなってしまうか。
こういった教育のやり方はずっと長い歴史として繰り返されてきた。だから戦争が起きてしまったんだと。これはケンさんの考えです。

「戦争なんてあり得ない」

国民全員がそう訴えていれば、戦争はきっと起きなかった。
そう信じたいところです。我々の祖父母たちが過ごしてきた人生、背景、気持ちなんて理解出来ないかもしれない。きっとそうさせてもらえない力もああったんだろうけど、この抗いが何故屈してしまったのか。

彼がクラスを持っている頃の話です。
特別支援の子を抱えている時期もあったようです。
イレギュラーが頻繁に起こりそうな環境ではありますが、その彼の「教師」としての振る舞いには感動しました。
ダウン症の子や、多動の子だったり、する子は授業中に教室を出ていったりしてしまうこともよくあるんだと。
だけど彼はクラスとして細かい「ルール」は設けなかったそうです。
なぜなら、人はみな違うから。
ましてやそういった障害を抱えている子に「授業中は絶対に教室から出ない」というルールを作ったって、物理的に守れないことが多いわけです。
なのである程度の「許し」を与えていたと。ただ、教室を出ていく時は必ず「わたし」に声をかけてください。と伝えていたそうです。
それは「あなたわたしの大事な生徒だから、何かあった時にはすぐに助けられるようにしたいから」という意味合いでの伝達であると。そうやって信頼関係を築くのが普通なことなんだと言っていました。

これは生徒同士でも同じことが言えます。
ルールに縛られての集団行動、みんなが全く同じ時間軸て行動していることなんてあり得なくて、それは奇妙なことです。さっきも書いたけど大人になってそんなことはあり得ない。
人はみな違う。勉強の出来る出来ないの差があるのも当然で、わかるとことわからないところも当然ある、これが人間。
そういう時は「わかっている人に、説明してもらうこと。”理解する”=”人に説明できる”ということでもあるので、それをクラスで共有すること、助けあうこと。」

ルールを作ることよりよっぽど大事なことですよね。


日本とオーストラリアの違い

お互いにオーストラリアでの滞在期間は長いので感じていた感覚は同じでした。

オーストラリア人は失敗を恐れない。
発言も恐れない。わからないをわからないという。

日本は「出来ないこと」が恥ずかしい。
わからないと言えない。あるいは言わせない空気作り。

そりゃ世界から遅れを取るよねって。そういう社会になるよなって。

今、オーストラリアの教育カリキュラムの柱があるみたいで。それは『レジリエンス』と言って、直訳は回復力や忍耐力。だそうです。

意味は:失敗しても戻ってこれる力、解決する力、生きる力、そういう姿勢、能力。

日本語で忍耐力を説明しなさいと言われてもこうはなりませんよね。
こういうところでも差がハッキリと出ます。
失敗しても這い上がる力。まさに生きる力だと。

彼は生徒に話しかける時、「先生はね、、、」ではなく「わたしはね、、、」と表現するそうです。人として、どれだけ尊敬されるか。
子供から「先生」としてではなく、いち人間として尊敬されることが大事ということで、一人称をそう表現しているそうです。

それについて、他の先生から何か言われたこともあったようで。

先生と児童という関係性もを保つためにも「先生はね」という言い方をすべき。その一線を引かないことでクラスが荒れる可能性が高まる

と先輩ベテラン先生に指導されたこともあったようでした。前述したようにこれは彼の意に反しています。
クラスが荒れる理由は、「呼び名」や単に「先生と児童の関係性を保てない」ことが理由ではないからです。

先生としての振る舞いではなく、人としての振る舞いが適切でないからクラスが荒れてしまう。子供から「先生」として、尊敬されるのではなく、「いち人間として」尊敬されることが大事なんです。

とある音楽の先生からも小まめにずっと付箋などでアドバイスを貰っていたらしくて、それも全部無視していたんだけど、ある日音楽室に呼び出されて、「私はこうしている、今までこうしてきた」という話を聞かされた彼は、その先生からのアドバイスを無視してたけど、話せて良かったと言い、「やっぱり自分のやってきたことは正しかったんだと確認できました」と伝えたそうです。

外側から変えられない日本の教育

日本の教育は終わっている。そう強く言っていました。
でもいち教員として変えるのは無理 。なぜなら限られた任期では学校を変えることは出来るかもしれないけど、日本の教育を変えるには至らない、自分が変えられる範囲には限界があると言っていました。よほどの影響力が無いと実現できないと。
教育委員会によると、正規雇用で数年経たないと、休職できないという制度がある。「それは何のためのルールなんですか?」と聞いてみたら、それに対する納得のいく回答は無く「前例が無いから」というだけの理由で突っぱねられたのだと。
クソみたいな組織だと言ってました。笑

だから彼はこうして海外に出て、他の人には無い経験を積んでいっているわけですが、本当は休職しながら海外で勉強することも可能だったのに。だから退職したのです。

それでも彼は教育界にはずっと関わっていたいと。
そのために勉強はやめない。ずっとアップデートし続けたいと言っていました。

心の豊=自分を肯定できるか

人生が豊っていうのは「心が豊であること」この考えもボクと一緒でした。
そのカギを握るのが『自分を肯定出来ているかどうか』ということ。

たとえば日本で見らえる風潮として
他人の親から自分の子を褒められた時「いやいや、うちの子なんかまだまだ」と返す親が多いです。良い表現、というか日本風の表現をすると、謙虚とか謙遜となります。
もはや日本のお家芸です。

だけど海外は「そうなのよ。うちの子すごいのよ」と肯定から入ることがほとんどです。この差は一体なんなのかといえば、長きに渡る国そのもの文化でもあるでしょう。
だた思うのは日本はなんてもったいない思考なんだろうと感じざるを得ないということです。

日本では「満足したら成長を止まる」という表現もよくします。
でも何かをやる仮定で成功体験はあるはずなんです。そこには大小もあるでしょう。特にこの小さな成功体験を「まだまだ、こんなもんじゃない」と思ってしまいがちなんだと。決して悪い考えではないけど、やはりこれは一つの成功体験として捉えだ方が良いんです。
「これが出来た、おれ、やるじゃん」と一旦、自分を肯定することが大事なんです。でもそのメリハリがつけられないのが日本人の特徴である、「やり通せる力」が無いのはこれが原因なんだと改めて感じました。メリハリ。

本当に良い話が聞けて、清々しい気分になりました。
こういう機会に触れらることで本当に心が豊だと感じるし、周りの人に生かされていると実感しますね。
これに浸るばかりでなく、自分も行動を起こさないと。引き締まりました。
リン、ありがとう。

今日の右膝です。
昨日の銭湯効果があったのか、なかなか調子が良さそうなので少しデンキ風呂を継続してやってみようかなと思いました。
右膝だけでなく、全身へ微弱の電流を流すことが出来るので単純に疲労回復が見込めそうです。ただ一か所しかないので争奪戦になりそうでもあるので、その銭湯へいく時間帯も考えた方が良さそうです。
ですが、その前に明日の診察で銭湯のデンキ風呂が有効かどうかを確認してみます。それでは。

ひとつよしなに。

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