『滅びの前のシャングリラ』 (凪良ゆう 作) #読書 #感想 2

表紙に描かれた赤ちゃんは、リボンのついた銀のスプーンを持っている。
これは、最終章の主人公であるスター"L o c o"が、食べた物を全て吐き出したい時に使っていたものであるのだろう。



88~89ページより

主人公の1人である友樹は言う。

少し前までのぼくは悲惨ないじめの中に頭まで沈められ、希望のない未来に絶望し、心の底で地球なんて爆発すればいいと呪っていた。
その呪いが叶った今、ぼくは夢にまで見た幸せに浸っている。そして今になって、もっとこの時間が続いてほしいと願っている。どうしてだろう。あと一ヶ月という今になって。

神様は残酷である。ここぞという時に救ってくれないし、苦しい人を救ってはくれない。それでも人は祈り続けるのだが。そこに"何か"を見い出すことができる限り。


232ページより

「(略)でもこうなる前の世界より、ぼくはずっと自分が好きなんだ。前の世界は平和だったけれど、いつもうっすら死にたいって思ってた」
「(略)でもあと十日しかない。(略)それでも、ぼくはちょっといい感じに変われた気がする。あのままの世界だったら、長生きできたかもしれないけど、こんな気持ちは知らないまま死んでたかもって思う」
「それって、どっちがいいことなんだろうね」

主人公友樹は、前の世界の自分より今の世界の自分の方が好きなのだ。彼は変われたのだ。最果てにあるのは「絶望」そして「滅亡」だけれど、幸せだと感じられるような日々を送っている。今までに知ることができなかった"感情"を抱き、他の誰かの"感情"に触れている。

私は後者を選びたい。"滅亡"に向けて店からは物が盗まれ、死体はそこら中に転がっており、交通機関はほぼ全て止まり、みんなが生きるために必死になっている。働く人がいないので電気ガス水道インターネット回線などが滞っている。

それでも最後に「生きててよかった」と思えるような人生をおくりたい。最後に少しくらいは、自分のことを好きだと思いたい。

「平和だったけれど、うっすら死にたかった」という言葉に、怒りや悲しみなんていう単純な言葉では言い表すことができないような"重み"を 感じざるを得ない。





239ページより
友樹の母親は、こう感じている。

正しく平和な世界で一番欲し、一番憎んでいたものが、すべてが狂った世界の中でようやく混ざり合ってひとつになった。神さまが創った世界では叶わなかった夢が、神さまが壊そうとしている世界で叶ってしまった。
今あたしはとてつもない幸せを感じている。

母親である静香は、子供の頃に親に暴力を振るわれていた。"普通の幸せな家族"になりたいと思っていた。
でも世界が滅亡するギリギリで"幸せな家族"になることができた。最愛の男と再会し、息子とも一緒に居られる。彼女はそんな何気ない幸せを噛み締めている。

「死ぬことが怖い」と思いながらも、静香も友樹と同じように今の世界に"幸せ"絵を感じている。"笑顔"で居られる瞬間がある。

彼らに必要だったのは 今までの、平和で 長生きできる世界ではなくて
滅亡を目前にしながら あと少しの時間を大切な家族と一緒に過ごすことができる世界だった。


この本が1番伝えたかったことを一言で書くのは難しい。
それでも「人類滅亡」が分かっていて。死体が転がっていて。物を盗まなければ生き延びることができなくて。意味不明な宗教団体の人に襲われるようなことがあって。

そんな世界なのに、この本から感じられるのは「希望」だ。
涙を流しながらも 誰かと寄り添い 笑顔になれる、そんな「希望」だ。




この本の感想は明日で書き終えるだろう。凪良ゆうさんの『流浪の月』を読んで この方の作品は自分には合わないな、と思った方でも この本は手に取ってみてほしい。

彼女が本にする主題は、「この世では ありえなさそうに見えて、ありえること」だと思っている。

もちろん「地球滅亡」の可能性がどれくらいかなんていう考えは、人によって大きく変わると思うけれど。


「ありえる」ということを意識していないだけかも......しれない。

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