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『罪の声』 塩田武士 感想 #映画化作品

この本は、実際にあった「グリコ・森永事件」をもとに書かれている。


主人公は2人。
1人は大日新聞の記者の阿久津という男。文化部の記者であるが、最近仕事にやりがいを見出せておらず、自分はなぜ記者として働いているのだろう、などと考えている男だ。しかし この事件の取材の中で様々な人々と関わることによって、徐々に自分の考え方の芯のようなものを見出していく。「記者として何を伝えるべきか」をかんがえる1人の男となる。
映画では小栗旬さんが演じている。
もう1人は曽根俊也(としや)という男。実際に事件に用いられた「子供の声が録音されたテープ」を家で発見し、そのテープの声が自分のものだと気づき、事件について調べ始める。事実が明らかになる中で自分の親戚が加害者であり、自分が事件に加担してしまったという事実に耐えがたさを感じたり、事実を全て明らかにすることが本当に最善なのかと考え立ち止まったりもする。
映画では星野源さんが演じている。

最終的に2人は出会い、事件の真相を追っていく。そして、声を録音されたとある子供の その後の人生を追っていく。
本を2/3くらい読み進めないと2人は出会わないのだが、2人が出会ってからの展開がやはりおもしろい。もちろん子供に焦点が当てられると、なんというか悔しさと悲しさが入り混じったような気持ちにもなるわけだが。



「父は理不尽な形で殺されましたが、その死の扱いもまた同じでした。会社は極左という一度貼ったレッテルを剥がそうとはせず、拘置所は犯人の一人に自殺という卑怯極まりない結末を許し、警察は残りの襲撃者を逮捕すらできなかった。その結果、怒りのやり場を求めて暴力に明け暮れ、それを正当化するための根拠を探し、もっともらしい理屈を捏ねくり回すだけのくだらない男が一人出来上がった。それが私です。

という犯人の言葉がある。(317ページ)
彼は"何も得られない"と思っている中で「全てを得たい」という人間に出会い、それにまぶしさを感じてしまったのだ。彼は"社会に希望を持てなくなっても、希望を持つものに空疎な社会を見せることはできる"と考えていた。

そんなことのために、青酸菓子をばらまいたのか。子供の声を利用したのか。
本の中で記者の阿久津は彼の考えを「砂上の楼閣」と呼んでいる。

犯罪は、こんなところから生まれてしまったのか。これが生まれてしまった根本的な原因は、どこにあるのだろう。

彼に正義はなかったのだろうか。




主要な登場人物の中に、井上聡一郎という男(の子)がいる。彼の声もまた、テープに録音され犯罪に使われていた。

386ページより

子どもを犯罪に巻き込めば、その分、社会から希望が奪われる。「ギン萬事件」の罪とは、ある一家の子どもの人生を粉々にしたことだ。

聡一郎の父親も犯罪者であり、姉は自殺した。阿久津と曽根は彼を母親に合わせるために事件と向き合っていくのだが、この部分こそ映画で多く語られている部分なのではないだろうか。



阿久津の強い意志が読み取れる言葉がある。

「(略)理不尽な形で犯罪に巻き込まれたとき、これまで聞いたことも見たこともない犯罪に直面したとき、社会の構造的欠陥に気付いたとき、私たちはいかにして不幸を軽減するのか。それには一人ひとりが考えるしか方法はないんです。だから、総括が必要で、総括するための言葉が必要なんです」

365ページより

阿久津のような記者の仕事というのがどんなものなのか、何のために必要なのか、考えさせられる。彼らはどんな時でも真実を追い続け、それを記事にして多くの人に伝えていくのだろう。

彼の上司は"正面にある不幸や悲しみから目を逸らさんと『なぜ』という想いで割り続けなあかん。"(399ページより)と言っている。



なぜ犯罪は起きてしまったのか。なぜ子供が犠牲になってしまったのか。
なぜ彼は犯罪者になってしまったのか。なぜ彼を止める人が周りにいなかったのか。

どうしてこの社会は、こんなに大きな犯罪を生んでしまうのか。



たった1つの事件で。子供が巻き込まれてしまったことで。
ここまで考えさせられる本は、そうそう出会うことができないだろう。

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