知りたいけれど、全部を知りたいわけじゃない
人間関係って難しいよね。相手の考えていることが全部わかるわけがないし、逆に全部わかってしまっても怖い。なんでも自分の感情が相手に見通されている状態で会話をするなんて、腹の探り合いになってしまいそうだ。
どんなときも、嘘はつけないだろう。
世の中にはついていい嘘....いわゆる、誰かが幸せになるような嘘、もあるけれど、やっぱり「嘘」という言葉にはマイナスのイメージも常につきまとう。
嘘をついたら相手を傷つけるかもしれないし、相手のことを思ってついた嘘によって、自分は傷ついているかもしれない。
もちろん私のように相手を傷つけるくらいなら自分が傷つく方がマシ、なんていう人もいるかもしれないけれどね。
時には人間関係の中で、自分に関して嘘をつきたくなる時がある。過去に付き合った人の数とか、過去の人間関係とか、ちょっとしたエピソードとか。
でもきっとこういう嘘はつき通せば相手は気づかないようなものでもあると思うのだ。
本当に相手に誠意を示したいなら、嘘なんてつくべきではないのかもしれない。相手の過去なんて知るわけないし、自分の過去も知られてはいない。そういう状態の相手と友達関係や恋人関係を築いていく時、嘘をつかないのがそりゃあ1番良いに決まってるけれど、それでもやっぱり嘘をついてしまう時がある。
自分の過去を偽るような感じで。
でも相手のことを全部全部分からなくたって良いと思うのだ。
相手がほんの少し嘘を自分についていたとしても、それはそれで良いような気がするのだ。
誰だって誰にも知られたくない過去や秘密はあるし、相手の全部全部を知らなくたって良い関係が築ける時だってたくさんある。
関係を深めていくためには、特に恋愛という関係性においては、人は相手のことをどんどん知りたくなるし、好きであるがゆえに相手の心の隅っこや奥深くの過去にまで踏み込もうとしたりする。
好き同士の2人が相手のことをもっともっと知りたいと思うのは自然なことだろう。
それでも、関係にヒビを入れるくらいなら、全部を知らないままでも良いと思うのだ。
相手の全部を知ろうとするんじゃなくて、自分の中で相手の知っている部分を増やせるように努力すれば良い。
相手に話させるだけではなくて、自然と話せるような相手になるべきであるし、きっとそれなりの自己開示も必要だ。
人間関係の難しさの1つはそこの部分にあると思っている。
相手のことを知ろうとして相手の心に土足で踏み込み過ぎて、失敗する。
相手の全てを知ることができない自分にイライラしてしまう。
知られたくない部分は無理して晒さなくても良いと思うのだ。
心の中にずっとしまっておくような出来事があったって、目の前の相手と幸せになる資格は、誰にだってきっとあるはずである。
それでも人は「知りたい」という欲望と戦い続けなければいけないのかもしれない。
相手のことが大切であればあるほど、過去まで全部知りたい、過去の相手まで大切に想いたいということかもしれない。
どんなに自分をさらけ出しても自分のことを大切に想ってくれる相手がこの世にいるというのはきっと幸せなことであるが、
案外知らない方が幸せだった、ということもきっと少なくはないのではないか。
相手の全てを知ることができた時、欲望にある意味で負けた時、
人は本当に幸せかどうかなんてわからない。幸せだとは限らないかもしれない。
人はきっと弱い。誰にも知られずに自分の中で抱えておきたいことの1つくらいあるはずである。
相手の全てを知った上で相手の全てを受け入れ、愛するのか
相手が全て教えてくれないことを理解した上でそんな相手の気持ちを理解し寄り添い、愛するのか
どちらでも良いと思うけれど、ここでの「価値観の一致」はきっと大事であると思う。
終わり。
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