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自転車に乗れた日

はじめ、わからなかった。
なんで自転車が前へ進むのか。

みんなスイスイ乗りこなしているのに、いとも簡単そうに見えるのに、いざ自分がまたがってみるとうまく行かなくって、なんじゃこれ、となった。小学生の時、まわりの友達がいっせいに乗り始めて、私も乗りたい!と思った時のこと。親の大きな自転車を借りて、放課後特訓を繰り返した時のこと。

止まってる自転車には乗れない。
そりゃそうだ、転ぶよね。
どうやっても自立しない。
でもみんな乗れてるのは何故?
私だけ乗れないはずはない!

あっ

わかったのは
何度も転んで、ヒザ擦りむいた後だった。
自転車って、走ってるものに乗るから、乗れるんだって。

そーゆーことか。

前に進むものに乗っているから「私」が進めるんだ。転ばずに前へ!

はじめて自転車に乗れた、あの日。
助走してくれる母を振り返って「乗れた、乗れた!」と叫んだ日。

ぐいっと踏み込んで、向かい風に顔を突っ込んで、くるくるペダルを踏み続けた私を自転車はすーーっと前へ進めてくれたっけ。

あの感触。

あれから60年経った今、感じることがある。
前に進むものに乗らなくなったら(乗せてもらえなくなったら)、転ぶようになるのかも、と。

仕事や、家族や、夢中になれることや、
「自分を前に進ませてくれる色々なもの」に乗らなくなったら(乗れなくなったら)転ぶようになるのかも、と。

体重をぐいっと、顔ごと風に向かって、くるくるペダルを回し続けるから、私は前へ進めるんだって。

(それとも逆?)
転ぶようになった時、人は前に進むものに乗らなくなるのかな?

私の自転車、まだ大丈夫だろうか。
近ごろ電動自転車が欲しくなりかけていて、
とても気になる。

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