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何度でも読みたいすてきなnoteたち。
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#SNS

SNS時代における「表現のコモディティ化」

SNS時代における「表現のコモディティ化」

今回の文章は、この2年ほど色々書いてきた「SNS時代の表現」というテーマの、現状におけるまとめみたいな話になります。最初に要旨を書くと、たった一文でまとめられます。それはこういうことです。

SNSにおける情報伝達の超高速化によって引き起こされる「表現のコモディティ化」に、我々はどうやって抗うのか。

この場合のコモディティ化とは、「ある表現が瞬く間に代替可能品で溢れかえるようになること」を指しま

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SNSの距離感について思うこと

SNSの距離感について思うこと

SNSの距離感については先日あきらとさんが書いていたが、私自身が距離感について感じていたことがあったので、私も書いてみようと思う。

私自身は、どちらかといえばフランクに声かけてもらえると嬉しいと思っているが、たぶん想像するにあたりSNS界隈では「おねえさん」であり、はっきりとした年齢はここでは明かしていないけれど、成人した息子がいるといった段階で想像できるわけで、フランクに声をかけることをためら

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ライターになった経緯と仕事の取りかた

ライターになった経緯と仕事の取りかた

フリーライターをしています。

と言うと、よくクラウドソーシングの話を振られることが多いのだけど、ざんねんながらそういうサービスは使ったことがない。
仕事依頼のページに載っている仕事がわたしのすべて。すべて記名で、ありがたいことに指名をいただいて記事を書いている。

「すごいですね!」と言っていただけることもあるけども、ぶっちゃけぜんぜん稼げていない。生計が立っていないので、まったくすごくない。単

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SNSはなぜ「疲れる」のか

SNSはなぜ「疲れる」のか

気づけば秋風吹く10月。8月ころ「今年の夏はたくさん文章書くぞー!」と意気込んだものの、仕事に追われ、花火に追われ、期末テストと採点に追われ、気がつけば新学期再開で再び仕事に追われ。フリーランス兼大学教員というのは、よほど上手く回さない限りやっぱりどこか無理があるんだなと実感している今日このごろです。

空いている時間も無いことはなかったのだけど、その空き時間はだいたいリオレウスを延々狩ったり、メ

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今だからこそ思う「なるほど、わからん」の大切さ

今だからこそ思う「なるほど、わからん」の大切さ

SNSが広がったことで、今まで繋がっていなかったニッチな人々も繋がれるようになった。小さかった声も誰かに届くようになったし、広くて遠くて途方もない孤独感から救われた人もたくさんいるんだろう。

でも、何もかもがつながりはじめた結果、世の中には「ほんそれ!」や「わかりみ」が増えた。瞬発的な理解や、脊髄反射的な共感の嵐。

時折思う、はたしてこれは本当に豊かなことなのだろうか?

共感という麻薬情報が

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