28 敏感体質アユミの“食”への思い
私が使う調味料は「さしすせそ」。と、みりんで事足りる。調味料にこだわるのがアユミ流✨
他に常備している食べ物は梅干し。
昆布出汁やいりこ出汁、「さしすせそ」を中心としたメニュー。私にはこれが合っているみたい。
最近仲間入りした自家製玉ねぎ麹は、うま味調味料として活躍。玉ねぎ麹にゴマ油、酢、醤油を足せば玉ねぎドレッシングが完成する。
さらに今はソイプロテインとミネラルのサプリで栄養を補う生活。
“カラダが喜ぶ”食事は千差万別。だから万人に共通する健康食なんて無い。自分で見つける。
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〔愛するいりこへの思い(*´艸`*)〕↓
私はたまたま合わないものが多かったし、仕事ばかりしてカラダを労ってあげてなかった10年間でカラダに限界を覚えたから自分の手料理で自分のカラダを喜ばせることにした。
それもそのはず、小さい頃から母が作る料理が私の味覚やカラダを作ってきた。もっと言うと、母は祖母の料理で育った。要は曽祖母→祖母→母という遺伝的な系譜として私の肉体が形成されている。ご先祖の体質や過去の記憶で「私」の肉体がある。「カラダ」とはそーゆーもの。真の「私」とは“魂”であって“肉体”ではない。だけど、同調させないとチグハグになり支障をきたす。もっと言うなら“魂・精神・肉体”を三位一体にすることで無敵の「私」が完成する✨✨
母の手料理は、いりこと昆布の出汁とお酢を多用するやさしい料理だった。口ぐせは「味の濃いものを食べたい時は、何かを足すんじゃなくて出汁を濃いめに取るのよ」。
私は昔から偏食があった。
今もスーパーで並ぶ調味料にはあまり手を出さない。口に合うものを取り寄せている。
唐辛子料理は口の中が痺れてお腹を下す。チューブのワサビはくしゃみが止まらない。(←本物ワサビは平気。) マスタードやからしは舌に針千本が刺されたみたい。コンソメ、ブイヨンは喉に刺激を感じる…。
調味料に限らず、食べ物の偏食は、単に好き嫌いが多いだけと捉えられがちだけどちょっと違う。
「口の中の感覚過敏」である場合が多い。
…とゆーか、本来は「過敏」なはず。繊細なものが読み取れなくなるというのは感覚が「鈍化」している場合もあると思っているのは私だけだろうか。。
でも、以前この記事でも書いたように、、↓
「〇〇でなければ」「〇〇は良くない」という感じで“良い悪い”という思考から抜け出せなくなると、これまた逆走😥。私は、その思考の沼にハマった過去も勿論ある。今は調味料に拘って自分の味つけで“愛ビーム”と“ハンドパワー”を駆使して“キラキラ食材”に変えているつもり😌✌️
とは言え私だって、しんどい時は抵抗せず冷凍食品を使うし外食でパパッと済ませることもある😊
私は実家を出るその日まで、母によってカラダに取り込む食材が選別されていたようだ。
自分で料理を始めるまで、口にしなくて済んでいたものが思いのほか多かったことに気づかされた。外食もインスタント食品もカップ麺もほとんど口にしてこなかった。
小さい頃からおやつはスーパーで1つ好きなものを選ばせてもらったけど、それ以外は母の手作り。バナナをカットしてワンタンの皮で包んで揚げたものや、パンの耳をカットしてフレンチトースト風にして砂糖をまぶしたもの、かんてんゼリーや安倍川餅やおはぎなどが私のいつものおやつだった(*´艸`*)
ファーストフードのマクドナルドやケンタッキーも子ども時代には一切食べなかったから、今も食べたいと思うことは無い。コーラは大きくなってからひと口飲んでみたけど、口に合わなかった。そもそも強炭酸の刺激は口の中が耐えられない😵💫デリバリーのピザは憧れだったのに、初めて許可されて(笑)、注文してもらったけど、結局口に合わなくてひと口食べて終了。ひたすら刺激に弱い人生を送ってきた。
新婚当初、スーパーで初めてバナナ🍌を買った。食べたら口の中が痺れたからビックリして吐き出した。例えると、歯医者の麻酔と同じ味がした(- -lll)
バナナの味がしないから不思議に思って母に相談したら、
「あ……アユちゃんそのバナナ買ったの👱💦」
そのブランドのバナナは母も絶対に買わないのだと言う。なるほどー。ガッテン😃
それからというもの、痺れるバナナとはサヨナラし
農薬不使用や減農薬のバナナ🍌を買うようにした😳
特定の商品にケチをつけたいわけじゃない。
だけど、“不自然なもの”をできるだけカラダに入れないということに行き着いた。当初は、それにとらわれるあまり偏りのある食生活で心身のバランスを崩して迷走したけど、最近ようやく自分のカラダが分かってきた😃✌️✨
農薬や化学調味料・添加物の良し悪しについて今さら議論するつもりはない。消費者一人が発言してもどーにもならないところまで来ている。でもあらゆる作物は地球上の全人類のうち誰かの口に入る。廃棄されるものも多いけど、それは結局、土に還る。またその土壌で作物が作られ、人や生き物の中を通り過ぎていく。
「売っているから仕方なく買っている」と主張する人もいると思うけど、ホントは逆。「買う人がいるから作られる」のだ。本当にカラダや生き物や、ひいては地球のことを考えるなら、消費者側がもっと賢くなって「NO」を言わないといけない。
「NO」というのは、つまり“買わない”ということで意思表示しなければならない。
それが「消費者の声」となり店に並ぶものが少しずつ変わっていく。生産者の応援にもつながる。
以前、「買いものは投票なんだ」という絵本を見かけた。まさにそうだと思った。
自らの買い物によって何を主張するか。お金という愛のエネルギーを何に使うか、しっかりと見極めなければならない時代だ。
そして心からの一票を投じたい😌
Ayumi☽
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