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父と暮らす。この80年で変わったもの、変わり得ないもの。

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「介護」と言う言葉は、過程という「経済の単位」が単なる「消費の単位」へと変質した1980年代に萌芽を見ることが出来る。「三丁目の夕日」ではないが失ったものを忘れないことで、もっと… もっと読む
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#介護

安楽死についての余り一般的でない議論

安楽死についての余り一般的でない議論

安楽死というのは議論が難しい。生命の尊厳、本人の意志、考慮に入れなければならない状況が多すぎる。介護施設に親を入れるというのは(世話しなくて良くなるのだから)家族からみたら安楽死と一緒である。死んだときとの違いは年金が振り込まれるかどうかである。

施設で親を見てもらうのはあたりまえのことである。自分も生きていかねばならないのに、家族の世話をしていたら共倒れになるのだ。だから仕方がないことなのだ。

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父と暮らす:認知症は幸せなのかもしれない。「記憶が失われること」と「心が狂うこと」とは違う。自分を知っている人がいなくなるという孤独。心を狂わせない食事。

父と暮らす:認知症は幸せなのかもしれない。「記憶が失われること」と「心が狂うこと」とは違う。自分を知っている人がいなくなるという孤独。心を狂わせない食事。

年取って辛いことはなんだと聞かれた老人が「若い頃を覚えていることだ」と映画「ストレイト・ストーリー」で主人公が応える。

なぜ、老人にとって記憶が失われることが悪いことなのだろうか?

僕は悪いことではないと思う。もう十分頑張ったのだ。静かに暮らすことがふさわしいじゃないか。

人が覚えている必要のないこと(覚えていると都合の悪いこと)を忘れるのは当たり前の反応なのだと考えるほうが良い。黒歴史は忘

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父と暮らす:「父との食事」家族という距離の生まれる理由。

父と暮らす:「父との食事」家族という距離の生まれる理由。

「綺麗、汚い」と言う感覚はなぜ、どこで生じるのだろう?随分考えさせられた。

年寄の食事は面倒だ。こういうのを上げ膳下げ膳というのだろう。冷凍された食事のパックを試したりもした(が僕が気に入らなかった)。父はとにかく文句を言わなかった。昼間は寝ていることが多く、朝も何時に来るかは決まっていなかった。夕食を食べに来て1時間位食べてから帰るのだった。酒もよく飲んだ。亡くなる直前まで飲んでいたのは嬉しか

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父と暮らす:妻との諍いの50%は両親、25%は子供、残りは僕の給料のやすさ。新しい「家政学」

父と暮らす:妻との諍いの50%は両親、25%は子供、残りは僕の給料のやすさ。新しい「家政学」

両親と顔を合わせれば、子供いつ出来るかとそんな話題になった。次男が生まれるの時は僕が独立て間もなくて、2人目の子供はいらないと言った。妻は僕の両親と10年話をしなかった。こういう話はよく聞く。

チョット考えてっもらいたい。もし、「年金を払っていない人」がいたらどう思う?父母の世代は子供が老後の世話をしてくれたのだ。つまり子供の数は今で言えば年金の加入と同じなのだ。いやもっと重要だった。

僕らは

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父と暮らす:2014年の父母との和解

父と暮らす:2014年の父母との和解

家族で共に生きるとは、変わってしまったお互いの間で新しい関係を築き、ともに生きること。

この頃から、母の具合は悪くなり、大変な時期になる。何種類もの薬を処方され(数年前からであった)、身体の状態は悪くなっていく。自分では料理を作れなくなり、一緒に話をしていても昨日まで覚えていたことを忘れる、何度も鍋を焦がした、風呂もわかせない。毎日着替えを探す。ほぼ毎日つきっきりで暮らすことになる。父は車の運転

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父と暮らす:父のメタモルフォーゼ 細胞からみた「分子栄養学」

父と暮らす:父のメタモルフォーゼ 細胞からみた「分子栄養学」

2019年7月位から、90歳の父は一切食事を摂らなくなった。8月末に突然起き上がって家に来た。10k以上痩せていた。まるで何もなかったように夜は一緒に一杯やった。

私たちの「身体というコロニー」で生きる細胞達は毎日死んでいく。そして「お代わりの出来ない臓器」が今の状態を維持できなった時にトリアージュが起こる。生き残れる細胞が残るために細胞の間引きが起こり新たな父の姿にメタモルフォーゼしたのだ。蛹

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父と暮らす:最後の日々

父と暮らす:最後の日々

いずれ生命は死を迎えます。しかし、その死の迎え方はこの80年で大きく変わったと言えるでしょう。

2020年3月に父を看取りました。91歳でした。母が2016年になくなってから、毎日父の食事を作りました。なんとか認知症(自分を見失う状態)にならないでもらいたいと思い食事を作り続けました。今の僕の食事はこの5年間の父の食事の延長にあります。

最後の1ヶ月は背骨の圧迫骨折で動けなくなり、ベッドで過ご

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