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「栄養学」が「時代」にアップデートしていない
「自分を信じれば良いのだ」と言う言葉は耳障りが良い。
しかし、問題がある。自分が「今、信じている物(知識や考え方)」って、いつ自分の中に滑り込んできたのだろうか?
僕を通り過ぎていった「物:知識」たち1970年代、僕が10歳の頃、父母の世代の教えは、『どっさり食べて好き嫌いをしない』である。そもそも貧しかったから皆痩せておったのである(笑)。「食」が商品になる前の時代である。
毎日作られる食事は
家族の肖像:僕の大好きなビル・マーレーと聖夜はすごそう。
ビル・マーレーってそんなにメジャーな俳優ではないが忘れられない。「三人のゴースト」と言う映画は、「スクルージー(クリスマス・キャロル)」を現代に翻案した映画だ。クリスマスにピッタリのお話である。今日のおすすめは、「ヴィンセントが教えてくれたこと」である。
誰もが老人になるいつか人生の終りがくると言うことをどうして思いつかないのだろうか。僕はII型糖尿病で失明を宣告された。食事を作れなくなってきた
「30年後の同窓会」神様はどこに? 格差、DV、セックとディールを考えた。
僕は映画が好きなのだが、ネット配信は嫌いだ。手軽に見れるから仕事にならないのである。アマゾンプライムの無料トライアルに入ったのだが。その事に気がついて辞めた。
とにかくずーっと違う映画流しながら仕事しているのだが、気になって仕方がない。
いくつかの映画にハマったのだが、この映画には心底やられた。ずーっとそばにいて欲しかったから、少しだけお金使って来てもらった。
レンタルでもいいのになと思った
父と暮らす:認知症は幸せなのかもしれない。「記憶が失われること」と「心が狂うこと」とは違う。自分を知っている人がいなくなるという孤独。心を狂わせない食事。
年取って辛いことはなんだと聞かれた老人が「若い頃を覚えていることだ」と映画「ストレイト・ストーリー」で主人公が応える。
なぜ、老人にとって記憶が失われることが悪いことなのだろうか?
僕は悪いことではないと思う。もう十分頑張ったのだ。静かに暮らすことがふさわしいじゃないか。
人が覚えている必要のないこと(覚えていると都合の悪いこと)を忘れるのは当たり前の反応なのだと考えるほうが良い。黒歴史は忘
父と暮らす:妻との諍いの50%は両親、25%は子供、残りは僕の給料のやすさ。新しい「家政学」
両親と顔を合わせれば、子供いつ出来るかとそんな話題になった。次男が生まれるの時は僕が独立て間もなくて、2人目の子供はいらないと言った。妻は僕の両親と10年話をしなかった。こういう話はよく聞く。
チョット考えてっもらいたい。もし、「年金を払っていない人」がいたらどう思う?父母の世代は子供が老後の世話をしてくれたのだ。つまり子供の数は今で言えば年金の加入と同じなのだ。いやもっと重要だった。
僕らは
父と暮らす:2014年の父母との和解
家族で共に生きるとは、変わってしまったお互いの間で新しい関係を築き、ともに生きること。
この頃から、母の具合は悪くなり、大変な時期になる。何種類もの薬を処方され(数年前からであった)、身体の状態は悪くなっていく。自分では料理を作れなくなり、一緒に話をしていても昨日まで覚えていたことを忘れる、何度も鍋を焦がした、風呂もわかせない。毎日着替えを探す。ほぼ毎日つきっきりで暮らすことになる。父は車の運転
父と暮らす:父のメタモルフォーゼ 細胞からみた「分子栄養学」
2019年7月位から、90歳の父は一切食事を摂らなくなった。8月末に突然起き上がって家に来た。10k以上痩せていた。まるで何もなかったように夜は一緒に一杯やった。
私たちの「身体というコロニー」で生きる細胞達は毎日死んでいく。そして「お代わりの出来ない臓器」が今の状態を維持できなった時にトリアージュが起こる。生き残れる細胞が残るために細胞の間引きが起こり新たな父の姿にメタモルフォーゼしたのだ。蛹
父と暮らす:最後の日々
いずれ生命は死を迎えます。しかし、その死の迎え方はこの80年で大きく変わったと言えるでしょう。
2020年3月に父を看取りました。91歳でした。母が2016年になくなってから、毎日父の食事を作りました。なんとか認知症(自分を見失う状態)にならないでもらいたいと思い食事を作り続けました。今の僕の食事はこの5年間の父の食事の延長にあります。
最後の1ヶ月は背骨の圧迫骨折で動けなくなり、ベッドで過ご