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父と暮らす:「父との食事」家族という距離の生まれる理由。

「綺麗、汚い」と言う感覚はなぜ、どこで生じるのだろう?随分考えさせられた。

年寄の食事は面倒だ。こういうのを上げ膳下げ膳というのだろう。冷凍された食事のパックを試したりもした(が僕が気に入らなかった)。父はとにかく文句を言わなかった。昼間は寝ていることが多く、朝も何時に来るかは決まっていなかった。夕食を食べに来て1時間位食べてから帰るのだった。酒もよく飲んだ。亡くなる直前まで飲んでいたのは嬉しかった(量は減ったが、良かったと思う)。

16時位から食事の用意をする習慣はこの頃から付いた。打ち合わせなどで外出するときは昼に用意してからいった。とにかく年寄りがいると生活の主体はそちらよりになる。

家に来て、僕は一緒に食べるのだが、子供や妻は食べなかった。食べているときにくしゃみなどしたら大騒ぎである。醤油差しもマヨネーズも別に用意した。箸も皿も別系統であった(僕は同じ)。

最初は嫌だったが一緒に食べている間に気にならなくなったのは不思議だった。なぜ、父との距離が縮んだのだろうか?毎日食事していく間に変わっていった。

綺麗とか汚いというような衛生感覚は気持ちでどうなるものでもない。マイクロバイオームが共有化されているかだと考えている。

いま子供は一緒に食べてくれない(笑)。

僕はマイクロバイオームが操っているのだという説に一票だ。


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商品化された食事というのは「作るに簡単、片付けるに手間いらず、誰もが大好き炭水化物」の3拍子だ。生活習慣病と言われる災厄や年取ってからの辛い人生の終わりは「商品化された食事」が原因だ。

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僕は毎食素材から食事を作る。朝は味噌汁と魚焼き器でなにか一品、夜はシブシャブ肉の汁と1〜2品、煮しめや煮付けは3日持つくらいの分量(週2回)を作る。揚げ物を忌避しないで、余った惣菜は仕立て直して食べる。

一回で食べきることはないくらいの量を作る。残ったものは回をまたいで食べていく。数回の食事で満足できるように組み立てる。

当然、次の食事のときに少し残ったものを皿にもる。朝魚を3種類焼いてよく日まで食べることが出来る。

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父の食事には教えられた。

父の食事を5年間毎日作った。そして一緒に食べた。何を食べて何を残すか(ほとんど残さなかった)多すぎるといいながら上思想に残ったものを小皿に入れて持っていって夜またいっぱいやっていた。

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多分その前から時折食事を作っては持っていっていたが、一緒に食べる回数は週に1回程度だった。なにせ毎日新潟の事務所で、泊まりがけの仕事もザラではなかった。

細かいものを翌日に持ち越すようにしたものだ。刺し身などは柵で買い、初日はそのまま食べてよく日は「ヅケ(醤油につけておく)」にして大体3日は持った。

その間に安いものが有れば買い足しておく。とにかく一品でおしまいという形は取らないように気を使った。

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父が自分を見失わなかったのは食事のおかげだと思っている。

できるだけ長く、人様の手を煩わせないで、ピンピンコロリと生きて、庭を眺めながら静かに逝きたい。

僕自身がこれから作り続けることが出来るか、試してみたい。そしてどう変わるかを記録に残していく。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。