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全治1年のケガを経験、母と弟に支えられた

入院から現在まで
母と弟の存在は、とても大きかったです
※父の存在は、以前と変わらずです

あまりの心細さに耐えられず
意を決して、医師に退院希望を伝えました
私の身体面と、自宅の環境面が整えば
退院してもいいと言われました

母は、整形外科治療で決められた入院日数(150日間)まで、入院してほしかったそうです
理由は在宅中の私に

何があるか分からないから

もし私が、家の中や母の留守中に、転倒したら…
リハビリが上手くいかなくて、喧嘩ばかりだったら…
後遺症が残ったら…
母自身、未経験のことばかりで
先々のことが、不安だったそうです

母の存在・支えは、とても大きかったです

救急搬送された当初は、私も母も頭の中が混乱し
電話越しで激しく、言い争いをしました
ですが術後、不安そうに私の顔を覗く母の顔を見て

私の心の中で、何かが変わりつつありました

そして、十数年ぶりに私は母のことを

『お母さん』と呼ぶようになり

『ありがとう』と言うようになりました

退院後のリハビリ通院や、外出時の送迎
散歩や色んなことを、手伝ってくれました
足が思うように動かず
今後の社会復帰に悩んでいた時も
励ましてくれました
感謝してもしきれません

✽  ✽  ✽


弟にも、感謝の気持ちでいっぱいです

私は中学生の頃からずっと、弟と会話をした記憶は
ありません
弟自身も中学生の頃から、私と関わりを持とうと
しませんでした
ですが、今回のケガがきっかけで
私から、弟と少しずつ関わりを持つ機会が
増えた気がします

母は入院申請書に、自分の携帯番号を
書き間違えるくらい、頭が混乱してました
私は初めて、弟の携帯にメッセージを送りました

『バイクで転倒し、緊急入院。
退院未定、お母さんのフォロー頼む』

「了解」と、返信がありました
私の入院中も時々、家に帰って来たり
手術日も、母と一緒に待っていてくれまし
手術を待つ間は心細く、弟がいてくれて良かったと
のちに母は、言ってました
退院後も、私のことを気にかけてくれてくれたり
現在も時々、家に帰って来てくれます

何十年も膠着した親子関係、きょうだい関係が
このような形で和らぎ始めるとは
思いませんでした

母や弟との関係に悩む時もありますが
今言えることは

『ありがとう』

この言葉だけです


読んでいただき、ありがとうございます🙇

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