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失敗は恐れなくて良い

この世界を窮屈だなって思った事はありませんか?



情報社会を生きる我々


ネットやsnsの発明に伴い「情報」と言う分野は20・21世紀にかけて一気に力を持ちました。

現代を生きる誰しもは、自分が「知りたいな」と思った事をgoogleに打ち込めば簡単にその答えを知る事ができます。

現代を生きる誰しもは、snsを開けば他人の生活スタイルやステータスを知る事ができます。


しかし、現代の人間はそうやってネットですぐに調べて正解がわかったり、snsを通して他人の煌びやかな生活や自分が誰かに見られているという視線を感じることによって、どんどん世界は便利になっていくというのもあるのですが、それと同時にお互いのことが従来よりもはっきり見えるし評価できるからどんどん個人の世界は窮屈にもなっています。


「正解はこうだから。」

「自分のこの考えは受け入れられるのだろうか。」


こうやって個人の世界は窮屈に、失敗することがどんどん許されない社会になってきていると思うんですよね。



心理学歴10年、まひろです。

僕の記事では心理学を10年間勉強することによってわかった、人間の本質的な行動原理である「自然の法則」を元にビジネスメソッドの発信をしています。

要するにまひろは心理学の知識を使ってビジネスのやり方を発信している者です。



人類は先代の偉人たちが積み上げてきた知識を活用して、超便利なインターネットやsnsと言う最強の情報ツールを生み出しました。

このように、科学は時代が経てば経つだけ発達します。それはなぜかと言うと、知識を文字やデータにすることによって人間は過去の発見や発明を次の代へと引き継ぐことができるからです。


しかし、その科学を人間が使いこなせるかと言うと、必ずしもそうではない。それはなぜかと言うと、人間には死があるからです。


人間は脳の中身を保存できるわけでも文字に起こせるわけでもデータ化できるわけでもありませんよね。人間はいつしか必ず死んでしまうし、死んだら日本では火葬にして骨にしてしまいますよね。


わかりやすく例えると、科学がドラゴンボールだとすると人間はサザエさんです。ドラゴンボールは毎話ストーリーが繋がっていますよね。例えば悟空はいきなりフリーザトは戦いません。

クリリンと出会ったり、亀仙人に弟子入りしたり、ピッコロ大魔王と戦ったりというストーリーが繋がってフリーザと戦います。

これと同じように、科学もこういう発見や進展があったからこの技術が開発された。みたいなことが毎回続いていくんですよね。


サザエさんって1話ごとで話が完結していますよね。例えば、カツオがテストで低い点数を取ったのに野球をしに遊びに行ったから波平に怒られた、という感じで1話でストーリーが完結します。

別に波平に怒られた後にカツオがどうなったかなんて話は次週に続きませんよね。

これと同じように、人間も生まれてから死ぬまでの1話で完結しているんですよね。自分の人生を他人が引く継ぐことはできません。



小中高で僕達が習った社会の「歴史」という科目では、先代の人間の生活レベルの低さや戦争などの醜い一面ばかりを見せてきます。さも先代の人間が現代の人間より劣っていると思わせたいかのように。

しかし、どの時代を生きる人間もホモ・サピエンスと言うことに変わりはないです。昔マンモスを追いかけ回していた人間も、そして今この記事を読んでくださっている読者様も、今この記事を書いている時に屁をこいたまひろ(筆者)も、全員同じホモ・サピエンスという人間です。


じゃあ昔と今の人間は何が違うのかというと「常識」が違うのです。


例えば、食品の保存方法の時代による常識の違いってめちゃめちゃ面白いんですよね。

昭和初期、まだ現代レベルの科学がなかった時代は、どうやって食品を保存していたのかというと氷を保冷性が高い容器に入れて食品を腐らなくさせるのが「常識」でした。

氷を入れただけの容器を昔の人は冷蔵庫として使っていたのです。だから氷が溶けたらまた新しい氷を仕入れてを昔の人は繰り返していたのです。そして、アイスは溶けてしまうので家にストックできません。

もっと時代を遡れば、野菜などは紐でくくって川に浸しておくのが、昔の人にとっての冷蔵庫でした。そして、アイスは溶けて流れてしまうので川にストックできません。



現代人の「常識」からすれば、こんなのおかしくて仕方がないですよね。

現代の冷蔵庫は素晴らしいです。家に電気を契約して、冷蔵庫のプラグをコンセントにさして終わり。

別にわざわざ定期的に氷を仕入れる必要もなければ、わざわざ川に行く必要もない。それに氷や川と違って氷点下まで温度を下げられるので、お家でアイスだってストックできます。


これが「常識」です。

科学は時間が経てば経つだけ発展しますから、当前現代は科学が世界を支配していますから「常識」もそれに伴い発達しますよね。

こうやって「常識」が時代ごとに違うから、先代の方々はあたかも現代の自分たちに劣っているように見えるんでうしょね。


ちなみに、現代のこういう側面を一切説明しない・考えさせない学校の教育は個人的にはどうかと思いますが。


確かに「科学」は時間が経てば経つほど発展します。だから科学が支配しているこの世界では、それに伴い「常識」も時代によって発展します。


しかしその「科学」や「常識」を使っている「人間」はどうでしょうか?


確かに科学や常識は時間が経てば経つほど発展するのだけれども、人間という存在はどの時代になっても変わらない。


果たして、今を生きるどれぐらいの割合の人が「冷蔵庫」の原理を理解しているでしょうか?

ヒートポンプの仕組みや原理を理解している人なんて、ごくごく少数でしょう。試しに周りの人に聞いてみてください。よほどの学歴エリート集団だなければ、ほとんどの方は「知らない」と答えると思います。


そういう意味で科学を知らない人間にとっては、宗教も科学も同じようなものなのでしょうね。

今の科学が世界を支配しているこの時代、宗教と科学を並べた時に「科学の方が正しい」と言う人間は圧倒的に多いですが、僕は冷蔵庫の原理すら理解できない・知らない多数の人にとっては科学も宗教も同じようなものなんだろうなと思います。


昔の人が「神に生贄を捧げよう」と言って、大勢が死んでしまう災害や不作を避けようとして少数の人間を殺していた文化と、現代の人が「食品は冷蔵庫に入れておこう。」と言って、食品はとりあえず冷蔵庫に入れる文化は一緒のことだと思いませんか?

実際は神がいるかすら知らない宗教を信じる人間も、実際はどういう原理で動いているかすら知らない科学を使う人間も同じですよね。

むしろめちゃくちゃな原理ですが、まだその儀式の原理自体を理解していた先代の人間の方がひょっとして賢かったんじゃないかとすら思えるぐらいに。 


このように、科学は時間が経てば経つほど発展していきますが、それを使う人間はいつの時代も変わりません。なぜなら、人間は科学のように引き継げないからです。


これは余談ですが、確かに人間は科学のように引き継げないのですが、受け継ぐことはできる。科学のようにはいきませんが、他人がどうやってこの問題を解決してきたか、というヒントを得ることはできます。

それは何かと言うと、哲学・小説・歴史などを知ることです。自分が悩んだり困っていることって、結構過去を探すと同じようなことで悩んだり困ったりしていた人もいるんですよね。それはなぜかというと、自分もその人も同じ人間だからです。

だから、まあ言い方によってはカンニングとも言えますが、そうやって過去の人間が残した問題の解決方法を知ったりするのは賢いやり方ですよね。その分、自分は次のステップへ行けますから。


ここまで「科学は時間が経てば発達するが人間はいつの時代になっても変わらない。」ということを長々と説明してきましたが、これで僕が何を言いたかったのかというと「もう現代の科学には、ほとんどの人間が追いつけていない」ということです。こんなことを言っている僕自身も、幼い頃から科学を追いかけてきた方なのですが全く追いつけていません。


それは冒頭でも話したインターネットやsnsなども含まれます。


確かに、インターネットやsnsは人類が積み上げてきた科学の発見や開発の賜物に他ならないものです。僕的にも知りたいことをすぐに知れるツールはめちゃくちゃありがたいと思っています。

インターネットやsnsの発明でビジネスもそうですが、いろんな分野での可能性はググッと広がりました。


しかしそれとは反対でインターネットやsnsですぐに答えが見つかったり、他人の生活が簡単に見えるからこそ(僕はこの言葉があまり好きじゃないのであまり使いたくないですが)、個性の幅は確実に狭くなっていっています。そしてそれによって無意識の間に「人間が科学を使う」という従来の構図から「人間が科学に使われる」という構図へ現代は成り果てています。

なぜこんなことになったのかと言うと、人間は変わらないけど科学は変わっていくからです。


確かに僕達は同じ「ホモ・サピエンス」という同じ種類の人間で、どの時代の人間も良くも悪くもあまり変わらないのですが、それでも一人一人の育った環境や体験からなる、価値観や考え方は確実に自分のものだけです。

こればっかりは同じ人間でも、人によって全く違います。


でも最近は例えば芸能人などの著名人の不倫や問題言動による炎上とかありますよね。一般人だって炎上することもありますよね。


確かに、他人を傷つけたり侮辱したりする言動は、互いが互いを支え合っているこの人間社会を見れば間違っている。そんなことをしてはこの関係が成り立たないから。

だから他人を傷つけたり侮辱する言動はしてはいけない。それで炎上するのも仕方がないとも思います。


それゆえ、一応心理学を10年勉強してきた僕は、よくその知識を使ってマーケティングやブランディングで世間で起きた流行や騒動を分析したりすることが多いのですが、その時のよく思うのが

今の時代は特に人の目を気にしたり、失敗を怖がっている人が多すぎるな

と思うんですよね。

これが人間が科学に使われた結果です。



失敗を恐れていませんか?


現代の人間はsnsやインターネットを通して「物事の正解」や「他人からの視線や評価」を気にします。例えば芸能人の不倫報道や著名人の不適切な言動があれば、今の時代人はすぐに他人を批判するし否定します。

だから多くの人はそう言ったことを見ているからこそ、失敗を恐れすぎている。


でもねこうも思いませんか。


失敗なんて誰でもするものでしょう?



失敗は誰でもするもの


失敗をしたことがない人間なんていません。どんな天才や秀才や誠実な人間でも失敗をしたことはあります。それがその失敗が他人を傷つけたかどうかはこの際どうでもよくて、僕が何を言いたいのかというと「失敗なんてして当たり前でしょう」ということです。

僕ももう年齢的にも良い大人なのですが、昨日深夜に「松本人志のつまみになる話」をゲラゲラ笑いながら見ていたら、後日不動産の方から注意がありましたから。


失敗は大小あれど誰でもするものです。


だから多くの人はこう言う時に「失敗しないようにしよう」と考えます。そうして失敗しないようにするにはどうすれば良いのかと考えた末に、自分が集団に染まったり、自分の殻にこもったり、失敗しないように突き詰めるという選択を多くの人は取ってしまうんですよね。


確かに「失敗をしないように練習する」これはとても大切なことです。スケート選手の羽生結弦選手は試合で自分の不調の時のパフォーマンスでも優勝できるぐらいにパフォーマンスを仕上げると言う方法で数々の輝かしい成績を残されてきています。

それ以外でも、自分の最低ラインを合格のボーダーラインに持ってくるという手法は多くの成功者が実践しているビジネスメソッドでもあります。


だから「失敗しないようにする努力」はとても大切です。


しかし、僕はこれって正しいのか?って思うんですよね。


人間って誰でも失敗しますよね。失敗したことがない人間なんていません。失敗があるから人間は新しいことに気が付けるし、成長します。


だから確かに「失敗をしないようにする努力」ではなく、僕は本当に大切なことは「失敗をどうするか」


失敗したとしても、その失敗を活かせるか活かせないか。ここが一番大切なことであり、この思考こそがメインなんですよ。

確かに失敗なんてなければないに越したことなんてないから「失敗しないようにする努力」もある程度はもちろん大切で、するべきです。

でも僕達は神でもましてや天才でもない。

だから失敗を恐る必要なんて本来はなくて、大切なのは「失敗をどうするか」という失敗を活かせるかどうかなんです。


炎上を起こしている人達は自分の事を神かなんかと間違えているバカです。そんな奴らの目線なんて気にしなくて良いんですよ、だってバカなんだから。バカの言うことは聞いても損するだけでしょう。


だから失敗をする事を恐れる必要はない。



「失敗は恐れてはいけない。恐れなくてはいけないのは、失敗を恐れて何もしなくなる事だ。」


これはかの本田技研工場、通称「ホンダ」という大企業を立ち上げた本田宗一郎が残した言葉です。

あんなに日本の経済を牛耳っているホンダを作られた方ですら、失敗はする言われているのですから。


だから失敗する事を恐れず、どんどんチャレンジする精神をもっと大切にしてみてください。


なぜなら失敗なんて誰でもするし、怖いものでもなんでもないのですから。失敗したらそれを活かして自分が成長すれば良いだけなのですから。



それでは、あなたの人生がより豊かになるようにまひろは心のそこから応援しています。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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