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「私を家政婦だと思わないでほしい」と妻は言った。
「私を家政婦だと思わないでほしい」と妻は言った。障害者を背負う重圧に耐えられなかったらしい。僕からそんなことは一言も言っていないのだが。最初は妻も僕が障害を負っても能天気に構えていた。いずれ運命が味方してくれて快復するだろうと。途中で急に現実に気付いたらしく夫を生涯支えることは出来ないと悟った。このままでは自分は障害者を支える家政婦になるとでも思ったのだろうか。この発想がどこから出てきたのか分から
もっとみる多発性硬化症から回復中。読書する時間がたくさんある。
時間があるので最近はよく読書をしている。贅沢な時間だと思う。1日中読書をしたりブログを書いたりしている。ここまで好きなことが好きなように出来る時間は滅多にない。
ポジティブに考えるなら僕が多発性硬化症にかかったおかげだ。少なくとも2年ほどは障害年金で月に13万円ほどが支給されるのだ。13万円というと少なく思える。だが非課税というアドバンテージが大きい。あとは住民税や国民年金や国民保険も減免された
鬱と多発性硬化症と他殺願望
鬱がひどいころはひどかった。自殺願望だけではなく他殺願望が起こった。あの頃はひたすら頭の中で自殺計画について考えていた。だがもし自殺が失敗すれば次からは周りが止めるだろう。だからチャンスは1度きりだ。自分の思い通りに死ぬためにはまず邪魔者を消さなければいけない。つまり手順としては周りを殺してから自分が死ななければいけない。そんなやばい思考がぐるぐると巡っていた。思考どころではない。そいつは衝動だっ
もっとみるインチキ整体列伝 — 神経難病に無力な東洋医学
僕には多発性硬化症という持病がある。だが長年理由が分からずに病院や整体の扉を叩いていた。
僕の出会った整体はインチキばかりだった。
今思えば彼らはまったくのデタラメしか言っていなかった。自分たちの流儀に合わせてテキトウに理由を当てはめて商売のレールに乗せるだけなのだ。
無責任な整体
たとえばILC国際腰痛クリニックという名前の整体もひどかった。よく分からないがまるで医療機関のような名前をつ
鬱からの仕事復帰は再発が気になるという当たり前の話。
僕は鬱から回復した後、少しずつ少しずつ仕事に戻ろうとしている。今は月に20時間程度も働いていない。熱心に趣味に没頭することでエネルギーを取り戻そうとしているところだ。
だがまた新しくちょっとした仕事の話が持ち上がって久しぶりに客先のマネージャーの人とビデオ通話で話すことになった。だけどこの話し合いの予定が決まってからなんだか心が落ち着かない。もう1年ほどは感じていない鬱的な感じが心に表れたような
多発性硬化症と鬱。悪循環のスパイラル。
多発性硬化症で体が動きにくい。同時に鬱にもかかった。絶体絶命のピンチだった。これはやばいと思った。それぞれのヤバさが相乗効果となって心身にのしかかってるのだった。単体で相手をするよりも数倍は危険な状態だったと思う。
僕が鬱にかかった原因のひとつはコロナによる自宅での閉鎖環境だったと思う。鬱の根本原因に閉鎖環境での働きすぎがあった。だが多発性硬化症で体が動かない。つまり鬱を治すために外に出て必要な
神経難病の「多発性硬化症」 VS 精神科の「身体症状症(身体表現性障害)」
まだ僕が多発性硬化症と診断されておらず、症状が原因不明だった頃の話だ。
僕は鬱とほぼ同時期に体が悪化したので、身体症状症の疑いが持ち上がった。
家族がネットで色々な情報を調べてくれて、この症状に行き当たったのだ。
そして脳神経内科の医師も「身体症状症の可能性がある」という言葉を口にしたので、家族の予測は確信に変わった。
しかし結果は違った。僕は後に正しく多発性硬化症と診断されたのだ。
僕
神経難病「多発性硬化症」から奇跡の回復をして普通の人生を歩み始めた僕。
いまこうして回復していることは奇跡のように思える。
もし仮に新薬ケシンプタの開発が1年でも遅ければ、もう手遅れだったかもしれない。つまり社会生活に戻れる望みはなかったかもしれない。
今はまだ、仕事への本格復帰を目指してのリハビリ中だとはいえ、趣味には精を出し、エネルギーも少しずつ元に戻ってきている。
あまりに自分を取り戻しているので、逆にこれが奇跡だということを忘れてしまうぐらいだ。
普通
1次進行性の多発性硬化症が新薬「ケシンプタ」で奇跡の回復!
多発性硬化症、通称MS。
本来、MSの薬は治療薬ではない。根本治療の方法が確立されていないからこそ難病なのだ。
だが2021年末に日本でも認可された新薬ケシンプタによって、僕の病状は何故か回復に向かっている。
今は月に1回の通院でペンタイプの注射を打っている。治療はそれが全てだ。
僕の担当医であるMS専門医に聞くと、他の患者でも背中の激痛が収まったりと、効果があらわれているようだ。
神経