難病が回復してもハンディキャップは残る。


難病が奇跡的に回復してきている。もちろんこれは望ましいことだ。病は重症よりも軽症な方が生きやすいに決まっている。

だけど軽症には軽症なりのハンディキャップもある。それは社会福祉が受けられないという点だ。

たとえば僕はいま月に13万円の障害年金を受け取っている。症状が一番重いときに認定されたものだ。だが1年後には更新の時期がやって来る。僕の症状は相当程度に回復しているので、恐らく認定の等級が落ちて支給額が半減するか、もしくは全く打ち切られてしまうだろう。そうすると僕はハンディキャップを負って社会生活をしなければいけなくなる。

福祉の認定基準も完全でないという難しさがある。生活しづらさのレベルに完全に対応したサポートが得られるわけではない。人間の審査や測定というものには限界があるからだ。

僕の場合は目に見えた症状は回復しているがなんだか体が疲れやすいような気がする。だがしかし疲れやすさは障害の認定レベルに関係ない。あくまでも四肢の動作レベルなど、測定可能な基準に応じて障害年金の等級は決まるはずだ。僕はいちど鬱になったこともある。今では症状が寛解しているが再発のリスクは怖い。だからと言って今発症しているわけではない症状に対して社会福祉が助けてくれるわけではない。つまり僕は重大な疾患のない人に比べるとハンディキャップを背負って生きる必要があるというわけだ。

だけど人生とはそんなものかもしれない。どんなハンディキャップもない人のほうが珍しいだろう。ある人は思い腰痛持ちかもしれないし、ある人はADHD的な気質を持っているかもしれない。ある人は毒親の元に生まれたかもしれないし、ある人は生まれつき容姿に恵まれていないかもしれない。

それにハンディキャップは自分へのポジティブな言い訳にできないだろうか。たとえば人並みの成果しか出せていなくても、ハンディキャップがあるにも関わらずよくやったと考えることが出来るかもしれない。まあ、正直そのとおりなのかもしれないが。

まあこれもゲームだと思って前向きに生きていこう。

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