見出し画像

神経難病「多発性硬化症」から奇跡の回復をして普通の人生を歩み始めた僕。



いまこうして回復していることは奇跡のように思える。

もし仮に新薬ケシンプタの開発が1年でも遅ければ、もう手遅れだったかもしれない。つまり社会生活に戻れる望みはなかったかもしれない。

今はまだ、仕事への本格復帰を目指してのリハビリ中だとはいえ、趣味には精を出し、エネルギーも少しずつ元に戻ってきている。

あまりに自分を取り戻しているので、逆にこれが奇跡だということを忘れてしまうぐらいだ。

普通の人生としての悩み、普通の人生としての課題が降り掛かってくる。

僕の人生はいつでも、ギリギリのところでセーフが続いてきた。

今回もどうにかセーフゾーンに滑り込み、残りの人生を味わえることとなった。

たとえば世の中でも、ギリギリのところで交通事故に巻き込まれるのを逃れた人などは、なんとも奇妙な感覚を抱くという。自分もほんのちょっとした偶然の違いで、この世にいなくてもおかしくなかったのだと。

そう考えると、僕らの人生は神の意思でも自分の意思でもなく、ただの偶然に影響されている部分も大きい。

僕で言えば医療技術の発達という、自分自身ではどうにも出来ない偶然によって体が助けられた。それがなければ今でも「あちら側」にいたかもしれないのだ。

病状がひどい頃は、本当にひどかった。

  • 歩くことが出来ず、外出ができない。

  • 座って体を起こしていられないので、パソコンやゲームも出来ない

  • いつ自分で入浴ができなくなるか、用を足せなくなるかに怯えながら過ごす

生活が崩壊し始めていた。

すると、未来に待ち受けているのは何だろうか?

身動きも取れず、家族あるいはヘルパーの人に介護されながら、ほとんど同じ部屋で同じ壁を見ながら過ごす、人生の終わりまでの長い長い年月である。

そして自分で用を足すことも出来ないので、オムツを取り替えてもらい、食事も食べさせてもらいながら過ごす。妻も恋人もおらず、ただ息をしているだけの体になる。

身震いがした。頭がおかしくなりそうだった。

僕が思い描く未来では、首を吊って死のうと思っても自分では出来ない。なぜなら恐らくもう体が動かないだろうから。

死ぬにしても今を逃したらもうチャンスはない。頭の中では1日中、なるべく苦痛なく死ぬ方法の具体的なシミュレーションばかりしていた。むしろそれだけが心の支えだった。

だが今ではこれが奇跡だとは思わない

振り返らなければ忘れてしまう。

僕らはどうやら、自然と自分の命に感謝できるようには出来ていないようだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?