仕事中毒のプログラマが鬱にかかる
僕はプログラマだ。
鬱からはしばらく前に抜けて今は仕事のリハビリ中だ。
今日は久しぶりにプログラムのコードレビューというものをした。なんだか自分を取り戻したような気がした。自分が自分であるような感覚。自信のある感覚。
一般的にも鬱からの回復状態の印としてこの感覚がキーになると聞いたことがある。
![](https://assets.st-note.com/img/1660883607324-GfciXApSy5.png)
仕事には独特の高揚感がある。
人間が集中するための多くがそこに揃っている。
目指すべき目標がある。締切がある。他の人との話し合いがある。始業時間と就業時間がある。平日と休日の区切りがある。
仕事は美味しい。甘い蜜だ。
だからこそ中毒性もある。
やろうと思えば果てしなく出来てしまう。プログラミングをするのもチャットツールを使うのも中毒性がある。
なので今度は中断する努力が必要になる。たとえばチャットツールは必要な時にだけ使う。いちど閉じたらもうそのまま使わないなどの努力と工夫が。
僕はかつて休憩と中断が苦手すぎて壊れてしまった。
休日にもひたすらに仕事を続けていた。
休憩のとり方が全く分からなかったのだ。色々と工夫してみたけれどダメだった。むしろゆっくりと休んだ後に途方も無い疲労感を感じることが多かった。
それが大きな悩みだったが解決できなかった。そしてついに破綻してしまったのだ。
多発性硬化症と鬱
多発性硬化症も間接原因となり鬱を誘発したように思う。むしろ根本原因だったかもしれない。
なにせ体が思うように動かせない。運動で発散やリラクゼーションをすることが出来ないのだ。エネルギーの発散する先がない。
何故かカフェでゆっくりと過ごすことも出来なくなっていた。とにかくゆっくりすることが苦痛なのだ。ゆっくりしている方が大きく精神エネルギーを消費するような気がした。
本当に仕事中毒に陥っていた。多発性硬化症の症状によって体は動かなくなるばかり。プログラマの仕事をやめたら他に出来る仕事なんてまるでないと思った。たとえばコンビニのアルバイトだって立って歩く必要がある。全力の力を振り絞って高収入のプログラマの仕事を保つかもしくは死に至るか。崖っぷちに立っているような気分だった。選べる道が少なすぎた。
だが二度同じ間違いは犯さない
いま僕に必要なのは休止の技術である。
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