「私を家政婦だと思わないでほしい」と妻は言った。


「私を家政婦だと思わないでほしい」と妻は言った。障害者を背負う重圧に耐えられなかったらしい。僕からそんなことは一言も言っていないのだが。最初は妻も僕が障害を負っても能天気に構えていた。いずれ運命が味方してくれて快復するだろうと。途中で急に現実に気付いたらしく夫を生涯支えることは出来ないと悟った。このままでは自分は障害者を支える家政婦になるとでも思ったのだろうか。この発想がどこから出てきたのか分からない。自分が障害者を捨てたひどい人間にはなりたくない。自己防衛本能が働いていたのかもしれない。だから自分を家政婦扱いされようとしている被害者だと思い込んだのだ。人間は上手に自分を守るための嘘をつく。僕らは離婚した。僕は離婚届にサインをしてあげた。僕だって妻の立場なら同じように振る舞ったかもしれない。人間は弱いものだ。自分を守るためならば必死になる。生涯障害者の世話を見ることは出来ない。誰だってしたくないだろう。するのは否応なしに運命を背負わされた人だけだ。僕は別に生活の多くを社会福祉のヘルパーなどに頼っても良かった。妻には一緒にいてほしいと思った。心の支えが欲しかったのだ。これもエゴだ。エゴとエゴのぶつかりあい。「私を家政婦だと思わないでほしい」という言葉で妻は自分のエゴを正当化した。僕はまた別のエゴで妻を否定するだろう。

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