神経難病の「多発性硬化症」 VS 精神科の「身体症状症(身体表現性障害)」
まだ僕が多発性硬化症と診断されておらず、症状が原因不明だった頃の話だ。
僕は鬱とほぼ同時期に体が悪化したので、身体症状症の疑いが持ち上がった。
家族がネットで色々な情報を調べてくれて、この症状に行き当たったのだ。
そして脳神経内科の医師も「身体症状症の可能性がある」という言葉を口にしたので、家族の予測は確信に変わった。
しかし結果は違った。僕は後に正しく多発性硬化症と診断されたのだ。
僕がこれを「身体症状症でない」と判断する理由はいくつかあった
鬱の症状は回復してきているのに、逆に体の症状は悪化してきていること。
鬱の発症よりずっと前から、体の症状は長期間にわたって悪化してきたこと。
身体的な動作が症状に影響していること。たとえば足に力を入れて歩くと、強いしびれが数週間起こるなどすること。(ただこれに関しては、多発性硬化症の説明としても納得がいかない気持ちもするが)
だがその時の僕らは、それを身体症状症だと考えるしかなかったのだ。
何故なら脳神経内科で精密検査を受けたにも関わらず、何も診断されず、神経的な原因は除外せざるをえなかったからだ。
僕自身と言えば、色々と考えたり自分の体で試行錯誤した結果、やはり何か医学でも発見できないような神経難病なのだと考えるようになった。
身体症状症の説明にはめちゃくちゃな部分がある
「身体症状症の人は自分を身体症状症だと認めたがらない」というような説明がネットに載っていたそうな。
この一文だけを考えるとひどい。
患者が「自分は身体症状症ではないと思う」と発言した場合、それ自体が身体症状症の兆候として受け取られてしまうのだから。
それが真実、明確な証拠をもってして身体症状症ではないと思える場合にも、そうとらえられてしまうのであれば、有害な判定基準だと思わざるを得ない。
もちろん実際に医学的な判断はもっと複数の条件でおこなわれるのだろうが、ネットで見つかった情報を元に、母と家族とでは認識のギャップが生じていた。
僕が「自分は身体症状症ではないと思う」と述べるたびに、家族は「身体症状症の特徴として、自分は身体症状症ではないと思う症状がある」ということを述べて、僕を身体症状症だろうと診断するのだった。
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