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浸かってきたカルチャーの舞台は、四畳半だった
影響を受けたカルチャーが生まれたのは、四畳半だった。しかも風呂なし・共用トイレ。それが、音楽や小説の中に登場した、想像を膨らませた舞台だった。
しかし最近は六畳以上・風呂あり・トイレありが主流らしい。音楽や小説で四畳半という単語をひさしく聞かなくなった気がする。
ふつうは生活水準が上がったことをよろこぶところだが、あの狭い空間から生まれた、鬱々とした創作物にわたしは美しさを感じていた。
#四畳
同じ場所からみるちがう風景
2年ぶりに赤城神社に立ち寄った。
1ヶ月ちがうが、前に来たときも春のあたたかな日だった。
あのときは心機一転しようとする最後の休日だったことを、今日同じ場所に来ることでふと思い出した。
おみくじを引いて、人が少ないお気に入りの場所で眺める。
愛って相槌かもしれないね
このタイトルは、「相槌」って打とうとしたら、愛が変換の最初にきてしまって打たさっただけなのだけれど、その瞬間、この相槌についてのテーマと愛がリンクしているな、それに韻も踏んでいるやんというよくわからないハイに入ってしまい、こんなタイトルになった。ここまで読んで、「おもしれぇ人間」と頭の中の道明寺司に言わせられる人はこの先も読んでみていただきたい。
自分のなかで頑なに閉じこめてしまって言えないと思
日付に対して感じること
10年前の今日、わたしは国公立大学の後期試験を受けるため、他県にいた。
地震の少ない地域に住んでいたから、とても驚いたことと、テレビから流れる情報がとても現実には思えなくて呆然としていたが、揺れたが震度が大きい地域から少し離れていたこともあり、現実味が伴わず、どこか冷静である自分もいた感覚が残っている。
そうして10年が経った今日、日付はふつうに跨いだし、深夜ラジオもいつも通り聴いていた。日常を
親とまったく折り合いがつかなくても
親は選べないと誰かが言った。
だが、親もこどもを選べないこともまた然りだ。
ここを忘れて親だけを批判していたときがあった。
もちろん気をつけなければ今でもすぐそうなってしまう。
ちがう言語を扱う人間なんだ、と思うようになってから、もう理解し合うことを諦めた、意思疎通を放棄した。
そもそも、親であってもなくても、「絶対的に自分が正しい」と信じて止まない人間(親)に対して、彼らより下だと思われてい
"共感"ではなく"共有"
年末からずっと考えていることがある。
もう3月だから、100日近く考えたことになる。
自分自身で何か体験すると、うれしかったり悲しかったり、さまざまな感情が生じる。心が動く。
それを大切な人に伝えたいとき、すべて理解はされなくて構わない。価値観はお互いに育った環境がちがうのだから当然だし、むしろそれぞれの考えを尊重し合いたい。
ただ、その価値観のちがいから生まれる受け取り方の差を、言葉を尽く
広告を好きになったきっかけ~転職を決意するまで
はじめまして、みです。
高校生の頃から文系に興味があったのですが、実家の都合で理系に進学してここまできました。
そして進学し、理系の専攻を活かして就職したものの、広告への興味が薄まらずコピーライター養成講座に通い、現在異業種からコピーライターへの転職活動中です。
1.はじめて目に焼き付いた広告
大学4年生の秋、新御茶ノ水駅の階段に差し掛かるとき、大きな広告に目が留まった。まずそのビジュアルに惹か