見出し画像

広告を好きになったきっかけ~転職を決意するまで

はじめまして、みです。
高校生の頃から文系に興味があったのですが、実家の都合で理系に進学してここまできました。
そして進学し、理系の専攻を活かして就職したものの、広告への興味が薄まらずコピーライター養成講座に通い、現在異業種からコピーライターへの転職活動中です。

1.はじめて目に焼き付いた広告
大学4年生の秋、新御茶ノ水駅の階段に差し掛かるとき、大きな広告に目が留まった。まずそのビジュアルに惹かれ、次にそこに書いてある言葉に衝撃を受けた。「運命を狂わすほどの恋を、女は忘れられる。」と書いてあった。感情に関して聞いたことのある「女性は上書き保存」という通説をとてもドラマチックかつ的確に言い当てている表現に度肝を抜かれた。しかしこのときは乗り換えの移動中で急いでいたことと、広告のビジュアルの印象が強すぎて、右下に表示されていたデパート名に気付かなかった。帰宅してからインターネットで調べようにも、言葉を正確に検索できなかったため、結局なんの広告かわからぬままでモヤモヤしたことを覚えている。

2.偶然の再会?
そして翌年、大学院1年生の春、新宿駅の南口で再び気になる広告を目にした。秋に見たものに比べるとサイズはかなり小さかったが、青色を背景に桜の花びらが舞っているビジュアルにまず惹かれ、その次に目に飛び込んできた言葉「恋は奇跡、愛は意思。」にもまた驚いた。この言葉を読んでとても腑に落ちた感覚になったのは、恋は特定の人に対する一時の有限の感情であるのに対し、愛は本人の意思や努力のもと続く無限の感情であるなと考えていたため、このコピーはそのぼんやりとした思考を明確に表現してくれていて、とても真理を突いているように感じたからだと思う。また、今回は覚えていられる文字数だったので、帰宅し検索してみた。すると、前年に新御茶ノ水駅で見た広告と同じデパートLUMINEの広告であり、さらに両方とも同じ方、尾形真理子さんが書いていたという事実に二重で驚いた。恥ずかしいことに、このときに広告業界やコピーライターという職業を初めて知った。(理系で進学しており家族も理系ばかりだったため元々の知識が皆無でした。それから、大学4年生までは部活漬けで土日も試合で遊びに出かけていなかったため、LUMINEの存在を知りませんでした。)
余談だが大学2年生の冬に大型就活イベントのバイトをしていた頃、広告業界の有名企業の名前を目にしたのだが、面白い漢字の使い方している長い名前の会社だなくらいにしか思っていなかった。しかしこの企業の名前がなんと上記の尾形さんのプロフィールに載っており、なんだか点が線になったような感覚に襲われた。このLUMINEの広告との一連の出会いが私が広告を好きになったきっかけだったと言える。使っていたtwitterではクリエイターの方々のアカウントを芋づる式にフォローしていった。

3.新卒の就職活動
1年が経ち大学院2年生の春3月、ついに新卒の就職活動が始まった。
解禁間もない頃は専攻を活かせる業界のほかに広告業界の学内や企業説明会にも参加していたが、私は要領が悪い方だ。就活は研究(実験)と並走しなければならないし、第一に大学で一般教養科目でも広告のことはなにひとつ勉強してこなかった身であるため、志望業界を専攻分野に絞ることにした。

4.専攻を活かして入社した先には(社会人1年目)
就職活動も終わり、卒業式を終え、入社した会社では幸いなことに大学で学んだ知識を少し活かして仕事ができた。しかし、それよりなにより週2日もしっかり何もない日があることがとても新鮮だった。前述の通り大学4年生までは部活がほぼ週7であり、研究室に配属されてからも土日も大学に通う生活だったため、つまり大学生活はほとんど週7通学が当たり前になっていた。だから入社1年目は土日両方ともお休みなことがとにかくうれしくて、大学の友人と遊んだり、行ってみたかっとところへ行った。夏に大学の先輩方と会う機会があって、仕事なにしてるのと訊かれてこの内容を答えたとき、「それって機械にかけるだけでその間なにもしなくていいじゃん」と突っ込まれてうまく返せなかった。雑多な書類仕事はあるにはあるが、納品されたサンプルのメーカー名や番号が正しいかの確認くらいでそんなに時間はかからない。仕事に慣れてきた秋頃、大学で得た知識を少し使うものの、主な業務は特殊な機器にかけて出てきたサンプルのデータ整理を行うことであり、機器の扱いに慣れてさえしまえば全く頭を使わない仕事であった。会社の裏側もうっすら見えてきた頃でぼんやりと転職の考えがチラついていた。そして冬になり、家にテレビがなかった私は、帰宅してからはもっぱらtwitterやサイトでライターの記事を読んだりしていた。そして翌春、新卒の就職活動で要領が悪いからと諦めたコピーライターへの憧れが薄れておらず、異業種へ転職するなら最初の転職しかチャンスがないと考えた私は、
「コピーライター 未経験 転職」で検索していた。宣伝会議のコピーライター養成講座がトップに引っかかったので見てみると、体験講座が目に留まった。

5.はじめての広告の勉強(社会人2年目)
転職を検討し始めたものの、大学で広告に関することを一切勉強してこなかったので、憧れだけで転職を考えるのは危険だ。まずは体系的に知識をつけてみて、それから真剣に転職を検討しようと思い、体験講座に参加した。会場の大教室は土曜日の夜なのに満席で、こんなにコピーライターを目指す人がいるのかと圧倒された。(あとからわかったが既にコピーライターの方ももちろんいた。)そして講義内容は目から鱗が落ちる内容ばかりで、さらに無料体験なのに受講生が書いたコピーを講師の方が目を通して優秀なものの講評を行ってくれた。講評のコピーには選ばれなかったが、大学の講義よりワクワクして聴いていた私は迷わず受講を決意した。社会人1年目は土日両方とも休みであることが楽しかったが、貯金もできたし、どうせ2日も休みなのだからせっかくなら好きなことの勉強に1日充てようと考えた。

6.コピーライター養成講座基礎コース(社会人2年目)
いざ通い始めると最初は有名なコピーライターの講師陣の講義やほかの受講生の優秀なコピー(各講師陣から出題される課題に全員取り組み、優秀なコピーは講評で取り上げられ、フィードバックされ、金の鉛筆がもらえる)に圧倒されるばかりだった。講座に通う前はコピーは特別な才能を持った人間が書いている文章だと思っていたが、ひとつひとつのコピーの裏には緻密に張り巡らされた論理的思考の繰り返しがあると知ることができたことが一番の収穫だった。半年ある講座の前半期間では全く講評されなかったが、後半に差し掛かると少しずつ講評に引っかかるようになった。そして卒業制作でようやく念願叶って金の鉛筆を滑り込みで頂けた。10月になり半年通った講座を修了したが、基礎知識を得ただけだから転職にはまだ実力が足りないと思って一旦保留という決断にした。そしてそこからは宣伝会議賞やラジオCMなどの公募に挑戦していた。結果は惨敗だった。

7.先輩コース(社会人3年目)
基礎コースを修了したものの、転職にはまだまだ実力が足らないと考え、春からは先輩コースに通うことにした。基礎コースでは大御所のコピーライターの方々が登壇してくださったが、あまり若手の方にはお会いしなかったため、30代くらいで戦っている方の講義も受けてみたいと思ったからだ。先輩コースは受講生11名中7名がコピーライター6,7年目の中堅社員や転局してコピーライターになった方々であり、課題のレベルは基礎コースと比べ物にならないほど高く、とても刺激的だった。
この頃、いつまでたっても今じゃないまだ違うと言い訳ばかりしていた私は、勤めていた会社の経営が怪しくなってきたこともあり、転職を決意した。

この記事が参加している募集

#自己紹介

229,687件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?