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病院で受けたボディーブローと努力の仕方

沢山のことに耐えながら、できることを最大限やり、毎日毎日頑張っていた。

自分で自分に様々な言葉をかけながら、励ましたり、奮い立たせたりしていた。

「生きてるだけで偉い」

心からそう思えた。

そんな中、病院のスタッフの口癖は「頑張ってください。」

あの手この手でもっとやらせようと工夫して...くださいました。と表現すべきではあるのだろう。

既に彼らが見えないところで自分の限界にチャレンジし続けていた私は、120%頑張っていた。毎日、24時間。

その120%の頑張りを、150%に上げるための彼らの工夫は『無理』だったのだ。

じゃぁ、自分でリハビリせずに、相手に合わせればいいじゃないかと思うかもしれない。

しかし、体調の日内変動もあり、スタッフが来たタイミングで活動できないことも多かった。

やれる時にやる。
できる分だけやる。
許容量を超えないように気をつけてはいても、反動が出てしまう時もある。

そして、最も重要な点は、「限界ギリギリの健全な頑張り」と、有害になってしまう「無理」が紙一重であること。

だからと言って、身体を動かさなければ、筋肉は落ちる一方だ。また、他の様々な機能が衰退する。だから、可能な範囲内で限界を地道に押し上げる努力が必要なのだ。

「最大限の努力」は行いつつ、「無理」にならない所でやめておくことが非常に大切なのだ。

「無理」な程の動作を促されるたびに、丁重にお断りして、繰り返した言葉は↓

『無理できないんです。』

可能であれば、説明も加えた。

「無理すると、再発することがあるんです。」

稀にもう少し長めのワンセンテンスを発するだけの時間があれば「無理して症状が強くなるだけなら、耐えればいいだけなんでいいんですけど、再発のトリガーになることがあるんですよ。」と補足した。

それでも、やらせようとする周り。

「無理」この一言では、どの動作が無理に相当し、どれがそうではないかが明確ではないのだろうか。

動作が増える工夫に、心を刺激する工夫も加え始めた。

「たかが少し疲れたくらいで再発するわけがない」と思っていたのだろう。

『ただの怠惰』という思い込み

その時に、理学療法士が変わった。

ーーー新しい人の最初の一言と私の想いーーー

初対面の人に、「目標を持てなくなっている、ナマケモノ」と言われ、

その時は頭に来たが、

病名も知らず、
認識能力も欠如し、
想像力も欠如し、
思考しない癖すら付いている、
可哀想な人。

いちいち、どっかの誰かが、どうでもいいことをほざく度に気に障ってたら馬鹿みたい。

忘れよう!

13:52     22/06/2021
ーーー

まぁ、上記の添付記事にある通り、毎日ゴールを持ち、長期的な目標も明確に持っていた。できる範囲内で最大限の努力をして、頑張っている真っ只中に「目標を持っていない」・「頑張り方を忘れた」と言われたら、あなたならどう思うだろうか。

言葉選びに気を遣っていても、内容は「怠け者」と同じだ。例えるなら、「元お姉さん」と言われても、「おばさん」と言われても、あんまり変わらない心境に似ていると想像する。

新型コロナ対策で、【全面面会謝絶】

外界との接触制限は同時に、私の心の中のスタッフの発言のウェイトを増加させた。長期入院となると、尚のことスタッフの存在が大きい。

彼らの優しさが嬉しい度合いも、些細なことでのダメージの度合いも増してしまう。

やりたいのにできない身体を持ち、
まだまだ病状は安定してはいなかった。

それでも、改善前の死闘を耐え抜き、現状にも耐え、常に改善を意識して行動していた最中の批難に

傷ついた。

しかし、切り替えた...つもりだった。

切り替えられていませんね。

挑発に乗りかけてますね。そんな自分に気が付き、抑えていた。

元々リハビリももっとやりたくて、でも、自制しないと呼吸が止まって蘇生されなければいけない事態に繋がるようなリスクが高かった。

この世に存在する全ての受けられる治療は受けた。血漿交換、抗がん剤治療、骨髄移植もね。にも関わらず、再発した。

移植後再発は治療が難しい。

新薬に漕ぎ着けて、やっとの思いで改善傾向になって来た。快復からは程遠い。「改善傾向」ではあったものの、「このままいけば、寛解に突入できそうかも」という道標がようやく見えて来た程度の、まだまだ予断を許さない状態であった。

ーーーこの頃の生の声ーーー

吹けば崩れる拮抗をかろうじて保ち、

順調に見える回復を際どい所でどうにか維持

「無理」=「傍から見たら極軽度の負荷」
であることに気がついていたのはただ一人

可視化できないと理解できない。苦しむ姿を見て初めて「頑張ってる」って評価することに困惑

20:51      27/06/2021

ーーー

無理してしまったら、誰の責任?
再発させて一番苦しむのは誰?

私だ。

失われるのは、私の時間と人生、果てには命だ。

本人のためと、信じて疑わなかったのだろう。実は危険なことを押し付けていると認識できていなかったのも分かる。忙しくて、一人の患者に費やす時間などなかなか取れないのも想像できる。いや、見れば分かる。部屋に来た瞬間から、次の業務に意識が移っていたのは見れば分かる。

((目の前の患者を直視して、一生懸命みてくれていた病院やスタッフもいる分、これを言うのは心苦しいです。また、これは過度を超えた過重労働の中、一部の人から受けた印象です。やむを得なかったであろうとも思っています。決して全スタッフから受けた印象ではありません。))

いくら知らないし、理解していないとは言え、苦痛を生んではいた。

来る日も来る日も、スタッフと接触すれば無理なリハビリを強いられそうになる。

やりたいが、断るしかない。好きで断ってなどおらず、涙を堪え、唇を噛んで、悔しさが溢れそうな中、頑張って断っているのだ。

断る苦痛にも耐え、自衛のために断っていたのだ。

表情は笑顔で、ヘラヘラしているだろう。だが、心中は葛藤に塗れていた。

ーーーこの時、こう書き残しているーーー

適切な努力と無理は違う。

頑張ってる人に、無理を超えた無理を強制する行為は、いくら良かれと思っていても害。

実害で生命を脅かす事態の引き金になり得る場合、それはもう「リハビリ」とか「回復援助」ではなく...

なんと呼ぶ?

13:24   26/06/2021

ーーー

この時、『悪意から来る害よりも、善意から出た行動や発言が有害な場合の方がよっぽど対処も防御も難しい』ということを知った。

どれだけ頑張って自制していたか...

そして、彼らが皆私の決死の「無理回避のお願い」の意味、そして『病状悪化』の本当の恐ろしさを知ったのは、1-2週間「無理できないんです。」、「無理すると病状が悪化するんです。」と訴え続けた中だった。侮辱→挑発→誘惑→挑発。ここで「無理」とギリギリの行動をとってしまった。悔しい。私がもっと強ければ、断り切れただろうに。

患者は患者でしかない?

でも、本人にしか分からないこともある。
本人だから分かることもある。

それまでが、あたかも順調に見えたのは、想像を絶する自制心で、たとえ些細な行動でも、徹底的にその瞬間の無理、その日を総合的に捉えた時のトータルの行動が限界以上ではないと確かめながら、慎重に行動し、リハビリをし、休息も十分にとっていたからだ。

徹底的に「予防」していたのだ。

そして、雲行きが怪しくなりそうな兆候が有れば、多少過度でも休んでいた。無理してからでは遅い。

崩れるのは一瞬でも、回復するまでどれほどの時間がかかりることか。血の滲むような努力が必要なことか。

動いて、トレーニングを積み重ねることが改善の唯一の手段で、病状に影響がない疾患もある。このような疾患の患者には、心を鬼にしてでも、必要以上に休ませないことや、疲労感をある程度無視してリハビリに励むよう促すことが大切だろう。

しかし、全ての人が自分が慣れている公式に当てはまらないことを知っていただきたい。

そして、休むことや「無理をしないこと」もリハビリの一環ではないだろうか。

何もリハビリに限ったことではない。人間メリハリが大切では?

やる時はやる。

そして、休む時はしっかり休む。

ーーー<後書き>ーーー

...過重労働を通り越しても、辞めずに勤務を続けてくれる医療従事者がいるから、生きられる身としては、発言内容を考える必要があるとも思います。

しかし、助けてもらって感謝する気持ちがいくら強くても、

ここは大変で苦しかったから知ってもらいたいという気持ちが消えるわけではありません。

お互いに気持ちよく、安全に前進するために言葉に出して伝えずしては、伝わらないこともあると思います。ここはあえて遠慮の心を抑えて、発言することを選びます。

スタッフの方々の対応は99%が丁寧で、誠実で...本当にいくらお礼を言っても足りません。本当に頭が上がりません。

たった1%が、皆んなが一丸となって闘って来た病魔の火に油を注ぐ行為なら、私が遠慮して黙することは、結局は全ての人に迷惑だと思います。

結局治療も介助も増える。

それこそ、スタッフにこそ一番迷惑な話ではないでしょうか。

本当に、心から感謝していることは多いです。

このリハビリを促そうとした心にも、「心」には、感謝はしています。

ただ、良かれと思って、仕事として行ってくれていたことが、私の疾患には有害だった。ただ、それだけのこと。

稀な疾患なのだから、知らなくて当然だと思います。

ただ、私の言うことに聞く耳は持って欲しかったです。

火を目にした人が、「以前火傷したことがあるから、日の中に指を突っ込むのは危険です。」これは正当な意見だと思います。また、もし火の危険性を知らなければ、この忠告から学習すべきだと誰もが思うのではないでしょうか。それは、火が熱いのは皆が知っているから。

医療現場では、クリニカルパスや電子化、DPC...等により、多数派の疾患に固定のプロトコールを適応する傾向が強まっています。コロナ禍では、以前にも増して統一化が重んじられていませんか?そんな中、典型的なクリニカルパスから外れる、希少疾患の存在の認知度を上げたいと思っています。

そして、fit for all な全員に同じ治療や対応を適応するやり方が当てはまらない場合もあることを知ってもらいたいです。

自分の知っている「常識」の範疇で、決めつけないで欲しいというのが一番です。

見た目や以前の経験からは想像が難しい状態も、この世には存在するでしょう。広い心と視野を持って、知らない事に遭遇した時に「これ知らない、なんだろう?」とオープンな姿勢を保っていただきたいです。

一人の人間が知りうる知識など、たかが知れています。知らないことは恥ではないと思います。しかし、そもそも「知らないことだと気がつけない」ことは非常に危険なこともあるのだ。知らないのに、知っているふりをすることで、知るチャンスを逃すのも場合によっては愚かだと思います。

知らないのであれば、聞くなり、調べるなり、いくらでも方法はあるでしょう。

世界は広い。知らない事の方が多いでしょう。

そもそもの前提から真っ白なプラットフォームでスタートすることがプラスに働くことは多いです。

事象を謙虚に受け止め、
それに対して行動を取ることが大切な時があります。

目の前の事に対してのリアクションと、
事前に決めていた行動を取るのは違いますね。

前者の方が柔軟です。

後者は、同じ学校の学生はMサイズの制服しか着れないのと似ていませんか。

身長130cmの生徒と190cmの生徒が全く同じ服を着用して快適で安全な生活を送るのは無理がありませんか?

人間の身体、病状、治療、リハビリなども、一つの公式のようなスタイルが万人にベストな物とは限りません。

パーソナライズド・メディスン、即ちテイラー医療...とクリニカルパス、逆行しているかのような二つを共存させるのは難しいかも知れません。

それでも、「未知の可能性」という概念を念頭に置いておいていただけると幸いです。稀な疾患を持つ患者さんに遭遇した際に、何かの役に立つかも知れません。

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