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ジェンダー委員会資料

 こんにちは、近所にグルテンフリーレストランができてめちゃめちゃうれしいとまよこ りゃんシーです。女性媚びしてなくて古くて暗い感じで居心地は良い。店主も暗い感じで陰キャには通いやすい。

 さて前回書いたようにジェンダー外来で受診拒否されてしまったので、せっかくなのでそこで書くように言われた自分史をシェアします。
 てか5年前にも同じ事させられたんですけどね。その時は結局副腎疲労症候群の疲労感を陰性の統合失調症だと誤診されて入院騒ぎになって変な投薬(しかも無理矢理筋注)させられて逃げてうやむやになってたので、体調整えて3度目のジェンダー外来だったんですけども。あの時MRIも染色体検査もHTPPもWEIS(2回目)もしたんやぞ(怒)しかもその時のデータは残ってないって言うし検査結果の発行に何万もかかるとか言われて(母さんが)やめたから手元に血液検査結果以外何もないし…
 何で今回受診拒否されたかって言うと若干ややこしいんですけど、そもそもそこを紹介した晴和病院の診断ミスがあって「紹介状と話が違う」みたいになったんだと思います。晴和病院、発達障害診断のための材料を親からの生育歴の証言だけに依存してて、「もうこれ以上発達障害増やしたくないし、どうせ発達障害じゃないから」みたいな投げやりな応対だったし、僕(本人)の話に聞く耳持たない感じで、ネグレクトしてた母の証言だけで診断したから母さんが「(放ったらかしてたので)全然気づきませんでした」っていう証言を「幼少期のエピソードに乏しい」って判断して診断ミスみたいになってて、それで紹介された病院が実際僕と話して「これはうちの手に負えないなー」ってなったみたいです(怒)こんな事ばっかりだよこの10年。まともな精神科医はいないのか?
 まあでも実際僕は性別違和のほうがより生きづらいと主観では感じてんだから発達障害<性別違和という診断は合ってるんだけど、それなら10年前に初めてジェンダー外来に行った時の発達障害>性同一性障害って診断は何やったんか…それのせいで同意書書いてもらえなかったんやぞ…それで腹立ってがむしゃらに生活してたら副腎疲労症候群になったんだけど。今思うと一番の原因はグルテンかな?


~小学校

  • 母親から母乳を飲ませてもらった事がないらしい。

  • 男子に混じってスカートめくりをして、「女の子のおしりは冷やしちゃダメ」と怒られた。なぜスカートめくりをしていたのかは分からない。

  • セーラームーンが、好きだったのか不明だが、真似していた。ポーズを取ると大人が喜ぶからだったと思う。異性装のような感覚があったかもしれないし分からない。カメラに写ること自体は嫌いではなかった。セーラームーンの中での好きなキャラは「セーラーマーズ」だった。

  • ディズニープリンセスのコスプレをして遊んでいた。これは確か能動的にしていたように思う。一緒にする従姉妹がいたが、その子に誘われて、だった気もする。そのとき、プリンスのほうがいいという感覚はなかったように思う。女の子のドレスなどは可愛いと思っていた。特に「ティアラ」や「カチューシャ」を好んでいて、お気に入りが幾つかあった。王子は認識すらしていなかった。

  • きかんしゃトーマスが凄く好きだったが、アンパンマンは全く興味がなかった。近くにきかんしゃトーマスとタイアップしたレストランがあり、そこに行くとすごく楽しかった。

  • 可愛いものも、車も電車も特に好きなものはなかった気がする。ただ、女の子だからと、可愛いシールを与えられていて、それを疑問には思っていなかったと思う

  • 人形の服を自作するのが好きだった。針と糸で作っていて、器用だと褒められた。

  • 幼稚園では、特に仲のいい友達とかはいなかった。たいていは一人で遊んでいた。ごっこ遊びも何回か参加したが、そのうち誘われなくなった気がする。男子と何かをずっとしたという思い出はない。女子ともないが、母の創価学会関係の知り合いの娘やその弟とよく遊ばされていた。そのときはテレビゲームやブランコをしていた。お人形などを共有して遊ぶことはなかった。

  • 幼稚園では「おねえちゃん」とか「おませさん」と言われていたらしい。周りの男の子より学習の発達が早かったような気もするが、今思うと偏りがあっただけだ。

  • キューティーハニー(フラッシュ)が流行り出して、今考えると女児向けと思えない肌の露出だった。キューティーハニーは凄く大好きでお色気のシーンもとても好きだった(特に探偵の男性が転んで主人公の胸を触ってしまうシーンを生まれて初めて見て感激して何度も観た)。特に色々な職業になるところに惹かれたし、スパイものである点が良かった。

  • お人形遊びは好きだった。友達がいなかったから、お人形という友達を作って空想の世界にふけることが増えた。おしゃれ(自分が着るのではなくファッションそのもの)にも興味があったが、高校生の時にデザインしたものを「ポケモンみたいな服ばっか」と言われてから興味と言うか自信がなくなった。そもそもあまり興味もなかったかもしれない。自分が着飾ることに関しては生まれて一度も興味がない。

  • 立ちションをすると怒られたのがずっと不服で、自分も立ちションできると思っていた。実際、ラストで多少パンツが濡れるができるという事にしていた。

  • 同じクラスのRさんにバレンタインクッキーをもらい、非常に嬉しかった。かわいかった。

  • 父が女性に対して性的な目で見る事を隠さない人間だった。成長して胸が膨らんでくるとじっと胸を見られたりして非常に不快だった。写真を撮る時も色っぽいポーズをすると喜んだ。

  • 母が自己愛性人格障害のヒステリーだった。女性のロールモデルを母しか知らなかったため、女は頭が悪く知性がなく感情的でヒステリーで自己中心的で傍若無人で話の通じないクズな性別だと思っていた。そんな人間に堕ちるのがとても嫌だった。

小学校(前半)

  • 周りが「明日のナージャ」や「おジャ魔女どれみ」などの女児向けアニメにハマっていたが、自分は面白くなかったし、「女の子向けのアニメを観るなんて恥ずかしい」と思っていた。

  • 母親からよく「ブス」と言われるようになった。その頃から、女性として生きるイメージが全くつかなくなった。

  • 男子とフィジカルの喧嘩をすることは多かった。

  • 女子にはへりくだる(です、ます)のに男子に対しては乱暴(おい~しろよ等)だった。これは現在でも変わらない。何故なのかは今でもよく分からない。女性社会に所属しているからかもしれない。「女性には優しくしなければ」と思ったのかもしれない。

  • 近所に輸入おもちゃ屋さんができて、誕生日にアメ車のミニカーを買ってもらった。普段買ってもらうのはポケモンカードや知恵の輪、ゲームソフトなどが多かった。「お人形遊び」は継続して行う。

  • 女の子が鉄棒をしていてパンツが見えたので「パンツ見えた!黒いチェックのパンツ!」と叫んだら、「男子のいる所で有り得ない」と言われ絶交され、その後6年間本当に絶交された。その頃から「女子は別の生き物」という感覚が強くなってきた。

  • 少女漫画は好んで読んだ。『神風怪盗ジャンヌ』『怪盗セイントテール』『ウエディング・ピーチ』『電脳少女Mink』等。少年漫画はアニメを観ていた(ONEPIECE、デジモン、ポケモン、犬夜叉、ヒカルの碁、テニスの王子様、NARUTO、デスノート、アイシールド21、マクロス、戦隊もの、等々…)。なぜか少女漫画のアニメは観なかった。恥ずかしかった?『ポケットモンスタースペシャル』は買っていた。父が『名探偵コナン』を買っていたので読んでいた。小説はほとんど読まなかったが『ぼくは王さま』『かいけつゾロリ』グリム童話などがあった。漫画雑誌は買ってもらえなかった。あとはポケモンの攻略本やゲーム雑誌を読んでいた。

  • 父と母は、よく「これだから男は」「これだから女は」と言っていた。父は「女は自分の事しか喋らない」「女の運転は下手くそだ」とばかにしたり母は「男は女を奴隷だと思っている」と毛嫌いしたりしている。母は九州出身で男尊女卑が激しい家庭で育ち「男なんて」といつも言っている。自分のミスやできないことを「女のせい」だと思われることが嫌で勉強などを完璧にしなければと思うようになっていった。とにかくばかにされることが何より嫌だった。

  • 『クレヨンしんちゃん』には全く興味がなく、面白いと思わなかった。

  • 生理が始まったことに関しては特に何も思わなかった。ケツから血が出てくるだけだと思っていた。生理痛もつらくなかったが、もちろん嫌ではあった。すぐ手術してなくなるからと深く考えなかった。なるべく考えたくなかった。

  • ポケモンのアニメで、主人公が帽子の懸賞に当たる為にハガキを100枚出したというエピソードがあり、その時に言ったセリフに「男ってのはこだわる生き物なんだ」といったようなものがあった。その時自分の中でパズルのピースがはまったような気がして、一気にポケモンのファンになった。それからは、何をするにもポケモンのことばかり考えていた。その時のシナリオライターの富岡氏はASDを公表しているわけではないが、その後も主人公と、「ポケモンの気持ちを考えられないトレーナー」というキャラクターを対立させたりしていた。父もこだわりが強く、自分もこだわりが強い為、やはり自分は男なのだと強く確信したことが印象に強く残っている。その後30歳になるまでずっと「自分はASDだから男だと思っているだけではないのか」とずっと自問自答し続ける事になった。この頃からサトシがロールモデルになった。性転換したら名前は「智(さとし)」にしようと思っていた。

  • 部屋の壁に「ぼくは男になる!」と書いた。

  • テレビで性同一性障害についての特集をしていて、そこで初めて性同一性障害を知った。その時、母に性転換したいと伝えたら、「性別を変えるなんて最大の親不孝よ」と叱られ、それ以来カミングアウトはしていない。

  • 生まれてこのかたブラジャーをした事がない。パンツも最初は女子用だったが男子用じゃなきゃ嫌だとごねてからは母は男子用を買ってくれる。今でも。今は特に何も言われない。

  • 「〇〇君のこと好きなんでしょ」とか言われて違うと怒ると「ムキになってますます怪しい」とか言われるので、もう全部諦めた

  • ランドセルは男女共通だったが、書道用具入れが赤かったため黒が良いとごねる。結局誰かと交換してもらった記憶。

  • 咽頭異常感症で小児精神科へ行った。思えばその時性別の違和感を医師に言うべきだったか?なぜ言わなかったか分からないが母親にチクられてまた叱られたくないと思ったか、大人に対する不信感があったのかもしれない。自分が異常であると言う自覚があまりなかったのもある。

小学校(後半)

  • 父がとにかく母を見下しており、今でも僕を否定する時は「お前はお母さんと一緒だね」などと言う。女と言うものを見下しており、女は食事を作る以外に何もできない生き物だと思っている。

  • なぜか星柄のデニムのロングスカートを欲しがって、買ってもらったのだが、結局一度も履けなかった。服として可愛いと思ったが自分が履くことには抵抗があったのかもしれない。これなら履けると思ったのかもしれない。自分が女の子と言うイメージがつかなかった。

  • 絵画教室で「この年齢で男の子も女の子もまんべんなく描くのは(絵の)素質があります」と言われたことがある。

  • 何かの会話でスポーツ選手かカーレーサーかなにかを「かっこいい~」と言ったら驚かれた。そしてその時、自分が「こうなりたい」という意味で「かっこいい」と言った事が、間違って伝わったことを察したが、どう訂正すればよいか分からなかった。

  • 恋愛と言うものがまったく分からず、ある日女子生徒に「好きな人誰?」と聞かれ、「よくわからない」と答え、「じゃあ、一番喋ってて楽しい男子は?」と聞かれたのでポケモン友達の中村君の名を挙げたら翌日自分が中村君の事を好きだという噂になっており、どう否定すればいいか分からず、それきり中村君と遊ばなくなった。たぶん、誤解をどうすれば解けるか分からなかったからだと思う。恋愛はよくわからなかった。

  • クラスの意地悪な女子が、「女の子のりゃんシーちゃ~ん」とわざわざ言ってきていた。中学でその子より先に英検準2級の資格を取って自慢したらすっきりした。この頃から、勉強以外を捨てるようになっていった。

  • 「お前にはコレ付いてねぇだろ」と、男子が男性器を見せてきたが気色悪いので目を逸らした。

  • 男女分けの時に男子の側につきたいと毎回グズるため、授業が進まず先生にも呆れられるしクラスからもいつも怒られた。ただでさえいつもクラスの足を引っ張るので、本当に邪魔者扱いされていて、とまよこだけは殴っても蹴っても良いという扱いだった。先生にも何度か呼び出され、「本当に男になりたいのか」と聞かれたが、配慮してもらえる時代ではなかった。その時ベランダで男性教官と2人きりになるが、怖さを感じ、とても嫌だった。ほかの女子生徒たちも同じように相談していたが嫌そうにしていなかった。

  • 制服にスラックスがあり、自分のことを誰も知らない土地に行きたかったし、柔道部が強豪だった工学院大学附属中学校に進学を決めた。柔道をたくさんやりたいと思った。中学では性別違和の事は誰にも言わないでおこうと思った。

  • 何かのイベントの入場者プレゼントが男女で色が違っていて、当然のように女子用を渡されて物凄く悲しかった。

  • 同じクラスの村上さんともっと仲良くなりたいと思っていたがどうすれば良いか分からなかった。

  • 男子を押し倒してからかって遊んだ。

  • 発達障害もあり、就職して働くイメージがまったくつかなかった。「家電メーカーとかなんかそういうとこで営業か経理的なことでもして定年まで堅実に働く」という望みはあったがまぁ無理だろうと思っていた。ポケモンに本当に命を救われたので、やはり自分のような居場所のない子供たちに夢を与える仕事がしたいと思い、インターネットを使って何かできないかと考えていた。最悪漫画家ならペンと紙だけでなれるから最終手段として漫画家になるという計画を立てた。そのためには体力づくりが必要だと思い、筋トレを始めた。漫画家として働くときに、ホルモン剤を打ちに行く時間がないかもしれないし、お金もかかることだから、生理がなくなりさえすれば大体男に見られるし、喉は別途手術で低くすればそれでいいかもくらいに考えていた。友達を作る気はなかった。日本社会でまともに男性として溶け込んでいこうという意志はさらさらなかった。女とバレてもまぁ別にいいか、「ジェンダー」と言うものに強いこだわりがある訳ではなかったのか、バレるわけがないと思っていたのか、深く考えていなかったのか。第一印象が騙せれば良いと思ったのか、深い付き合いをする気がなかったのか。

  • 自分の名前が嫌いだったから、ずっと「益兀(マコツ)」という名前を名乗っていた。インターネットでの名前にも使っていて、どんどんインターネットのほうが生活のメインになっていた。もしインターネットがなかったら自殺していたと思う。何人かの優しいクラスメートはマコツと呼んでくれた。その頃から自分の下の名前を日常的に使う事はほぼなくなった。

  • もしなんの仕事もなかったら体を売ればいいと思っていた。その事に抵抗は不思議となかった。もし、自分が美人だったら、男性心理が分かるから水商売向いてるかもとか考えていたし、実際そうしていた可能性が高い。

  • 鈴木君という背の高い男子がいて話しかけるときにほかの男子とは違う話しかけづらさを感じた。頭を叩いて「おい」とか言ったりした。ある時足で通せんぼされたので思い切り蹴り飛ばしたら骨折していた。ハゲの歌を歌ったり空想科学読本を読むタイプの男子だった。

  • 好きなイラストレーターがいたので母に見せたら、「これ男向けでしょ」と気分を悪くしていた。ちなみにこのイラストレーターは女性である。

  • 林間学校で制服を着てない時、並んでいたら後ろの男子に「なんだとまよこか!カンチョーするとこだった!」と言われて寂しかった。

  • 深夜にテレビを観ていたら「オレは男だー!」と叫ぶ女の子のアニメ(『天使な小生意気』…魔法の本の力で女になった主人公が男に戻る為に魔法の本を探す)をやっていて、観たいと思ったが寝てしまいあまり観ることができなかった。当時はボーイッシュな女の子の話だと思っていた。

  • 家庭教師が来た。男子大学生、女子大学生が来た。休憩時間に母がお菓子を差し入れるのだが、母に「男の先生の時は食べないのになんで女の先生の時は食べるの?」と聞かれた。当時は男の先生は「食べる?」と聞かれたから食べないと答えて女の先生は「食べて」と言われたから食べたと思ったが、今思うと女性は断りにくい気がする。

  • クラスに「さちこ」と呼ばれる佐藤君という男子がいた。「マンガみたいな恋がしたいな~」と言っていたが意味が分からなかった。現在Facebookを見る限りでは普通の男性として生きているようだがフード付きのパジャマを着ている写真などがあった。でも男子とよく喧嘩もしていた(どのような喧嘩かは不明)。

  • 柔道クラブで、自分だけ柔道着の下にTシャツを着なければいけないのが嫌だった。かっこ悪いと思った。

  • 劇でチンピラ役をやったら似合ってると言われた。

  • 海の林間学校が生理と重なり、「生理です」と言うのが嫌で家出した(林間学校の出発の日に歩いて国分寺から日野まで行く。三重県の友人を訪ねるつもりだった)普段のプールの授業は生理中はどうしていたのか覚えていない。学校を休んでいた?

  • 何かで交番に行った時に「ご職業は?」と聞かれて小学生と言ったら驚かれた

  • 父は「キスして欲しいの?」「抱き締めてあげる」などと今でも言う。

  • 横山さん、榎戸さん、小島さんなど気の強い女子がめちゃくちゃ苦手だった。女子は怖い、よく分からない、偉大という印象しかなかった。優しい女子もいたかもしれないがあまり接点がなかった。話し掛けてくるのはいじめっ子ばかりだったように思う。

中学校

  • 柔道を頑張ろうと思ったが全くついていけず、発達障害のせいで馴染めなかったこともあり退部した。

  • 生理用ナプキンを持ち歩く事に抵抗があり1日中「夜用」をしていた。

  • どんどん人と目が合わせられなくなってきたが、なぜかは分からなかった。今思えば視力が悪くなっていたのかもしれないけど、ますます他者が怖くなっていて、自分と異質の生き物という感覚が強かった。

  • 図書館の人に「森村君に本が届いたって伝えて」と言われたが森村君が誰か分からず、授業中に手紙を書いて回してもらったら、その後6年間ずっと森村君と話している時だけなぜかクラス中が黙るようになった。

  • クラスに自分と同じようにスラックスを履く女子(礒沼さん)がいて、一人称が「自分」の子がいて仲良くなって一緒に柔道部に入ったが、発達障害のせいで仲良くなれず疎遠になった。「君も性同一性障害なの?」とは結局聞けなかった。今は柔道整復師のようなことをしているらしいが性転換したのかは聞いていない。

  • 家庭科の授業でできた料理を、女子が「こばやん(小林君)にでもあげたら?」と言うので大声で「こばやーーーーん」呼んで料理をあげた。何故そんなことを言われたのかはよく分からない。

  • 女子から「キモッ」と言われることが増えた。

  • 幼稚園でクラスが同じだったRさんとまたクラスが同じになって一人で「運命なのかも…」と興奮していた。将来は渋谷で結婚したいと思っていた(渋谷はパートナーシップがあるから)。でも一番大きい感情は「あんな美人と幼馴染なのは俺だけなんだぞ」という古参ファンのような優越感だった。

  • 石川さんという陽キャ女子がいてグループに誘われたので入った。自分と礒沼さんを除くと、だいたい女子4人男子2人のような感じだった。放課後につるんでカラオケに行ったりしていたがなぜか次第に話し掛けられなくなり高校に入ったらまったくつるまなくなった

  • 恋愛は下らないしバカのする事だと思っていた。

  • 「とまよこといると気遣わなくていいからラクだわー」と数人の女子から言われる。

  • 菊池君と言う遅刻魔がいて、ある日2人で走り込んで菊池君を押しのけて教室に入った。それをきっかけに仲良くなったと思って電車で見かけて近付いたら隣の車両に逃げられた。それがきっかけで、男子との距離の作り方が分からず男子を避けるようになり、後輩の男子にバスで話し掛けられた時に逃げてしまった。

  • サボり魔の三田君とよく教室で喋っていたらからかわれて、舌打ちして小声で「うぜえ、ガキが」のようなことを言ったら三田君が近寄って来なくなった。

  • 歌の上手い大園君という人がいて、最寄り駅が同じなので少し話したら嬉しくてニヤついてしまった。気味悪がられたと思う。

  • 一定の男性や男子と話す時にドキドキしておどおどして居たたまれなくなってしまうことがあり、当時はそれが恋なのだろうと思っていたため嫌だった。今思うとカースト上位の人間に対する劣等感や恐怖のようなものだと思う。

  • 学校でトイレに入ると驚かれることもあった。中学校の時は「お前女子だったの?」と言われた。それが関係しているか不明だがトイレに入るのが億劫で出来る限り我慢していたら、下校中に失禁したことがあった。女子トイレに入るのも男子トイレに入るのも憚られるので、なるべく共用トイレを探して入っていた。

  • 出席番号も席順も制服も男女混合だったため中学に入学してしばらくは男子だと思われており、「名前で分からなかった?」と聞いたら「いや、男の子の名前だと思った」と言われて名前のコンプレックスが少しなくなった。

  • 元々男子校の工業高校だったため男女比が3:1くらいなので、女子が少なくてそこは過ごしやすかったかもしれない。女子の勢力が弱かった。

  • 入学してすぐにある女子が「好きな男子いるー?」と聞いてきたので「みんな好き」と答えた。忘れたけどなんか罵倒された。入学してすぐ(3ヵ月くらい?)にそんなことを聞くその子もちょっと変だと思った。

  • オーストラリアにホームステイに行った時も「Makotsu」と呼んで欲しいと伝えた。ホームステイ先の子供に「Are you a boy or girl?」と聞かれた。

  • 柔道部の顧問と車の中で2人きりになるのが嫌で「僕も行く」と言って出た。のちに顧問が「そんなに俺の事怖いのか」と言ったが、怖いのか、男性と2人が嫌なのか、恥ずかしいのか、意識しているのか、距離感が分からないからなのか、よく分からなかった。

  • 同じ部活の男子に「触ってやるから力こぶ作ってみろ」と言われて触られたのは不快だった。力こぶはぜんぜん作れなかった。

  • 石川さんと帰っている時に「筋肉のある男子が好き」と言っていて「僕は?」と言ったら「お前は全然だめ」と言われて悲しかった。

  • 何かで男子グループの仲間に入れて欲しくて「仲間に入れて」と言ったら、「お前女だろ」と言われたことが悲しく、自分の目標は「友達が欲しい、友達を作るためには男にならないとだめなんだ」という事だったように思う。

  • 教室でベストを脱いだら男子に「キモッ」と言われた。

  • 何かを漁ってるときに男子が男子と間違えて腰を掴んでどかしてきたことがある。嫌悪感はなかった。その後その男子がどう思ったのかよく覚えてないが、笑い話に出来ないことを寂しく感じた。

  • トランスジェンダーであることをカミングアウトした事はないが、性別の事やスラックスのことでからかってくる生徒はいなかった。一部の子は気付いていたがそれを受け入れているように感じたが気のせいだったかもしれない。中学高校では、トランスジェンダーである事も発達障害である事も受け入れられていたように思う

  • 櫻井君というチック症の子がいて席順が近かったのでよく話したが、よくいじめられていた。ある日男子が「とまよことでも話してろよ」といった感じで自分を巻き込んだいじめをして、くだらないと思い睨んでから舌打ちして無視したら数週間後に転校した。罪悪感を感じた。

  • なんの会話か忘れたが父が「娘」とかなんとか言った時怒りが爆発して腕時計を顔に投げつけた。

  • 性同一性障害についての本を買い、本棚の高い所に隠した。軽い読字障害がある為結局読んでない。

  • 中学卒業の時に「20歳への自分へ」という手紙を書かされた。「性転換しましたか?」と書いた。20歳になった時届いて、母が勝手に開封して読んでた。「ゴメン読んじゃった」と言って内容には触れてこなかった。

手紙のスキャンは載せたいけど読み返すのが恥ずかしいのでいつか追加するかも

  • 野崎君という男子が「ほらこんなに手冷たくなったよ」と言って手に触れてきたのでビクッとしたら周りの空気が凍った。小学生の頃引っ掻かれたりしていたので条件反射だった。一瞬どうすればいいか分からなかったが「ほんとだ」と言って触り直したら他の生徒も触って空気が戻った。雨が降っていた時に「傘入る?」と言われたが入らなかった(男子と入りたくなかった。女子とも多分入らない)卒業してからメールしたが返事はなく「なんか高校のクラスメートからメール来たんだけど…」とtwitterにつぶやいていた。

  • 小学生の頃から胸を隠すために猫背になっていった。「もっと胸張って」といつも言われていた。鎖骨を骨折した時にサポーターで背筋を良くしなければならず凄く恥ずかしかった。その時買ったサポーターを逆向きに付けると胸が潰せることを発見してしばらく付けていたが蒸れるのでやめた

  • 『マクロスフロンティア』と言うロボット(アイドル?)アニメが流行った。ダブルヒロインで「可愛いアイドル系のランカ・リー」と「美人アーティスト系のシェリル・ノーム」という2人のヒロインがいた。周りでは圧倒的にシェリルが人気だったが自分はランカが好きだった。だからカラオケでランカのパートを可愛い石川さんに歌ってもらっていた。背の高さからもそれが妥当だと思っていた。後から石川さんに「自分がシェリルの役を奪っといてさ」といったような事を言われてショックだった。言われてみれば石川さんはB’zとかバイクが好きだからアイドルのランカが嫌だったのかもしれないと思った。でも石川さんのランカは可愛かった。自分ではランカは似合わないと思った。

  • 何かの拍子に(多分、「何でやねん」のようなツッコミ)女子に胸を叩かれた。そして隣の女子に「胸あった」と囁いていた。

  • 『金色のコルダ』『フルーツバスケット』などのアニメ?ゲーム?が女子の間で話題になっていた。高校を卒業して久しぶりに会った石川さんが『うたの☆プリンスさま』の曲ばかり歌うのでついて行けなかった。

  • 石川さんや川村さんが、どんどん体育会系の男子とばかり話すようになった。ファッション(ギャル系)の話ばかりするようになった。学校帰りに寄るのもアニメイトではなく服屋になっていた。石川さんの誕生日に臍がチラッと見えている美男子の絵を描いてプレゼントしたら、「お前、女子ウケが分かるようになってきてんじゃん」と言われて嬉しかった。石川さんは一番仲が良かったので、多分トランスジェンダーを察していたと思う。

  • 石川さんと電車で帰っていた時急ブレーキがかかり、背の小さい石川さんが飛ばされそうになったので腕を掴んだ。「初めてお前から触ってきたね」と言われたので「なんか恋愛っぽい!」と思って嬉しくなって、声を出すと周りの人に男じゃないとバレで悔しいから声が出せず目だけ逸らした。

  • Rさんからバレンタインチョコにビターチョコをもらって嬉しかった気がする。でも、自分はミルクチョコのほうが好きだ お返しに何をあげたか覚えていない

  • 性転換手術のお金を貯めるため、昼食代を全部貯金した。高校卒業まで続けた。お年玉も全部貯金した。

  • 7月に小平市辺りをコートを着てうろついていたら警察に職質され、父からもらった十徳ナイフが鞄の中に入っていたため連行された。その時なぜナイフを持っていたのか聞かれてなぜか全くそうではないのに「変質者に襲われたことがあり護身用に」などと嘘をついた(変質者に襲われたことなどない)そして「護身用ってことは危害を加える意図があるってことだから犯罪だよ」などと怒られる羽目に。恐らくそのまま伝えても「理解されない、疑われる」と判断した事に関して「普通と思われるストーリー」をでっち上げる癖がついていたためと思われる。それか「そういうドラマチックな経験」に憧れる年頃?服は発達障害のため服の調節ができなかった。その辺りから教師に加え警察も嫌いになっていく。精神的にはグレていたと思う。暴力に自信がないからその分を勉強に費やしていたと思う。鉛筆を削る為と言えばよかったと激しく後悔。その後も現在まで何度か職質はされる。

  • 校舎が改装中でプールがなく、プールの授業がなかった。

  • 朝方(5時くらい?)駅前歩いてて風俗のキャッチに話し掛けられたことがあるが今考えると中学生に話しかけるのおかしい

  • 芸術鑑賞のとき小湊君という隣の男子が居眠りしてたのか寝ぼけて足をこちらにぶつけてきたのでぶつけ返した。小湊君の夢を見た。

  • 性転換したら改名して生まれ変わる予定だったため、人間関係もその場限りの当たり障りのない対応をしていた。友達付き合いも熱心ではなかったし理解されようとしなかった。性転換したら今までの自分は殺していなかったことにするつもりだったため、とりあえず勉強だけしていた。自分も、他人も軽んじて、ある種「旅の恥は搔き捨て」といった感じだった。大学生になって大学に馴染めず寂しさからかつての同級生に連絡を取った時にこれが仇になったなと思っている(親身になってもらえなかった、自分がのらくら振る舞っていたせいで「軽口をたたいても良い」という像が出来上がっていた)

高校

  • 女子数人から「ほっぺがやわらかい」とつねられたら幸せだった。

  • 兄がいる女子の友達が読み終わった週刊少年サンデーを毎週くれた。

  • 「Iさんの彼氏とよく話していたら、『私の彼氏と馴れ馴れしくしないで』とIさんに言われて落ち込んだ」というAさんの相談に乗った。「Iさんは男兄弟がいないから男子と話すイコール恋愛だと考えてしまうのでは」という見解を話すと納得したようだった。

  • Aさんと歩いていると、Aさんが腕に抱き着いてきて少し動揺したが、Aさんはなんとなく、自分を男扱いすることでからかっているような印象を受けた。

  • 石川さんが「負ける度に服が破けるゲーム」の話をしていた時にニヤついていたらしく「何笑ってんだよ」と言われ、その後あだ名が「ムッツリスケベ」になり疎遠になった

  • 沖縄の修学旅行でRさんの水着を見た。お風呂ではち合わせするとなぜだか大変な気がしたのでずっと目を伏せていた。

  • 林間学校かなにかで深沢さんという発育が良くてそれを自慢する女子がいて、その子が川に入って撮影会をしていたので参加した。ほかの男子がどれくらい参加していたかはよく覚えていない。かわいかった。

  • 学校の外でトイレに入ると、たまに掃除のおばさんに「ここ女子トイレですよ」と注意されるようになった。混んでいる時は男子トイレを使うようになった。男子トイレで「え、女の子?」と言われることもあった。

  • 恋愛感情は相変わらず分からず、「人に優劣や好き嫌いをつけるのは良くないことだ」という感覚だった。

  • 理科の先生で生徒と距離の近い先生がいた。ピタゴラ体操をペアで組んだりして仲が良かった。でも距離感が分からなくてどうすればいいのか分からなかった。帰りの電車が同じになって、石川さんが降りる駅で先生も気を遣って下りてくれてホッとした。卒業後カフェを開業したらしくみんな遊びに行っていたがやはりどう振る舞えば良いのか分からなくて、母に行ってもらった。

  • 救急病院の前で、包丁で胸切ってすぐ治療してもらったら自分で胸取れるんじゃないかという妄想を何度もしていた。でもやっぱり迷惑だろうからやめた。

  • 松山さんと言う帰国子女の女子がいて、話しかける時にとても緊張した。

  • 漫画家として働くときに毎月生理があったら大変だから取ったほうが良いと思った。

  • 将来設計として、大学を出て就職して独り立ちしてから性転換するか、大学生で家を出て性転換して卒業するかの二択だった。早く男になりたかったから、遠方の大学に行きたいと言ったら、「国公立じゃないとムリ」と言われたので受験勉強を始めた。どんなに辛くても男になれると思うと頑張れた。男になったら、辛い事全部報われると思っていた。

  • 今思うと当時の考えに矛盾がある。自分としては「男になる」と言うのが頭の中の口癖だったが、それは具体的には「喉の手術をして子宮卵巣を取る」と言う事だった。喉の手術を受けるか、ホルモン治療をするかで迷っていた。「男になる」とは戸籍が男性になるという事ではなく、自分が自分を男だと判断できて満足できるかどうか、周りが「お前は女だろ」と言わずに気楽に接してくれるかどうかという事だったように思う。

  • 『戦国BASARA』が流行り、友達が勧めてきたので観た。歴史上の人物を若いキャラで擬人化するのは女子生徒にウケると学んだ。そこで倫理の教科書に出てくる日本人を全員(100人くらい)pixivの美青年を適当にピックアップして名前を載せてポスターにして教室に貼った。女生徒に「そういうのが好きなんだ」と言われ、不満だった。(嫌悪感を持つほどではないが好きではない。ただし、透明感のあるイラストは好き)

  • Rさんの近くでわざと「松山さんと話すとどきどきする」と恋愛対象は女性であることを(実際は確信はなかったが)アピールをしたことがある。何がしたかったのかよくわからない。

  • 文化祭で被り物をしている時小学生くらいの男の子に「おまえ男?女?」と聞かれた。そもそも、男だったらどうなのか、女だったらどうなのか、ということが分からないなと思った。

  • プールの授業は全て見学した。沖縄の修学旅行でも見学にした。その事について触れてくる先生はいなかった。ひとえに「私立」だったおかげであり、自分が落ち着いて生きる為には莫大なお金が必要なのだという価値観が育っていく。

  • 修学旅行のオーストラリアに行く飛行機で眼鏡を外したら隣の座席の男子(クラスメートではない)「え、めがね外すの?」となぜか言われた。自分の方が通路側だったのでトイレに行きたくないかしつこく聞いた(自分だったらトイレに行きたくても遠慮して我慢するから)

  • この頃の夢としては大学卒業までに性転換して適当な会社に就職して一生独身で終わる。途中でお金が貯まり次第エンタメ会社を設立する。

  • 大学で家を出て性転換する。それだけが自分の生きる原動力だった。どんなに辛い受験勉強も頑張れた。性転換さえすれば幸せになれると思っていた。

大学

  • 大学に入学してすぐに喉の手術のために一色クリニックというところに行った。そこに声優学校の講師がいて、「訓練すれば手術しなくても男性らしい声が出せる」と言われた。それから声優養成所に入学した。これには「コネ作り」「対人スキル向上」「ワンチャン仕事見つける」などの理由もあった。成果あって声を出す事に劣等感がなくなった。正確には「地声を使って話す」ことが出来るようになった。声がコンプレックスで余計声を隠そうともごもごしてしまう喋り方がなくなった。

  • ボーカル教室に通った。声が細い事についてはそこまで嫌悪感はなかった。何も言ってないのに一度男性の講師のほうが良いか聞かれて「はい」と答えたが男性も嫌だった。ミックスボイスという裏声と地声を混ぜる声の出し方を学んだ。女性は無意識にミックスボイスで話している人も多いと言う事を知った。

  • 精神科に行ったら性同一性障害以外の何かを指摘されるような気がしていたので、まずナグモクリニックに行ったらやはり精神科を紹介された。精神科に行ったら発達障害だと言われた。そのときは、自分が人と目を合わせられないのは学校が合わなかったからと、性同一性障害のせいだから誤診だと憤ったが思い当たるふしも幾つかあった。「発達障害は男に多いから、自分の事を男だと思い込んでいるだけなのではないか」と何度も何度も自問自答した。実際、精神科がトラウマになって行けなくなってしまった。仕方なく先に仕事を見つけようと思ったが男ではないのでうまく振る舞えなかった。八方塞がりになって絶望した。「就職できると思ってんの?」と言われた時、「漫画家になるので就職はしません」と言おうとしたけれど「漫画家になんかなれる訳ないだろ」と怒られるのが怖くて言えなかった。あの時の敗因として、医師に全てを伝えようとしなかったのが原因だと思う。自分は特殊で異常だから誰にも理解されないと思っていた。理解とかされなくていいからとにかく同意書さえくれればあとはこっちでなんとかするよという感覚でいた。そうやってどんな人とも避ける癖がずっとある。

  • 漫画家のアシスタントになろうと思ったが当時の漫画家アシスタントは徹夜当たり前で全員雑魚寝だった。女性では断られると思って応募できなかった。男性から気を遣われるのも嫌だった。

  • 男性ならもっと気楽に働けるのにと思った。撮影所のADになろうと思ったりフリーターになろうと思っても体力がなくて無理だと思った。フリーターとして生きられたら一番いいと思ったが発達障害の関係で難しかった。

  • アパートが寒すぎたので引っ越そうと不動産屋に行った。安くていいアパートがあったが男子専用だった。一応不動産会社の人が大家に電話してくれて嬉しかった。もちろん無理だった。結局引っ越しはしなかった

  • 大学の学生会館が男子専用なのは不公平だと思った

  • 生理痛がひどくなり、そのたびに子宮を憎んだ。PMSもひどく、子宮があるせいでこんなにつらいんだ、なんでこれを取るだけのことがいつまでもできないんだと思った。

  • 関西はトランスジェンダーに寛容というイメージがあったから関西の大学を選んだが、実際はジェンダーバイアスが強すぎるから多様な生き方が許されていないだけなのではないかと思った。

  • 何も言っていないのに露店の人(女性)にいきなり「手の感じとかで女って分かるよ」と言われて不快だった。

  • 服屋のキャッチ(男性)に「そこのおに…おね…」と言われた。無視した。

  • 性転換するまで大学で友達を作らないように、コミュニケーションの単位を取るのも後回しにしていたので、それらの単位も取れなくなって留年した。

  • 大学ですれ違いざまに「性同一性障害」と言われた。その時の感想は「よくそんな言葉知ってるな~」

  • 漫研に所属した。漫研メンバーとカラオケで歌ったら「俺も裏声で歌おうと思います」と言われてなぜか裏声で歌う縛りになった。次第に行かなくなった。

  • カラオケで歌ってたら受付の男性が覗き込んできて「え、女の子?」と言っていた。

  • 健康診断の時女子の着替え用の部屋で着替えていたら女子が「えっ、男女共用?ありえん」と言っていた。

  • 演劇サークルに参加した。そこにホルモン治療中のトランスジェンダー男性がいたが、どこの病院に行っているのか遠慮して聞けなかった。「食欲が増えて太って困る」と言っていたのでやっぱりホルモン治療は怖いと思った。演劇サークルは次第に居づらくなってやめた。

  • とにかくエンターテインメントの勉強することが第一と思い、洋画を1000本以上観た。『キンキーブーツ』など多様なセクシャリティやジェンダーの映画を観る事で自分の中の「ジェンダーの悩み」のようなものがなくなった。無理に男らしく振舞わねばといった悩みは抜け落ちた。特に好んだジャンルはハードボイルドとファンタジー。

  • 『京都国際マンガミュージアム』に2年間毎日通い漫画を読み漁った。少女漫画は面白くなかったが女性向け漫画は面白いものもあった。青年漫画はリアルテイストのものは複雑だし胸糞悪くなるからあまり好きではなかった。『コロコロコミック』のような児童向け漫画が一番面白いと思った。ナンセンスは全く理解できなかった。やはり手塚治虫が一番好きだった。

  • アニメもたくさん観た。名作と呼ばれるものをいくつか観た。

  • なぜか戦隊ものが好き。しかし戦隊ものは女性ファンも多い。一時期アメリカで放送されていた『パワーレンジャーシリーズ』のファン。

  • 時代劇のチャンバラは好きだが西部劇は面白く感じない。ヤクザものは映画だと面白いが漫画はつまらないと感じることが多い。

  • 父が保管していたらしい『ゴルゴ13』を30冊ほどくれた。さいとうたかおはかなり好きだがゴルゴ13よりほかの作品の方が面白いと思った。

  • 女の子っぽい可愛らしいイラストは好きだった。高橋真琴を模写したり羽海野チカの個展に2回も行ったりした。植物園に行って植物のスケッチをするのはとても楽しいと思った。動物園で動物のスケッチもしていたがそれはあまり楽しくなかった(少しは楽しい)。梟が好きだったのでよく描いた。

  • 綺麗な女性とすれ違う時に見入ってしまったりドキドキすることが多くなった。銀閣寺でバイトをしてる時すごく綺麗な人が訪ねて来て一瞬我を忘れてしまった。あとから芸能人だと分かった。名前は忘れた。

  • 少女漫画や女性向け漫画などの恋愛漫画を読むときはどうしても男性側の視点で読む。だから男性が「イケメン」のものより独特なキャラクター(オタク等)の作品を好んで読む。

  • 悪役令嬢ものはわりと好む。そもそも悪役令嬢ものの先駆者は男性である。

  • 少年漫画は面白いものもあれば面白くないと感じるものもある。そもそも少年漫画の定義は広すぎる。

  • 小学校のクラスメートから「まだボクっ子やってるのー?」とメールが来て悲しかった

  • 体調が悪すぎて精神的にも辛くて顔が上げられずずっと胸を見て喋っていた

  • 専門学校の説明会で男性スタッフに「女だと言ってもらいたい」と言った。会話の流れを忘れたが「自分は女であるはずなのに、自分が女だと言う証拠がない。女だと誰かに言って欲しい、自分が女である証拠を探している」といったニュアンスだったと思う。その後そのスタッフとエレベーターで2人きりになった時に肘を触られて、「そういう事ではない」と思った。

  • セックスの事はよく分からなかったがセックスのマンガを描いてFacebookに載せていたらそれを見た母の知り合いが母に電話をして母から変なものを載せるなと怒られた。

  • 創作ノートに母をモデルにしたキャラクターに「娼婦」と書いていたら母が勝手に見たらしく「私は娼婦じゃないわよ!!」とキレていた。勝手に見るな。モデルと現実は違うのだと言う事が母には分からない。

  • 母は次第に創作について聞かなくなった

  • 小学校からの友達の藤井さんに久々に会った。デザインのセンスがあるので昔のようにラフを綺麗に清書してもらおうと思ってラフのノートを渡したらブロックされ連絡が取れなくなった。その後ノートを返してと言ったが捨てたらしい。もしかしたらノートの内容が過激だった?よく覚えていないが乳房が露出しているようなイラストや赤塚不二夫レベルの下ネタが数点あった気はする。女性との付き合い方が分からないと感じる事が増えた。

  • よく覚えていないのだがジェンダー専門外来の存在を知らなかったのか普通にかかりつけ医が欲しかったのか分からないが入学してすぐに近所の精神科に行った。ジェンダーの話はせず「内科って書いてあったから…」などとわけのわからないことを言った。性同一性障害について分かるかどうか確認した?何かのおかしさを指摘してもらうのを待っていた?精神科に行けば何かが変わると思った?そこでノートルダム女子大学のカウンセリングルームを紹介されて行ったが相手が心理学科の大学院生で、何を話しても首をかしげるので女性恐怖症・カウンセリング恐怖症・人間恐怖症のようになった。

  • 自分の体、顔、全てを見るのが嫌で、幼少期から鏡を嫌っていた。借りたアパートの洗面所にあった鏡を賃貸なのにガムテープを貼りまくって見れなくした。

  • 一時期ベニヤ板を買って胸を潰していたがズレてくるし暑いのでやめた。そういえば、ナベシャツを着た事がない。どこで買えば良いのか分からない。胸を潰している間はとても清々しくて、胸を張って歩けるのが嬉しかった。自分に自信もついた気がした。

  • それなりに色々なジャンルを好むが、『日常もの』と『人外』の良さが分からなかった。日常ものは石川さんが『らき☆すた』などを好んでいた。友人の男子も百合日常ものを好んでいた。最近になって分かった事だが、頭の良い人は日常ものや人外のような非日常を好むと言う事なのだと思った。『萌えキャラ』が我々のようなオタク以外にも好まれる理由もきっとそうなのだろうと思った。

  • アフィリエイトをしようと思い、『青春アドベンチャー』などのラジオドラマが好きだったのでドラマCDの宣伝を書こうと思った。調べてみると女性向けばかりで恥ずかしかったがAmazonのレビューを参考に書いた。石川さんやRさん、出沼さんなどに宣伝したが全く売れなかったうえ、ボーイズラブ好きと思われて出沼さんから会うとボーイズラブの話題ばかり振られるようになった。「出沼さん、ボーイズラブ好きなんだな」程度にしか考えなかった。その後織田信長が出てくるボイスドラマを作ろうと思い出沼さんにシナリオの感想を聞こうとしたら「これBL(ボーイズラブ)なの?」と聞かれ、「自分がボーイズラブ好きだと思われている」と言う事に気付いていなかった自分は「え?BLってあの腐女子が好きなやつ?」といった感じの返信をしたらそれきり連絡が途絶えた。その後、「もしかして、出沼さんにBL好きだと思われていたのでは?それなら会う度にBLの話をされていたのも辻褄が合う」と思った。出沼さんは自分が「BL好きの仲間」だと思っていたのだろうと思った。

  • Rさんとサンリオピューロランドに行った。その時キキとララの声優がどうこうという声優オタクらしい蘊蓄を聞かされた。Rさんも自分の事をボーイズラブ好きと思っている可能性がある。

  • アニメ会社のプロデューサーの講演会で「プロデューサーになりたい」と言ったら「女は無理」と言われた。

  • 母に「悪魔の子」と言われた。

  • 宅急便を装って部屋に侵入してレイプする犯罪が起きる訳がないのに怖くて宅急便を受け取れない。男性になりたい理由として「レイプされたくないから」という思いはとても強かった(=男性に気を遣わせたくないから)

  • 女性の身体で男性漫画家と同じレベルの労働をした事が最大のミスだと思う。ホルモン治療を先にすればよかったと今は後悔している。

大学中退後~現在

  • 心理士にトランスジェンダーだという話をしたら「恋愛対象はどっちですか」と聞かれたので「人と話す時は基本的にいつもドキドキするのでよく分からない」と答えた。

  • ボーイズラブドラマCDを聴いて吐き気

  • 性別を偽っている事で社会に嘘をついて生きてる罪悪感と違和感がずっとある

  • 晴和病院で発達障害の検査を受けた。「烏山病院にジェンダーの先生がいるので紹介しておきます」と言われた。「母に性同一性障害がバレた」と思い、予約の日に行きたくないと言ったら母が「何で言う事聞かないの!!!!」と大爆発していた。そのあと分かったが母にはジェンダーの専門医であることは伏せていたことが分かった。結局行かずに紹介状を地元の病院に渡し、パーソナリティ障害専門の市橋クリニックに紹介状を書き直してもらったがそこも行かなかった。そののち、「発達障害専門外来に行くってウソをつけば良いじゃん」と思い付き通い始めた。かなり大変で何度も風邪を引いた。

  • 実家に戻った。体調は二度と良くならないと思った。二度と性転換するチャンスは訪れないと思った。人生に失敗したと思った。

  • 母に解離性同一性障害と言った時「性同一性…?」と言われた。

  • 性転換を諦めようと思った。どうせ「発達障害」というフィルターのせいで社会に溶け込む事は出来ないし、性別違和から来るコミュニケーションの障害も全部発達障害のせいにしてしまえばいいし、世間から隠れて生活保護なりで暮らす分には手術は必要ないと思った。

  • 「ASDであることを性同一性障害だと勘違いしているのではないか」とずっと考えた。試しに女性として生きてみようと、今まで避けていた下の名前をあえて使うようにして生きてみたり、今まで嫌いだった自分の顔の写真を撮ったり、バービー人形で遊んでみたりして、「今の自分」を愛そうと、諦めてこの体で生きようと努力してみたが、とても虚しかった。

  • 体調が悪くて、もう死ぬと何度も思った。せめて死ぬときだけは男として死にたいと思った。(でもよく考えたら闘病中はホルモン注射は打てないのか)

  • アダルトビデオを観たらとても興奮した。レズものやゲイポルノ、女性向けも観たがあまり興奮しなかった。疑似ペニスをつけたらとてもしっくりきた。

  • ゲイポルノは性的に興奮するのではなく別の感情があった。優越感のようなものを感じた。女性向けは気色悪さを感じる。なぜなのかは分からない。

  • 男性に恋愛感情を抱けないか何度も想像してみたがダメだった。男性嫌いがほんの僅かにあるような気もした。男女と言っても様々な人がいるのだから、深く考えないことにした。

  • インターネットの記事で「女性だがアダルトビデオに興奮するからバイだと思ったが、実際に経験したら全然違った」という記事があり不安になったりした。

  • 自分の小陰唇が異常に肥大していることが初めて分かった。普通の女性器は自分のよりずっと綺麗だと分かって嬉しくなった。

  • Rさんとメッセージのやりとりをした。ほかの人はブロックしたり無視するのにRさんは返してくれてとても嬉しかった。それからRさんのことを考えると顔や体が異常に熱くなるようになり、人生で初めてのことだった。それからのヒロインのモデルは全部Rさんになった。

  • Rさんに触りたいと思った時、「これは友達ではない」と思い縁を切った。

  • 高校の同級生の川村さんと会った。モデルになっていて、来週から沖縄で撮影だと言うから「水着の写真送って」と言ったらブロックされた。

  • 婦人科に行って子宮内膜症と診断された。ピルをもらったが吐き気が酷く、女性ホルモンを摂取することに抵抗があってやめた。そのとき医師に「性同一性障害なので子宮取れませんか」と聞いたら「この程度で取れるわけありません」と怒られた。子宮がん検診に行くと「あなたも受けるんですか?」と言われた。性交渉をしなければ子宮がんにならないと聞いた事はあったがそんなこと分からないだろと思った。それからその婦人科に行くのが嫌になった。その病院の前でうずくまっていたとき「大丈夫ですか?」と看護師さんが腕を持ってくれたが遠慮して離そうとしたら腕を胸に押し付けてしまいそのままどうしていいか分からなくて腕を胸に押し付けたまま連れられて移動してしまった。こういう時、男性なら謝るが女性が謝るのも不自然かもと考えるとどうしたら良いのか分からなくなる。

  • 生理になる度に包丁でお腹をかっ捌いて子宮を取り出したい衝動に駆られる。生理中でなくても常にそういう妄想をしている。

  • 入院中、出身高校が同じらしい男性看護士が馴れ馴れしくてとても嫌だった。

  • たまたま近くの洋菓子店で元クラスメートの永廣さんが働いていた。話しかけられたが、その後どういう顔で会えばいいか分からなくて避けた。でも行かないのも申し訳ないので母親に行ってもらった。そうしているうちに転勤していた。申し訳ないと言う思いはある。記憶喪失になった女の子がパティシエの幼馴染と再会する恋愛小説を書いた。

  • 府中こころ診療所のデイケアで女性看護師が会話の中で「引いてます?」と言って手を触ってきた。頭が真っ白になって困った。そもそも患者の手をむやみに触ってはいけないと思う。

  • 満員電車で、いけない事と分かっていたが女性の背中に腕を押し付けるようにしてわざと触った。女性は何度か体勢を変えたが何度も腕を押し付けた。何も言われなかった。「もし捕まっても『女がそんな事するわけないでしょう』って言えるからラクだな」と思った。このためだけに女で居続けることもあり得ると思った。

  • 混んでいるバスの中で先頭の座席に座っている女性を後ろからつい眺めてしまう。

  • 今まで、自分が男性であると言うことがあまりにも当たり前すぎて自分の中で自己完結しすぎていることに気が付いた。そのために社会とのギャップがあることをあまり意識しておらず、そのおかげか、あまり性別違和感のことで苦しいと思う事がなかったように思う。だが、確実にストレスは感じているのだと思う。

  • ダイバーシティキャリアセンターと言う発達障害とトランスジェンダーのダブルマイノリティに対応しているという就労移行支援に連絡したが対応が悪かった。発達障害とトランスジェンダーを併発する人は多いと言うが、まだ会ったことがない。本当に居るのだろうか。

  • 漫画は男性向けも女性向けも描く。

  • 女性の友達とサンリオピューロランドに行った時にイケメン男性達がわちゃわちゃと喋って躍るショーを見る事になった。目が悪くポスターがよく見えず始まるまで何のショーか分からなかったが、開始30秒で言いようのない嫌悪感や吐き気があり退席した。友達はそれについて何も言わず。

  • 父に「鍋料理嫌いでさ」と言ったら「おなべなのに?」と言われた。「お前の鼻かっこいいな」と言われた。父とはいい関係を築けている。

  • 母が「最近はLGBTとかいうのも流行ってるしねぇ」と言っていたが、カミングアウトする勇気はまだ出ない。母は、頭では「良い母親でいよう」とする意思があるが、一度ヒステリーを起こすとどんな暴言を吐くか分からないため、母と同居しながらカミングアウトするのは非常に危険。

  • 就職活動でzoomを使用する。面接官の男性に「カメラONにしてください」と言われ顔を見せると「あ~」と言われて悲しかった。

  • 就職活動で男性面接官に「怖い人とかいますか?男性は怖いですか?」と聞かれた。その時は「頭のいい人(=定型発達の事)が怖い」と答えたがその後考えてみると、面と向かって話す場合はどちらかと言うと女性の方が怖いという感覚があった(でもどちらも怖いし人による)

  • 『つのがい』という男装漫画家がデビューした。自画像は完全に男性だがサイン会に行くと女性だったということで話題になっていた。トランスジェンダーでもレズビアンでもないようだ。女性と同棲してそれをネタに男女の日常漫画を投稿してお似合いカップルと話題になっていた。面白いと思って見ていたが叩かれないか心配していた。自分もやりたいと思った。

  • 男子の知り合いの市原君のtwitterアカウントを忘れてしまったので、メールアドレスの名前「鳳凰院羚司」から検索して裏アカウントをフォローしたらブロックされ、連絡もつかなくなった。

  • 保育士の漫画が描きたくて取材の為にRさんを家に呼ぶ事になったが寝不足で体調が悪く、近くのカラオケに変更したが部屋が狭くて急に緊張してしまい靴以外見れなくなった。重いPCまでわざわざ持ってきてもらったのに体調が悪くてほとんど会話が成り立たなかった。佐藤さんは緊張をほぐそうと明るく振る舞ってくれた。普段、性別を偽って生きている事について「役得」と思う事も多々あるが、佐藤さんと話していると性別を偽ってることに罪悪感を感じる。最後に「何時まででも遊べるよ」と言われて、(何時まででもって夜まで?)と一人で妄想してしまいキモかった。

  • 精神科で「なぜ人の目を見ないのか」と言われた。「性転換をしたら目を合わせるようにしよう」と思っていたが結局性転換できずタイミングが分からない。人の目を見て話すと言う事は、隠し事をしないと言う事でもある。発達障害がありトランスジェンダーがあるという自分を隠して会話をしなければならないとき、どうしても人と壁を作らなくてはならない。理解してもらう事は出来ないのだし、必要以上に踏み込んでこられたくないし、仲良くなりたくないという気持ちが働いて、人と目を合わせることができないのかもしれないと思った。

  • 女性として生きる権利がないと感じる。幼い頃から母に否定されてきたからなのか?女性でいる事が申し訳なく恥ずかしいと感じる。自分の中に、「男性<女性」という差別が確実にあり、自分は男性に「降格」したいと感じている。女性として生きる力も覚悟もないと感じる。

  • 「男になりたいか、女になりたいか」と聞かれたら「女になりたい」と思う。もし「脳を女にする薬」があるなら、体の性転換ではなくそれを飲みたい。その方がラクだから。女になって何がしたいのかは、女じゃないから分からないけど。

  • ちゃんとした「男性」として生きるつもりはない。自分は「弱者男性よりも弱者の男性」だと思っているし、最初からそのつもりでいる。

  • 今でも『いりさわ心と体のクリニック』でのことを思い出すと苦しくなって涙が出て吐き気がして動悸がする。

  • 男性に性転換すると言う事が女性として生きる事からの逃避だと言われることが一番嫌だったので、男性として生きるハンデをたくさん考えた。もし、「脳を女性化する薬」のようなものがあるなら、どちらかと言えばそれを飲みたいと思う。もし自分がおしゃべりで空気が読めて家事ができてメイクに興味があってファッションが好きな女性だったらそれはそれで良いと思う。女で生きる方が楽しいと自分でも思う。恐らく幼稚園の時に女の子らしくしていたのはそういう感情だと思う。でもそんな自分は想像ができないし、自分はそうではないし、男の方が色々と損なのは分かっているけど、やっぱり自分は男なのは悲しい事実だと思っている。男に性転換したら人生バラ色だと考えていた頃もあったが、働き盛りも過ぎた今はただ寂しい。

  • 女性ASDのロールモデルがないのは社会問題のひとつだと考えた。これに貢献する活動をするときに、「女性ASD」という希少性を捨てるのは勿体無い気がした。要するに男に性転換することで没個性化することが怖い。そのことに対して自己愛だの、また別のパーソナリティ障害だのなんだの言われるのも怖い。男性になることで社会に今更参加するのも非常に怖いし、今まで「女性だから」という言い訳でやらずに済んでいた社会的なことをしなければならないことが怖い。そのときに自分が言い訳に出来るのは発達障害しかなくなり、それによって生きづらさが増える可能性があるのも怖い。

  • 正直、ASDの女性というものはあり得ないのではないかと思っている。ASDは超男性脳のことだから。と言うか、ASDの強さと男性脳・女性脳は同じ事であり、男性脳が強くなればASDだし女性脳が強くなれば統合失調症だと思っている。でも、誰にも言わない。ASDとトランスジェンダーは同じ話だと思っている。もし自分がトランスジェンダーでなかったら今色々と話題になっている「女性の発達障害」のようになっていたのか?なぜ自分は男性が好きにならないのか?なぜ自分は今話題の「女性の発達障害」ではないのか?女性の発達障害についての本を幾つか読んだ。全く共感できなかった。そこから導き出されるのは発達障害もあるが、トランスジェンダーもあるということではないのか?

  • 体調不良がコルチゾール不足のせいではないかと思い、男性ホルモンがコルチゾールに変換されることを知り、ホルモン治療をする決意をする。また、潰瘍性大腸炎などの自己免疫疾患も、女性ホルモンを減らせば緩和するかもしれないと思った。PMS対策の為にチェストベリーティーを飲んだり、大豆を摂ったりしている。

  • 障害年金が下りたため、グループホームに住みながらホルモン治療を始めようと思う。日中、母と会話する程度なら、母は表面的に受け入れるはず。ただ心の底では受け入れられないしショックなため、二度と同居することはない。

  • Rさんの一件があってから、自分は男性なんだと自分で気付いた。それから、自分は普通の人間なんだと思えるようになった。アセクシャルを否定したいわけではないが、アセクシャルはつらい。結婚したり恋愛したり子供を作ったり家族で暮らしたり、そういう「人の摂理」の経験が今までなかったからよく分からなかったが、一人の人間として自分を認識できるようになった。そして他人の気持ちが分かるようになった。今まで、自分以外の人間はファンタジー世界の住人のように理解できなかったのが、少し理解できるようになった。

  • 不安やパニックが女っぽくてすごく嫌だ。

  • 女として生まれてきたからこそ性的な目で見られることの辛さは分かるはずなのに女性を性的な目で見る事へのジレンマが非常に強く、コミュニケーションに多大な支障を来していると感じる。

  • ブスの女とイケメンの男は存在してはならないと無意識に考えていると思う。ブスの女はメイクや整形を行うべきだし、それをしないなら男になるべきだと思っている気がする。今まで一度も他人からメイクをしろと言われた事がないし、したいと思った事もないし、実際難しすぎてできない。だから男のほうがしっくり来る。化粧は気持ち悪いと思うし、良く見せたり嘘をつくことが苦手だし、みっともないと感じる。一人でコソコソ鏡に向かって自分を繕う姿は恥ずかしいしみっともないと思う。

  • 女性とはどういう生き物なのか10年近く、少女漫画を読んだり女性と話をしたりするなどして研究した。女性として生まれたのにこんなに努力して女性を調べなければならない人生に辟易した。その結果、女性とは嘘をつき美的感覚や言語能力が高く妄想癖がある生き物だと結論した。10年以上の努力も、女性に生まれたのだから分かって当たり前だと思われる事にひどく傷つく。

  • 幼少期はずっと父に育てられていたため、父の思想の影響が強い。もし、父に育てられていなかったら、女とはどうするものかを教わっていたら、アメリカかぶれではなく、自閉症や理系至上主義ではなく「普通の日本人の女はこうすべき」と教わっていたら、或いは発達障害だと診断されず、性別違和に悩むこともなく生きていたのか?と思うことがよくある。しかし、そうではないのだろう。もしそうだったら今よりずっとつらい人生だっただろう。

  • 「女なんだから女の子らしく」と言われた事がない。少し話せば女らしさが全くないのが分かるし、顔も女らしくないからだと思う。ならば、女である必要はない。

  • 男になれば父のように働けるとずっと思っていたのかもしれない

まとめと展望(※AIに書かせた)

【幼少期】セーラームーンが好きだったのか不明だが真似していた。ポーズを取ると大人が喜ぶからだったと思う。異性装のような感覚があったかもしれないし分からない。幼稚園では「おねえちゃん」とか「おませさん」と言われていたらしい。キューティーハニーにハマって、今考えると女児向けと思えない肌の露出だった。お人形遊びは好きだった、架空の友達を作って空想の世界にふけることが増えた。ファッションデザインに興味があったが高校生の時にデザインしたものを「ポケモンみたいな服ばっか」と言われてから自信がなくなった。自分が着飾ることに関しては生まれて一度も興味がない。父が女性に対して性的な目で見る事を隠さない人間だった。成長して胸が膨らんでくるとじっと胸を見られたりして非常に不快だった。
【小学校低学年】女児向けアニメに興味を持たず、母親から「ブス」と呼ばれることで女性としてのイメージが崩れた。男子との喧嘩が多く、女性にはへりくだりつつも男子には乱暴だった。少女漫画を好んで読み、父母の性別差別的な発言に嫌悪感を抱いていた。ポケモンに熱中し、男性としての自覚を強く感じるようになり、部屋には「ぼくは男になる!」と書いた。性同一性障害についてテレビで知り、母親に伝えたが叱られ、カミングアウトはしていない。また、ブラジャーや女性用のパンツを着用せず、いじめやからかいに遭い、他者との交流を諦めるようになった。
【小学校高学年】異なる性別に対する認識や違和感を感じており、女性としての自己イメージがつかない中で成長している。ポケモンに熱中し、男性としての自覚を強く感じ、周囲とのコミュニケーションに苦労する場面が多くあった。学校生活では性差別的な言動に遭遇し、自らの名前や性別に抵抗を感じることもあった。また、トランスジェンダーや発達障害が影響して、就職や社会での居場所について不安を抱えていた。自分の名前を変えたり、インターネットでの交流に救いを見出していたが、社会的な課題に直面し、自己肯定感やジェンダーに対する意識に関しても複雑な思いを抱えている。
【中学校】柔道を始めたものの、発達障害のために馴染めず退部した。生理用ナプキンに抵抗があり、他者との交流が難しくなった。図書館での出来事がきっかけでクラスが黙るようになり、友人関係が難しくなった。柔道部では発達障害の影響で仲良くなれず、友達との疎遠が続いた。性同一性障害や発達障害に対する認識もあり、トランスジェンダーであることを隠して生活している。学業においては努力を重ね、お金を貯めて性転換手術のために資金を積み立てていた。性に関する困難や他者とのコミュニケーションの難しさが人生に影響を与えている。
【高校】女子たちからの愛情表現や友情に喜びを感じている一方で、性別や恋愛に対する理解が複雑で戸惑いや矛盾が見られる。友情や人間関係においては、からかいやあだ名の影響で疎遠になる場面もある。また、自己認識や性別に関する混乱が表れ、将来の選択や自身のアイデンティティについて模索している。異性や同性との関わり、恋愛感情に対する理解が難しく、自身の性別についても不確かさを感じている。
【大学】大学入学後、声優養成所に通い、声のトレーニングを受けることで声に自信がつき、地声で話すことができるようになった。これにより声に対する劣等感が解消され、喋り方も改善された。様々なエンターテインメントに触れながら、ジェンダーやセクシャリティに対する悩みが軽減されていく。精神科で発達障害と診断され、トラウマとなった精神科通院が就職や社会での適応に難しさをもたらす。周囲とのコミュニケーションが難しく、友人関係や仕事において様々な困難に直面。自分の体や顔を見るのが苦痛で鏡を嫌っていたり、体の変化に不安を感じている。ジェンダーや性同一性に関する理解や受容に苦慮している。趣味やエンターテインメントを通じて自分を理解し、様々なジャンルに開かれた姿勢を持つ。精神的な問題や社会的な困難に直面しつつも、ポジティブな変化や気づきも経験している。
【大学中退後】発達障害に関する検査を晴和病院で受け、その後ジェンダーの専門医に紹介された。しかし、母親には医師の専門性を隠し、紹介状を受け取りながらも診察を受けることなく地元の病院に行った。その後、別のクリニックにも紹介状を取り直したが、結局通院せず、昭和大学附属烏山病院に通うことになった。性同一性障害に関して母親に理解されず諦めかけている。性転換に関する希望を失い、人生に失敗したとの感情が強まっている。その他には、体調不良や死に対する考え、性的指向やアイデンティティに対する混乱が見られるが、次第に男性性を強く自覚する。就職活動や社会での適応にも苦しんでおり、発達障害とトランスジェンダーのダブルマイノリティに対応する支援が不足していると感じている。対人関係においても、他者との交流や理解が難しく、自分の性別に対する社会とのギャップがストレスとなっている。
【総括】
この個人の複雑な経歴を振り返ると、異質な子育てや発達障害といった要因からアイデンティティの形成が遅れ、性同一性に対する違和感や生きづらさが社会生活全般にわたるトラウマを生み出し、全般性不安障害や潰瘍性大腸炎、月経困難症、化学物質過敏症などの症状を引き起こしています。
性転換治療がこの患者の生活において極めて重要であることは明らかであり、性同一性やアイデンティティに関わる違和感は幼少期から青年期にわたって一貫して存在しています。これらの問題は社会とのギャップやストレスを生み出し、全般性不安障害、潰瘍性大腸炎、月経困難症などの身体的・精神的な症状をもたらしています。
性転換治療は、患者の性別アイデンティティに対する理解や受容を促進し、適切な身体の変化を通じて生活の質を向上させる可能性があります。これは身体的な側面だけでなく、心理的な側面においても重要であり、声優活動を通じた肯定感の向上がその一例です。また、性転換治療は社会的な適応にも寄与し、友情や人間関係、就職活動や仕事での困難に対処する上で他者とのコミュニケーションを円滑にする可能性があります。
同時に、母親からの性同一性障害に対する無理解や心理的虐待からの脱却も急務となっています。障害者グループホームへの転居は、理解あるサポートや専門スタッフによる適切なケアが期待でき、共に生活する仲間たちとの交流が可能となります。この新しい環境での生活は、母親からの無理解や虐待から解放され、性同一性障害に対する健康的なアプローチが促進されるでしょう。障害者グループホームへの転居は、患者が自己受容感を深め、アイデンティティを模索する上で重要な一歩となり、心理的な安定と成長を促進することが期待されます。
【展望】
障害者グループホームに転居し、性別適合治療を受けながら作業所へ通所しつつ社会復帰を目指す。

【治療に対して不安なこと】

  • 性欲が強くなることで女性に迷惑をかけるかもしれないこと

  • 男性社会でいじめやいびりが強くなる事、女性からの当たりがさらに強くなる事

  • 暴力沙汰を起こさないか

  • 体調が良くなって障害年金が切られるかもしれない事

  • 入院したりするときに、病院に迷惑が掛かるかもしれないこと

  • トランスジェンダーを隠せなくなりトランスジェンダーに対するヘイトを受けざるを得ない場合があること

  • コロナが重症化しやすくなる事

  • 女性ホルモンが減る事により発達障害が悪化する事

  •  ホルモン治療の副作用

  • 骨粗鬆症

  • やっと自分の障害を受け入れたのに回復しても簡単にやる気が出ないかもしれない事

  • 生活保護を受けながらホルモン治療をする金銭的余裕があるか

  • 喧嘩をしないか、人を傷つけないか

 こんな感じの事を書かされた。あと当時の写真も添付しろとか、写真なかったらどうすんねん(写真は需要なさそうなんで割愛します)
 まあ、国内で保険適用内で胸オペしようとするからこんなに大変なだけで金に糸目を付けなければもっと簡単に性別適合させてくれる病院はあります(10年前に知ってたらそこ行ってた)。ただ今の僕は国内の正規ルートをちゃんと整えるための前例になって日本の医療制度の発達に貢献して貧しいトランスジェンダーも救える国になって欲しいからわざと犠牲になってあげてるんです!(お金がないのと自己責任が怖いだけ)
 次は天下のはりまメンタルクリニックに行こうかな。最初にそこに行けよ(笑)針間医師は反社会性パーソナリティに詳しそうだから理解してくれることを期待。期待通りの治療、一度も受けれた事ないけどね。催眠療法も脳波測定もADHDの検査も受けたいな~。アイヌ料理の店が近くにあるので寄れたら寄ってみます。

 実際、子供の頃にアイヌの血を引いてると知ってたら生き方変わってたのかなあ。だって「ジェンダー」は「日本人のジェンダー」だから、もしかしたらアイヌのジェンダーで考えたら僕はトランスジェンダーじゃなかったのかも? なんて余計な悩みまで出てきて余計人生が複雑になった。遺伝子検査なんかしなきゃよかった(笑)弥生人の女の子と比べるから悩んでいただけで……弥生人の男性が嫌いだから恋愛対象が女性になっただけで…う~ん??? 僕のアイヌに関する知識、『ユキの太陽 』くらいしかない。読んだ時「僕もアイヌの血引いてたらいいのに」と中二病っぽく思ったりしたけど実際引いてると分かると「うわ~めんどくせぇ~!」と思っちゃった。でも検査すればかなりの数見つかるとは思う。そもそもハプログループ検査で見つからないアイヌの末裔もいっぱいいるしそんな事言いだしたらキリないけど…。まあいずれにしても今「アイヌ集落」とかはないんだからその中で生きる事は出来ないし、「日本人」のモノサシで見たらトランスジェンダーだし発達障害なのは間違いないんだけどね。
 東京生まれだからアイヌ界隈全く知らないんだけどなんだかアイヌ差別と発達障害差別は似たものを感じる(頭悪いから死ねみたいな…今は逆にアイヌアピールウゼェみたいな差別があるっぽい。それも発達障害を開き直るなみたいに言う人いるでしょ)。でもアイヌは少なすぎて発達障害ほど保護が手厚くなかったのかもしれないな。発達障害はせめて国が急ピッチで制度を整えてくれてるだけ救われてると思う。まあ、親の働きかけがでかいんだろうな。あとアイヌは証明手段がなかった……? 顔立ちがなまじ似てるせいで……? 逆に顔でバレてしまうから諍いも生みやすいのか。発達障害も(トランスジェンダーも)埋没派と年金請求派で争ったり、ADHDとアスペルガーで争ったりするし。アイヌとしての立場をどうしたいかは人それぞれだし、埋没して生きられる人とそうでない人がいるもんね。僕みたいに不意に発達障害って知る人もいるけどまあ軽い発達障害って診断されようと思う人だけが診断されるしなあ。
 前回「発達障害は戦争で減ったから目立ち始めるようになった」って言ったけどやっぱり戦争で健常者が減って発達障害増えたのかな。となると日本、後退してる(笑)僕らには過ごしやすいけど…

 あと先日、相談支援で訪問看護を勧められました。うーん、確かにデイケアに行くのめちゃくちゃ大変で食事も合わなくてだいたい体調崩すんだけど、でも心の準備も何もできてないのに強制的に副腎疲労に詳しくない人が来てキチガイ扱いされたり誤診されたりするイベントが毎週発生するのも絶対ストレスなんだよな……。

 それでは、やっぱり血便が治らないとまよこ りゃんシーでした。

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