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雑感記録(164)

【今年の振り返りです。】


今年も数えるところ、あと数日である。何だかあっという間だった気がする。というのも、今年は僕の中で激動の1年だった。良くも悪くも、自分自身を振り返る最良の1年であったことは言うまでもない。2023年の1月1日、まさかの初日からやらかしている訳で、当初はどうなるかと思ったけれども無事に何とか終りを迎えることが出来る。いや、まだこれを書いている時点ではまだ迎えていない訳で、「迎えることが出来そう」という表現がここでは妥当なのかもしれない。

はてさて、実は僕はここ数日「書きたい」気持ちはあるのだけれども、中々書けないという状況が続いている。前の記録でも同じようなことを記したが、つまりは「全文書いては消して」という作業をひたすら繰り返しているのである。noteの記録を最後まで書ききって「何か違うんだよな…」としっくり来ずに消してしまう。本当は消さなくて良いのだろうけれども、やっぱり僕は僕自身の書く文章が恥ずかしながら好きである。こういう場に残すからには、やっぱり僕以外の人に見られることも考えるのは勿論のことであるが、何より自分自身がこれら記録の最良な読者であるからこそ逆に妥協できない部分もある訳だ。そういったある種のプライドが僕を邪魔していることが原因である。

それでも、これもまあ過去に散々書いている訳だが「書きたい」という欲望は僕の心にいつも住まっているのである。「読みたい」「書きたい」というのは僕に於ける生活の2大欲求ならぬ、2大欲望なのである。1人暮らしを始めてからというものの、実は「読むこと」「書くこと」(以下、長いので総称して「読書」と表記する)以外にさして興味が持てなくなっている。食事や衣服、インテリアや家電とかそういったものへの興味関心が薄れてしまった。勿論、必要最低限の買い物はする。生きていくためには食事や衣類は必須なのだから、これは興味が薄れる薄れないの問題ではなく、本能レヴェルの問題である。詰まるところ、僕は最低限の衣食で生活し、「読書」に関連することは際限なく、惜しみなく愉しんでいるということを言いたいのである。

しかし、この記録もある意味で見切り発車で書いているので、根本的な解決には至っていない。またこれも「書いては消して」の餌食となるのではないかと思ってしまう。自分自身で書いてて何だか心許ないのだが。僕はそのある種の恐怖と闘いながらこれを書いている訳だ。恐怖?なのか?だったらわざわざその無謀な恐怖に片足突っ込む必要はない訳で、書かなきゃいい。それだけの話で済むことだ。というより、問題はそこではない。そういう中で、それを感じさえして自分自身が書きたいことは何なのかという事である。前も書いたが「命がけの飛躍」を僕は果たそうとしているのである。そう書くと何だか仰々しいことこの上ないが、詳しくは柄谷行人の『探究Ⅰ』を参照されたい。

とここまで豪語するからには、さぞご立派な文章を書くのかと思いきやそんなことはない。もうあとは僕の言葉に任せることにしよう。と少し無責任なことを言ってみる。しかし、あながち間違いのないことなのかもしれない。だって、言葉は僕らの意思をある所では湾曲させ、ある所では逆の方向へ伝えることだってあるからだ。つまり、これも何度も書いているが、そこに「書かれたもの(=テクスト)」というものは書いた者、読んだ者でさえどこに行くか分からないのだ。詰まるところは、その皆の諸力の散乱に身を委ね、そこにある書かれたもの、言葉の連なり、テクストを多感することが大切な訳である。いや、テクストが多感「される」ことが肝心なのである。


さて、かなり遠回りしながら言い訳を並べつつ、やっとここまで来た訳なのだが、今回のこの記録でやりたいことは単純である。書出し方から薄々感じている人は居たと思われるが、ここで僕は今年1年を振り返ってみようと思う。果たして振り返ることに意味があるのかは分からない。しかし、僕は再三にわたって書いているが「後ろに進むことで前に進」みたい人間なのである。過去に思いを馳せてみても結局過去には戻れないけれど、しかしそれでも「そこで生きていた」という事だけは確かで僕はそこに在った訳である。「温故知新」と言うと聞こえは良いかもしれないが、ただ少なくとも自分が過去に経験したことから何かのヒントは得られるはずだ。まあ、言ってしまえばそれも僕が恣意的に選択するわけだから、他人からしたら至極どうでもいいことを僕は「これだ!」と断言してしまうかもしれない。しかし、良いじゃない。この文章が書かれて1番最初に読むのは僕だから。

それで、どう振り返ってみようかと自分でも考えあぐねたのだが、ここにダラダラ時間を掛けて書くのも何だかなと思ってしまった。何か時間を掛けたからと言って良い作品が出来るとは限らない…はずだ。僕はどちらかと言えば、本を「読む」ことに主眼を置いている。だから、既に書かれている作品を購入して読んでいるに過ぎない。つまりは、その作品は既にそこにある。どう書かれたのかなんて僕らが知りっこない。知っていたら逆に怖い。それこそ、国語科の悪しき問題であるところの「気持ち問題」ではないか。僕はそんな落ちぶれた読者にはなりたくないものであるが…。

また話が飛んでしまったようだが、そろそろ本題に入らなければ。……「入らなければ」と些か義務感を以てして書いてしまっている訳なのだが、そもそも書く行為自体は自由であり、僕には選択権がある。何だかおかしな話である。僕は先に「言葉に任せる」的なことを書いていたのにも関わらず、ここでは「書かねばならない」というようなことを言っている。これでは僕は言葉に裏で操られているのではないのか。結局僕は言葉に翻弄されてしまっているのである。実は僕が言葉を操っているのではなく、僕自身が言葉に操られてしまっているのではないか!?

とまあ、色々と遠回りしてしまっているがいい加減に戻らねばなるまい。周囲をぐるぐる駆け巡ることも愉しいことこの上ないが、しかし僕は「これを書く」と宣言してしまった以上は書き終えねばなるまい。……本当は別に書き切る必要なんてなくて、自分が納得する点で終わればそれでいいのだろうけれども、これは僕の性分的な問題として何だかしっくりこない。書くことは難しいということを承知しているからこそ、最後まで自分が納得する文章を書きあげるその経験こそが肝心であるような気がしなくもない。気のせいか。

全然、話が進んでいない。何なら今、書いていて僕はこれから何をしようとしているのか忘れつつある。いや、厳密にいえば「どうでも良くなっている」という事なのかもしれない。もうどうなるか僕にも分からない所まで来てしまっているのだ。だが、恐らくこのまま書き続けると「結局俺は何を書きたかったんだ!?」となって再び最初に戻ってくるような、そんな気がしてならない。「言葉が言葉を生んでいく」という訳でもなさそうだ。これはあくまで僕の気分の問題なのかもしれない。

さて、そろそろ本題に入ろう。


僕はつまり、これから1年の振り返りをしたいのである。たった、これだけの言葉のために随分と迂回してしまった。いや、先に書いていたけれどもそんなのお構いなしに気がついたら変な方向へ進んでいたというある種の事後的なものであり、今更その時のことをどうにかしようとしたところで何にもならないのだから、とやかく言ったって仕方がない。僕は1年の振り返りをしたい。それだけの話である。

どう振り返るかという訳だが、ここにひたすら思いつく限りの言葉を並べ立て延々と書き続けるのもいいが、それは僕の方に限界が来る。何でも僕は話が脱線しすぎるようで、何を書き出すか分かったもんじゃないからそれもそれで怖くなってしまう。だから、過去の僕に頼ることにしようと思う。

このnoteは僕が起きた出来事や日々考えることについて、その都度都度書き出している場所になる。つまりは、その時に考えていた思考過程がある種、生の状態でパッケージされている訳である。果たしてそれがどう受け取られるかは僕の知るところではないが、それでもその時の気持ちや考えていることの原体験なるものはそこに存在していることは確かである。

僕は1年を4つに分けてみたいと思う。(ⅰ)入院から退院後(ⅱ)転職活動中(ⅲ)転職決定後(ⅳ)転職後、で振分けてその時期の過去の記録と照らし合わせてみたいと思う。まず以て、何だかこの時点で始まりが入院から始まるのが運が良いのか悪いのか…。まあ、それこそ何度も言うようだが、既に終わっていることであり、今更戻ったところで僕に健康な膵臓が戻ってくることは決してないのであるから嘆いても仕方がない。

という訳で、早速やっていこう。



(ⅰ)入退院後しばらく〈雑感記録(63)~雑感記録(77)〉

2023年1月1日、僕は病院のベッドで新年を迎えた。急激なお酒の摂取による急性膵炎で2週間程、ベッドで点滴を受けながら過ごす。今思い返して見ると、馬鹿だったなと思う訳だ。そもそも僕はお酒が弱い人間なのだが、お酒が好きである。銀行は12月30日まで仕事で、仕事終わりに友人とドライブし、帰宅後寝ずに1日ずっとお酒を飲み続けていた。徹夜でお酒を飲みまくっていた。日中は散歩しながら酒を飲み、夜までずっと酒を飲んでいた。正直どれくらい飲んだかは忘れてしまったが、いつも以上に馬鹿な飲み方をしていたことは事実である。

しかし、これは今だから言えるが、実は病院に着いた記憶がない。気が付いたらベッドに居た。腹を抱えながら自転車で病院に向かったことまでは覚えているのだが、どういう経路で病院に向かったのかはさっぱり覚えていない。検査も微かにしか記憶がない。年始ということもありタクシーが捕まらず、家族もみな飲酒していたので車も出せず、救急車も正月早々呼ぶのも対外的にということもあり自分で行った。自業自得である。

入院中は痛さとの闘いの中で、2,3日はベッドをのたうち回っていた。眠ろうにも痛くて眠れないし、トイレに行くのも一苦労だ。もう2度となりたくないものである。ぜひ皆さんも年末年始のお酒の飲みすぎには注意されたいところである。肝臓もだが膵臓も飲酒で影響を受けるということだけはぜひ知っておいて欲しい。経験者は語るというやつである。

入院は実際2週間程度で、痛みが治まると暇を持て余す。家族にお願いして着替えや服を持って来てもらい、ひたすら読書とNetflixを往復する日を過ごしていた。時間が有り余っていると、実は不思議なもので苦しいのだ。暇を持て余すということは何よりも苦痛であることを身を以て体験した。だからと言って我を忘れるほどの忙しさには遭遇したくはないのだが…。退院後、僕はこの記録をしたためたのだが、この時はラカンにご執心だったみたいだ。

退院後は月1回の定期健診と病後の食事制限などもあり結構気を遣って生活していたように思う。加えて、周囲の皆にも気を遣わせてしまう生活をしていた。本当に申し訳ないなと思う。家族には僕だけの食事を毎回作ってもらっていたし、職場の人にも食事制限のお陰で食べられるものが無くて、食事に行っても気を遣わせてしまったし…。自分にとっては生活を見直すいい機会であったことは言うまでもないことではあるのだが、他人に迷惑かけてまで自分を見直すということは心苦しい。

退院後は入院していたことで仕事とある程度のいい距離感が保てており、業後も比較的落ち着いた生活が送れていたように思う。この頃からちょこちょこ文量がわりと多めになってきている。僕の読書量と比例して文章量が多くなっていることもあるし、やはり落ち着いた時間が比較的取れると書きたいことも沢山出てきて自ずと手が動いてしまうものである。

この時に割と文量を割いて、尚且つ1番愉しく書けた記録がこれである。自分で見返して見ても、実は結構面白いなと勝手に思っている。これは大学の時のレポートを再度改めて、今の観点から再考してみたというものである。恥ずかしながら、実はこの記録は今でも時たま1人で読み返している。

自分の中で少し趣向を変えて書いてみたのがこの記録である。ただ僕の音楽遍歴を辿った記録ではある訳だが、やっぱり音楽は僕にとっては切り離せないものである。これ以降の記録でもちょこちょこ音楽について触れているものがある。ここではある種の総論的な形で書いているのである。ちなみに最近も相も変わらずヒップホップを聞いている。

この時期は転職活動も本格化してきて、少しばかりではあるが会社を受けるようになった時期でもある。転職エージェントとの面談や会社の面接が立て込み、徐々に徐々に書ける時間が失われていたような気がする。正確に言えば、「書きたいことは沢山あるけど、書いている場合ではない」というある種の理性が強く働いていた時期だと思う。何と言うか常に気を張っていたような気がする。とはいえ、こんな記録を残すぐらいの余裕があったことを考えるとまだまだなのかもしれない。

最近はめっきりドラえもんやクレヨンしんちゃんを見なくなった。今は本ばかり読んでいるので息抜きでアニメを見ようとも思う。



(ⅱ)転職活動中〈雑感記録(78)~雑感記録(111)〉

この時期あたりから転職活動が本格化してくる。実はもう少し前からちょこちょこは動き出していたのだが、転職エージェントの面談であったり、業界について調べる期間があり、どこかを受けるという所までは至っていなかった。ちょうどこの辺りだから、3月の中旬ぐらいからかな。面接も本格的に始まって受けては選考通って対策して…みたいな日が続くことになっていく訳だ。

正直、この時期が1番しんどかったような気がする。というのも転職活動と通常の業務を同時並行でやるし、そのことを職場の誰にも話さずコソコソとする訳なのだから心身のストレスは尋常では無かった。だからこの時にnoteがあって本当に良かったなと心から思う訳である。そんなストレスのやり場が無い時に「書く」ということでそれを客観的に捉えなおし、自身の考え方とか在り方を確認することが出来たからである。

この転職活動が本格化してきたあたりから、実は銀行の方で係替えがあった。そのお陰もあってかなり疲弊することが多かったように思う。今まであまり触れてこなかった業務をやる訳で、毎日が新しいことの連続だ。それにも慣れなければならないし、転職活動を平日に行なうこともあり生活リズムが一変する訳だ。とりわけ4月が1年の中で1番大変だったかもしれない。毎日20:00から21:00ぐらいまで残業し、土日も9:00~17:00まで仕事をした。それと並行で転職の面接は何件も容赦なく入って来る。残業しながら面接をこっそり会社で受けたのは今ではいい思い出でもある訳だが…2度としたくはない。

しかし、そのお陰もあってか、わりとメリハリのつけられた生活を送れていたような気がする。休みの日は思いっきり好きなことをして、平日は仕事と転職活動に忙殺される。休日に本を読み、noteを書き連ねる。そんな日々が続いた。ところが、これは至極当たり前だが転職活動が進んで行くにつれて、面接もリモートから対面形式が増えてくるのである。僕は地方に住んでいるので東京まで来て面接を受けなければならない。そうすると平日は仕事で厳しいので土日に行くしかなくなる。ごく稀に平日での対応がある際には有給を使用して面接に行く。東京と山梨との行き来の生活が始まってもくる。

この時はまだコロナもテレビではひっきりなしに報道されていて、そういった感染の危険の中で行き来していたものだから、実は家庭では戦々恐々であった。「また東京行くのか?」と母親には言われ「コロナ持ち帰ってこないでよ」と口酸っぱく言われたものだ。もはやそれが僕を自宅から送り出すときの挨拶みたいな感じになっていて、何だか変な気持ちもしたが、そのお陰で変に緊張せずに面接など迎えられたのではないかとも今では思える。まあ、後で書くことになるが、結局僕はコロナに罹るのだが…。

忙しさの中で本が読めなくなっている状況が続いたことで、本について少し深く考えられるいい期間であったとも言える。というよりも、時間がないからこそじっくり向き合えたような気がしなくもない。この辺りから僕は「文学」というものの必要性というか、「果たして現代に於いて「文学」を読むことの意味」みたいなものを強く意識するようになった。忙しさ、それは社会活動に生活の中心が移行していて、そこで「文学」が果たす役割って何だろうと念頭には常にあった。

それでも、僕はやはり「文学」なるものが好きだったから継続的に読み続けている訳だが、不思議と最近の作品を全く読まないということに改めて不思議と感じるようになった。それを果たして「文学」と呼べるのか?はたまた、今この世に出ている小説なるものたちは「文学」と呼べるほどの何かを秘めているのか?いや、そもそも「文学」とは何なんだと、こっちの方面に於いても煩悶とするような読書をしていたと思う。そういったこともあって、本や作家については昔の作品や作家を扱うことが多い。それは今でも変わらないのだが…。

雑感記録(100)あたりから実は少し自分の中で、少し散文的な文章にも挑戦してみようと思い、変な文章を書き始めたのもここからである。元々詩を作ったりはしていた。別に公開する気はさらさらないけれども、何だか心の中で何かが溜まったというか、「この瞬間だ!」というのが不思議とあってそれを何故か書きたくなってしまうのである。最近では言葉で書くことそのものに僕は疑念を持ち始めてしまっている訳なのだが、しかし僕は伝達手段の1つとして言葉を持ち合わせているのだからそれを利用しない手はないし、それしか利用できないのである。これについてもまた後に触れることにしよう。

この時期は本当にあらゆる意味で多感な時期だったように思う。



(ⅲ)転職決定後〈雑感記録(112)~雑感記録(137)〉

転職が決まってからもかなりハードな毎日だった。この時期はツケの精算というか、そういった感じで様々なことが一気に押し寄せてきた。嬉しかったこと、哀しかったこと、辛かったこと…本当に様々な体験を一気に経験したという感じである。しばしば、人は新しい環境を迎えるというか、人生の転機が訪れる際には様々なことが起こると言われている。正しくそれに該当する期間であったと言わざるを得ないだろう。

転職の経緯などはこの記録に記した通りである。僕は将来的に地元でマイクロライブラリーを開くという大義名分がある。実現できるかどうかは分からないが、それに向けて動き出している。とにかく本が足りないということで今は積極的に本を買い占めている。そして何より貯金だ。現実的な話にはなるが、資金が無ければ何も始まらない。それに銀行で融資をやっていたこともあり、資金調達をするにせよ、自己資金ゼロでの借入は相当なハードルがある。加えて「マイクロライブラリー」で資金を返済していくとなると厳しい話だ。とにかく今は貯金と本集めである。

実際、自分自身でどう動いていいのか分からず暗中模索中ではあるが40歳を目標に今は頑張っている所である。正直、僕はそれでお金を稼ぎたいという欲は一切ない。純粋に「文学サロン」的なところ、詰まるところは僕の周囲の人たちで愉しめる場所、空間を作りたいそれだけなのだ。好きなことを全力で話せる場所、それがどういった形であれ実現できればと考えている。これは僕の野望である。

はてさて、この時期はまず自身の部屋整理、引越しの準備からことは始まる。この引越し準備が僕にとって「文学」について考える再びのいい機会になった。それは整理しながら自分の本棚に眠っていた本たちを呼び醒まし、準備そっちのけで読書に勤しむことが出来たからである。それに僕は本当に馬鹿なので、これ以上本を増やしたら引越しが大変になるとも全く考えずにひたすら本を購入しまくっていた。

特に、この雑感記録(117)『【年々薄れゆく熱】』は本当に僕の本心というものが書けたのではないかと思っている。この現状というのは実際、今も正直変化していない。昨今の小説が持ち得るものとは果たして何なのか、そして現代の小説を読む意味とは何なのかということを真剣に考える様になった。

勿論、今の小説は今の時代に沿って描かれた作品であり、要はその描かれた当時の社会を少なからず反映しているように思われる。だから現代の小説を読むこと自体に意味がないとは言えなくもないが、しかし、それらが与える何かというのは結局のところ「部数」やそれこそ「〇〇賞」と言ったものに絡めとられてしまっている。それに抗えるような作品、絡めとられまいとする作品が少ないことに僕は落胆を覚えているのである。

そこで市川沙央さんの『ハンチバック』を読むわけだが、これが実に良かった。所謂「当事者性」という所がかなり強く出ている訳だ。「当事者だからその界隈の事情はよく知っているから書けるに決まっているだろ!」というのは些か傲慢である。これを読んでそれが言えるもんなら大したもんだと思う。僕はこうして書いているが、口が裂けてもそんなことは言えないなと痛感させられた。

所々、むむとなる箇所はあったものの非常に学びの多い作品だった。

そんなこんなで色々と考えながら読書をし、引越作業を進め順調に進むと思っていた矢先に1つ目の悲劇が起きる。それは祖父の死である。いつかは来るのだろうと覚悟はしていたのだが、思いのほか早く来てしまった。もう少し一緒に入れるはずだと思ったのだが、中々そう上手くはいかないものだ。紋切型の表現で些か恥ずかしいのだが「失ってから初めてその大切さが身に染みてよく分かる」のである。

僕も今年で27歳になって、何と言うか「人の死」に真正面から意識を持って向き合ったのはこれが初めてであった。小学校2年生の時にもう1人の祖父を失っているが、その時はまだよく事情が分からずに「多くの人が来るんだな…」というぐらいにしか思っていなかった。でも、今この年齢になって多くの人が来てくれるということがどれだけの意味を孕んでいるかということが物凄くよく分かったのである。僕は両祖父にとっていい孫だったのだろうか。いつかそれを聞ける日が来るだろうか。

そんな感傷に浸る間もなく現実はどんどんやって来る。時間とは残酷なものである。引越作業を再開しながら働き、そして転職が成功したことなどを友人たちに報告したりとしなければならないことは山積みである。それで友人へ報告がてら一緒に集まって遊んでいた時に2つ目の悲劇がまた僕を襲うことになる。それは僕がコロナに罹患したのである。

これは僕も驚いたというか、正直自分なんかどうでもよくて、その時一緒にいた友人やこれから過ごすことになる家族に何かあっては困るという気持ちが先行していた。しかもコロナに罹患したのが8月の中旬で引越の日程にも影響が出かねない事態になってしまい、実はこの頃はプチパニック状態であった。罹ってしまった以上はもはやそれを取り消すことなど出来ないのだから、仕方がなく諦めて大人しくベッドに寝ていることしか出来ずもどかしくも長い1週間だった。

今では職場でインフルエンザが流行している。幸いにも僕は罹患していない。ワクチンの接種も結局転職でバタバタしてしまい受けることが叶わなかった。何とか気を付けたいところではあるのだが、如何せん飲み会が立て続けに入れられているので最悪だ。まだまだ気を抜けない日々が続く。皆さんもぜひ気を付けて欲しい。

コロナに罹患し、引越スケジュールが大幅に狂ってしまったことでコロナ完治後は忙しさを極めた。それに職場との所謂「有給問答」なるもののお陰で何だか心身ともに疲弊してしまった。有給が消化しずらいとは聞いていたがここまで融通を効かせてくれない会社も中々だなと憤慨する。会社の人たちは好きだったが、銀行という組織そのものが嫌いになった。

結局、銀行に仕事に行っても僕は引継書類などや挨拶は早々に済ませていたのでやることが無かった。だから僕は今だから言えるが滅茶苦茶サボった。日中「お客さんのところ行ってきます」と言って自宅に帰り、引越作業をしたり、買い物へ行ったりした。本当に何もやることが無かった時にはソフトクリームを食べに車で2時間かけて観光地まで行ってきた。いや、あれは愉しかったな…。有給20日もあるのに使わせてくれないのだからこれぐらいは許してほしいものである。

この時に書いた記録だが、ここで僕は「書くこと」について自覚的になっていったように思う。これは今も決して変わらない。こうして書き続けることは僕にとっての熱狂で、今後もずっとnoteに、あるいはnoteというプラットフォームが無くなったとしてもどこかで書き続けるだろう。僕はこれからも書き続けたい。



(ⅳ)転職後〈雑感記録(138)~雑感記録(163)〉

転職してからというものの、僕の文化的生活は向上の一途を辿る。noteも文章に脂がのるというと些か変な表現にはなるのだが、圧倒的に文章量が増加したのである。言葉を費やすことが全てではないけれども考えることが多くなったというのがあるのだろう。独り暮らしをすると今まで以上に時間が取れるので様々な方向に考えを巡らせることが出来る様になったのは言うまでもない。

あとは単純に休日が自身の好きなことに全振りできるということも大きな要因の1つであるだろう。銀行員時代はとにかく休日も資格試験の勉強などに追われ、休日でも仕事のことを考えなければならずそれが正直しんどかった。土日も普通にバンバン試験はあるし、僕は幸いにもゴルフは断り続けていたので何とかなったが、ゴルフをしたりとか。あとは休日出勤がやたらに多かったので精神的にメリハリのついた休日という形ではなくて、本当に日常生活の延長線上としての休日という感じで、「休むことまでもが労働化」されていた。その当時は本当に気が狂いそうだった。

しかし、現在ではそんなことはない。そもそも好きなことを職としたので毎日がある種の趣味みたいな感じである訳で、勿論大変なことは多いが精神的には非常に健康的な毎日を送っている訳だ。人間だからまあ色々とあったりするけれども、それでも僕には神保町がある。もうそれだけで十分なのである。好きなことが身近にあるというだけで頑張れる。

最近というか、東京に出てきてからというもの、僕は詩に興味関心が移行し始めている。何かきっかけがあったかと言われると、単純に小説が読めなくなって物理的に文章量の少ない詩だったら読めるだろうという至極単純な理由からだった。しかし、実際に読み進めてみるとこれが奥が深い。元々詩も好きで読んではいたが、現代詩を中心にして読むという試みは自分の中では初めてである。例えば田村隆一とか鮎川信夫とか、中村稔とか。吉岡実とか大岡信や吉増剛造とかは既に好きで読んでいたから全然「あ、初めまして」みたいな感じではないのだけれども、それでも凄く新鮮な感じがしたのである。

詩について考えることは同時に僕にとって「言葉」そのものについて考えることと段々同じになっていった。それは吉増剛造の詩集を読んで言語感というのだろうか、そういったものが大いに影響を受けたのだと思う。とりわけ『怪物君』という詩集を読んでからというものの、言語を解体できないか、あるいは僕らがそもそも行っている「書く」という行為にはどんな作用があるのか。もっと言ってしまえば言葉へ置換することの意味とは何なのだろうかというところまで考えている。

僕はその糸口として柄谷行人(とりわけ『探究Ⅰ』)やデリダやソシュール、そしてポール・ド・マンへ遡行して考えることにした。時折、ラカンやフロイトと言った精神分析の手法も参考にしながら色々と考えあぐねている。まず以て言葉の特質を考え直すことから始めようと思った。しかし、我ながら錯綜しているなと思う訳だ。単純にソシュールの言語学から入り、「あれ、いきなりデリダに行くやん」とか果ての果てには「ジジェクおもしれえ!」ってなって何だか右往左往しているような気がしてならない。ま、面白いから良いんだけれどね。

ただ、何となく分かったことというか、肌感を持って感じられることとしては言葉は常に事後性であるということだ。当たり前のことっちゃ当たり前だ。例えば僕らが何か言葉に発しよう、あるいは書こうとする際に考えているその瞬間と言葉に落とし込まれそこに書かれる、発されるまでにはある程度のタイムラグが存在する。その感じたことの瞬間を言葉で表現するという事は、そこである種客観的にならざるを得なくて、何というかドライな形にならざるを得ない。

しかし、幸か不幸か僕らには言葉というツールしか相手に情報を伝達する手段はないのである。それでしか自分の意思を示すしか出来ないのである。無論、人間は表情や身振り手振りなども使用できる訳だが、それだけで情報の伝達は当然難しい。これもごくごく当たり前のことである訳だ。そういった事情があり、言葉にするという事がどこかで神聖化されているのではないかと僕には思えて仕方がないのである。

ラカンは「空のパロール」「充溢したパロール」と発話行為を2つに分類した。僕はこの「空のパロール」というものを聞いたときに「なるほどな」と思いつつも、どこか無理があるような気がしていた。つまり「空のパロール」とは簡単に言ってしまえば「他愛のない、くだらない意味を持たない会話」ということである。しかし、「意味を持たない」というのは到底不可能な話ではないのか?つまり、それは言葉自体が意味を持ってしまっているのだから「意味のない」といくら主張しようがシステム的に不可能なのではないかと。

それで最近、「意味/無意味」ということにも実は興味関心が出ている。僕らは何か行為をする時に、意識しているか、はたまた無意識的にかは分からないけれども、そもそもこの二項対立的なもの自体が意味がない(?)と思われて仕方がない。それはさっきの話と被るが、言葉にしてそれを伝える、聞く、書く、読むということをしている時点で、その「言葉」に意味がある訳なのだ。しかし、これもまたおかしなことを言っているのである。

ソシュール的に言えば「差異は同一性に先立つ」訳であって、その言語の意味というのは何かとの比較対象が初めてあってこそ「意味」として定立するのであって、言葉単体で意味を成すという訳ではない。もっと言ってしまえば、日本語の場合は漢字が1番のネックであると僕は思っていて、もしこれが全部ひらがなだったらと考えてみるとどうだったのだろうかと変な想像を働かしてみたり…。

実は意外とこの雑感記録(155)がこれを考えるうえで結構個人的に役に立っている。デリダ的な思考を考えるにはもってこいの題材であると、僕は個人的に思っている。所謂、「差延」という概念を肌感で体感できるのはこの作品が持ってこいだと個人的には感じているところである。トイレから物語は始まるが、個人的には何度も見返している記録である。

そんな訳で、今は言語学やその周辺に興味関心がある。



はてさて、いやはや、これでざっと1年間を振り返ってみた。しかし、思い返すと本当に激動の1年だった気がする。特に6月から10月に掛けては本当に短期間の間に様々なことが起こりすぎて、何が何やらと言った感じであった。ただ、確実に言えるのはその困難というか、大変さを乗り切って来れたお陰で今の愉しい生活があるということである。

また、多くの人に支えられてここまで来た訳だ。これを「1人で頑張ってここまでやってきました!」という気は微塵もない。というよりも、そんなこと口が裂けても言えないだろう。僕は常々思っているのだが、「人は1人では生きていけない」ということ。これに尽きるんじゃないかと思う訳だ。誰しもが、例えそれが引きこもりだろうが、人と関りを絶とうが、自分は孤独だと感じている人だろうが、1人で生きている訳ではないと僕は思うのだ。

とかく、自分で言うのも烏滸がましいことこの上ないが、僕は本当に人に恵まれている人生だと思う。怒涛の1年だったけれども、周囲の人たちに支えられて今の僕があることは間違いのない事実である。とにかく今年1年はそれを強く感じた年だった。

実生活に於いても、はたまたSNS上に於いても多くの方々に支えられた。感謝の気持ちでいっぱいである。ありがとうございます。

来年も引き続きどうかよろしくお願いします。


2023年、今年のnoteはこれを以て終了です。1年間ありがとうございました。来年からも引き続き、よしなに。

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