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雑感記録(93)

【本についてあれこれ】


今日は何となく書きたい気分なので、特にトピックがある訳でもなしに書き始めてみる。こういうものも時たま気分転換になるものだ。堅苦しい変な話は置いておくとして、今日は楽にくだらないことを肩の力を抜いてテキトーに書いてみようと思う。


先日こんなツイートを見つけた。

個人的に僕もこれは同意するものがある。僕は元来ビジネス書やら自己啓発本が得意ではない…というかむしろ嫌いなのだが、その理由というのを上手に説明出来ずにいた。過去の記録で何回か挑戦しているが、自身で読み返していて何だか浅いようなことしか書けていないではないかと常々反省してしまう。

しかし、このツイートを見て僕は「ああ、何か言いたいこと凄く分かるな…」となったのだ。僕は一朝一夕で得られる教養何ぞクソだと思っていて、そもそも教養なるものはたった1冊の本を読んで培われるものではない。それはまやかしに過ぎない。僕らの経験と知識の実践の積み重ねがあってこそ初めて教養となり得るのではないのかと常々考えていることである。

このツイートに書いてある通りビジネス書やハウツー本は原典を読むことを「後回しにする最高の言い訳」であると僕も感じる。結局、そこに纏められていることは簡単に分かりやすく、いやもっと言ってしまえば良いとこだけ切り抜いてきているだけに過ぎない。もしかしたら、その切り抜き以外の箇所で読者に響く可能性がある訳だが、その可能性を潰している。

僕はハウツー本やら自己啓発本に書かれている誰かの成功体験やら経験談などを読んで関心はするが、その体験を真似ようとは1ミリも感じない人間だ。だってその人はその人だし、自分は同じ人間ではないのだから到底無理な話だ。その体験談通りに自身が動いたからと言ってそう上手く事が進むとは思えない。

まあ、そこは人それぞれだから何とも言えないことはあるだろうが、とにかく言いたいことはハウツー本や自己啓発本を読んでそれを真に受けているようじゃいけないということだ。そこに自分の思想はあるのか?そこに自分の意思はあるのか?ここが肝心なように思う。

それこそ、佐々木中さんが仰るように「ビジネスのための教養などと言う本を読むくらいなら、画集の一冊バッハの音源一枚でもすぐ浴びるべき」である。僕も激しく同意する人間の1人だ。こういうビジネス書やら自己啓発本が出回ってしまうことに危機感を覚える、そんな休日。


はてさて、僕はこの休日色々と本を読むことが出来た。ここ数週間はハイデガー漬で、ハイデガーの本ばかり(といっても2冊ぐらいなのだが…)読んでいる。『ニーチェ』と『存在と時間』を同時並行で読んでいるのだが、如何せん難しい。『ニーチェ』に関しては、僕はそもそもニーチェが好きで著作はあらかた読んでいるのでその補完といった形で読んでいるのだが、示唆に富んでいて面白い。だが、時々分からなくなる。

難しい本を読んでいるとそれに引っ張られて、他の本を読みたくなってしまう。『ニーチェ』を読んでいて、力への意志をひたすら芸術の観点から論じている部分を読み、何故か画集が見たくなり久々にワイエスの画集を引張りだして眺めたり。あとは何でか分からないけど、机にバルトの『記号学の冒険』が置かれていたので、それを読んでみたり。水木しげるの『日本妖怪大全』をつまみ読みしたり…。

冊数にしてみればキリがないが、ちょこちょこ色んな本を読んだ休日であったように思う。そうして、箸休めでこれまたツイッターを見ていた。

この写真を見ていた時、僕はハッとした。というか、興奮冷めやらぬ感情を抱いた訳だ。「ここに…リカルドゥーがあるだと…」と。

リカルドゥーについては度々僕の記録で登場しているので説明はしないが、テクスト論をやりたい人は1度読んでおいた方がいいだろうと思われる。とりわけ、この写真にも写っているが『小説のテクスト』は非常に重要であると思われる。僕も大学時代にボロボロの『小説のテクスト』を読み込んだ。

僕は図書館で本を読み、気に入った作品があったりするとどうしても欲しくなってしまう質の人間である。だから、僕は図書館が実はあまり好きではない。何故なら読んだ本悉く自分の手中に収めたいと感じ、まともに読書出来なくなってしまうからだ。欲望とは恐ろしいものである…。

ご多聞に洩れず、この『小説のテクスト』は大学時代に図書館で読んでから「いつか必ず手に入れてやる」と心密かに今日の今日まで過ごしてきた。それが、まさか、ここで出会うことになるとは思いもしなかった。

しかしだ。じゃあ今からこの古本屋に行くか!とはどうしてもなれない。それにこのツイートが掲載されたのはおおよそ1週間前のことであり、もしかしたら既に売れてしまっている可能性も十分にあり得る。リスキーだ。かなりリスキーだ…。時間を掛けて行って、お目当ての作品が見つからず踵を返してきましたじゃお話にならない訳だ。僕は諦めようとしたけれど、やはり諦めきれない!助けて!Amazon‼‼‼‼‼

という訳でAmazonを開き検索。すると8冊の取り扱いがあることが判明した。お、ラッキーと思い商品詳細を見る。僕は綺麗な状態で本を買いたい人間であるから、この商品詳細はかなり重要になってくる。ここで細かく書いていない古本屋や出品者は大抵あてにならない。一字一句丁寧に読み込んでいく。

そうして選んだ1冊。金額にして14,231円だ。他の商品詳細と比べるとこの出品者のものは何だか信用できそうだったのでこれにした訳だ。欲しい作品が返るのならば安い買い物だ。


と書いてみた訳だが、本をあまり読まない人からすると1冊14,000円も使ったと話をすると結構驚かれることがある。正直僕は好きなものに対してお金を惜しまないと決めているから、僕にとっては当たり前のことなのだが驚かれることが多い。

僕は今、実家で生活をしている。本当は1人暮らしがしたいんだけれども銀行のクソみたいな規則のお陰で出来ずにいる。しかし、実家にいることで金銭面の部分に於いては非常に得をしていることは言うまでもない。だからこそ、好きなことに全力でお金を使える訳なのだが…。

僕は自分の中のルールとして決めていることが1つだけある。それは「本や芸術に関するものに対するお金は絶対に惜しまない」というものだ。これは絶対に譲れないものの1つである。というよりも、それ以外に現状お金を掛ける場面がないといった方がいいだろう。ある意味で最高な時間を過ごせている訳だけれど…。

先月の僕の支出を改めて見返してみたのだが、やはり本代に掛けるお金が突出して多い。以下支出内訳。
・本代:100,000円
・タバコ代:10,000円
・サブスク(Netflix、Amazon Prime):1,600円
・つみたてNISA:20,000円
・医療保険:9,800円
・自動車保険:13,000円
・新聞代:4,000円
・ガソリン代:6,000円
・その他娯楽費:30,000円
・実家支払:20,000円

ちなみに先月の給料は手取り200,000円ぐらいなもんだったので、月単位の収支で言えば大分カツカツというか赤字な訳だが、それなりに貯蓄もあるし飯代や光熱費が掛からない分かなりマシではある。しかし、どう考えても本に対する比率がおかしい…。我ながらこうして書き起こしてみてビックリしている。

銀行員は結構金遣いが荒い部分がある。僕の周りだけかもしれないが、結構みんなカツカツで「今月は大分厳しい」と先輩方は口を揃えて言っている。ただ、その事情はよく分かる。銀行員は給与がいいと思われがちだが、実情は違う。特に地方銀行ともなると違う。大手メガバンクと比べたら雲泥の差だ。

何と言うか、仕事に見合った給与が支払われていないというのは常々感じるところで、頑張ったところで給与が上がらない現実を知ってしまったからこそ僕は転職に踏み切った訳だが…、まあその話は置いておくとしよう。

とにかく、僕は本に関してお金を惜しまず使う人間である。欲しいと思ったものは買うようにしている。結局それが部屋中に積まれることになるのだが、それはそれで構わないとさえ思う。本の背表紙や表紙を見ているだけで心落ち着くものがある。たった100,000円で心の平穏が保てるのならば僕は安いものだと感じる。


しかしだ。これが例えば、仮にだ、結婚しましたとかなったらどうなるだろう。それはその時できっと状況も変わってくるから何とも言えないだろうが、いずれにしろ僕はこれからも本にお金は惜しまないだろうと思う。

そうすると今度は本を置く場所が限られて来る。現に僕の部屋は本だらけで、幸い今は足の踏み場がある状態だが、いずれ入れなくなってしまうだろう。あまり読まなくなった本は祖母の家に一旦置かせてもらってはいるが、やはり手元に置いておきたいというのが本音である。

ということを考えると、やはりさっさと金を貯めて独立してマイクロライブラリーを経営するしかないなと思う訳だ。それも含めて転職先を考えている訳なのだが…。しかし、最近少し筋道が見えてきた。「そうだ、街の不動産屋しながら事務所をマイクロライブラリーにしちまえ」と。

まあ、何やかんやあって色々と動いている訳なのだが、これが夢で終わらないようにこれからも頑張っていきたいななんて思った、そんな休日。


さて、明日からまた退屈な仕事が待っている。

休日は夢より儚い。

よしなに。

生きているということ
生きているということ
生きて生きて生きて生きて生きているということ

のどが渇き木漏れ日が眩しいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ

生きているということ
生きているということ

鳥が羽ばたき海がとどろき
カタツムリは這うということ
あなたと手をつなぐこと

ことごとく今回も言葉だけじゃ足りない
ありもしない風景を思い描いては
迷うということ悩むということ
生きることに対して問うということ

生きているということ
それはミニスカート
プラネタリウム
ヨハン・シュトラウス
ピカソ

全ての美しいものに出会うということ
眠るということ

不可思議wonderboy『生きる』(2012年)

これを聞いて明日からも頑張る。


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