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雑感記録(43)

【温故而知新 可以為師矣】


以前、僕は記事で昨今の、何というか所謂「読書アカウント」なるものに対して苦言を呈した。

ここでは読書に於ける数字的な信仰について書いた。これは投稿の内容というより、プロフィール欄に着目して僕なりに記録したものである。しかし、僕は別に数字で指標的に表現すること自体には何とも思っていない。年間何冊読むことを目標にしようが、これまで何冊読んできたかなんてのは僕には全く以て関係がないからだ。ここで言っているのは、それをあからさまに表現しちゃっていることに疑義を感じるという趣旨で記録した。それを書いてしまうことで「自分は凄いんだぞ」ということを表現するつもりが微塵もなくても、そう見えてしまう危険性について書いたまでである。

これは僕が気にしなければいいだけの問題なのだが、僕は上記記録の最後にも記したように僕もそれなりに読書が好きなので、その良さを伝えたいというのがある。そうすると「果たしてこれで読書人口が増えるのか?」いやもっと突っ込んで「読書の愉しさを伝えることは可能か?」というところでやはり「むむ」となってしまうことがある。

さらに付け加えるならば、こういった人たちの投稿はその大半がビジネス書の類ばかりを紹介しているし、最近の作品ばかりが紹介されている。最近の作品を多く紹介していることには別に何も言う必要がないが、やはりそういったところで僕は読書が消費化されているなあと感じてしまう。何というか、読書という行為が消費的なものになっていて、何よりも即効性を求めているような気がしてならない。それに対しては僕は非常に危機感を抱いている。

そういったことを助長させるような投稿が目立ってきていることがやはり僕には気に食わない。しかも、それでいてそれを1つの読書経験としてカウントしている(そもそも、そんなカウント自体も不必要だと思うのだが…)のも馬鹿馬鹿しい程この上ない。そこで今回は、いや今回も。そういった人たちの投稿の内容を仔細に検討し、僕なりに思うことを記録したい。気分を害されるようなことがあったら申し訳ないが、僕は迎合するつもりはないので悪しからず。


1.頻出ワード「知識」「語彙力」「読むべき」

各種投稿を見ているとおおよそ、いや必ずと言ってもいいほど決まったワードが出てくる。それが「知識」「語彙力」「読むべき」これら3種類の言葉である。もっと細分化するのであれば「読まなきゃ損する」「絶対読むべき」「教養が身につく」…etc…挙げればキリはないのだが、こういった要は不安を若干煽るような形で紹介される。

この時点で、僕自身も「どんな本かね」と思ってその投稿を見てしまった訳で。まあ、実際に覗いて見て秒で後悔したのだけれども。正直何も分からない(と言ってしまったら大変失礼なのは承知の上でだが…)人達なら食いついてしまうのだろうと思う。

ここで注意しておきたいのだが、僕は別に紹介されている本が「読む価値がない」とか「読んでも意味がない」ということを言いたい訳では決してないし、それはあまりにも失礼にも程があるというものだ。ここで僕が問題にしたいのはあくまでその紹介の仕方であり、本の内容の良し悪しはあまり(←ここ大事ね)重要とはしていない。

とはいえ、その絶対読むべき本として紹介されている本のその殆どがビジネス書というのには呆れ果て言葉を失ったことは言うまでもない事実である。再三繰り返すが、別にビジネス書が悪いということを言いたい訳ではない。問題なのは自称読書好きがそればかりオススメしていて読書の愉しさを伝えられているかという点である。

「知識」だの「語彙力」など、僕からすればそんなことは二の次だ。前提として「読むことが愉しい」とならなければそもそもそこにすらたどり着けないのではないのか?全面的に「知識」「語彙力」「教養」というものを出されたところで、手っ取り早く身につけられるものであるならそれはまがい物ではないかと僕は常々感じている。

これは「読書の愉しさ」を伝えるためというよりも、「読書という消費行為をしましょう」ということに重きが置かれている証左ではなかろうか。


2.温新而知新(新しきを温め新しきを知る)

紹介されている本の殆どがビジネス書であると同時に、古い作品、俗に言う「名作」とされているような作品は一切出てこない。これは正しく「読書の愉しさ」からかなりかけ離れているというように僕は感じて仕方がない。

常に新しい本が出版される中で、日々知の様相というものは進化しているのは間違えのない事実であり、当然それについて行くことは非常に重要である。まあ、当たり前っちゃ当たり前のことで、自身の知のアップデートを行っていく必要は常にある。

ところが、こういった人たちの投稿を見ていると、皆してビジネス書あるいは小説であっても最新のものばかりであり、殆どが「名作」と言われるものを紹介していることはない。僕から言わせれば時代に迎合しているだけである。時代の潮流に乗ってただ気持ちよくなりたいだけじゃないのか。と言ってやりたい。

というと、僕も昔の作品(昔?なのか分かんないけれどもあまり読まれないような作品?なのかな?)ばかり読んでいる訳だから「お前もただ時代に逆行して、迎合しないことに満足してるだけじゃねえのか」というように捉えられてしまうのだろう。しかし、僕はそれに対して反論したい。

常に情報というのは更新されて、日ごとによって進化していくものである。情報もある意味では生き物である。それを捉えることは重要だし、何よりそれを捉えているからこそ我々は生活が出来ている。スマホで調べれば新しい情報は出てくるし、それに対する思考の動きも併せて行われる。しかし、その情報を鵜呑みにしていいものかどうかは疑問である。

その情報の整合性、あるいはその情報に対する思考の動きというものを判断するにはその前段階の情報というものが必要不可欠になってくるのである。そこが面白いところであり、難しいところではある。つまり新しい情報を捉えるためには、その前段階の情報をこちら側もある程度一定の理解をしていないとならないのである。

ということは、過去のデータ、ここでは作品、知の様相とでも表現しておけばいいだろう。それを振り返る作業が必要になってくる訳だ。新しいものを知りたいのであれば当然過去の作品に触れる必要性が十分にあるということである。

新しい作品、ビジネス書や最近の作品をそれ単体で考えることなど不可能に等しいのである。そこに行くには必ず振り返らなければならないのである。そこが「読書の愉しさ」の醍醐味であると言っても過言ではない。

こういった人たちの投稿の殆どが過去の作品には触れず、その新しい作品単体のみで提示し、例えば「この作品を読むならこれを読んどくといいよ」みたいなものが提示されていないから僕は面白さを微塵も感じないのである。読書家ならそこを伝えてこそではないか?と感じるのは果たして僕だけなのだろうか。


3.いかに早くコミットするか

こういった投稿を見て気づいたことは、いかに早くコミットするかという点が重視されているという点である。つまり、どれだけ早く役に立てるかということである。それが正しく「知識」や「語彙力」「教養」といった文言を使うことに関わってくるのである。

僕はそもそも「知識」や「教養」などがたったその1冊を読めば得られると思って投稿しているその心持が気に食わない。そんな1冊を読んで教養が得られるならこの国はもっと豊かになってなくてはおかしい。国民全員が知識人であっておかしくないはずだ。

何と表現すればいいのか、その「知識」や「教養」というものが目先の物であるという考え方は傲慢以外の何物でもないのではないのだろうか。これの顕著な例が「100分de名著」とかいうやつだ。あれこそ「知識」「教養」の冒涜ではないのか。

名著を紹介しようとするその心意気は非常に良いものであると思うのだけれど、100分と時間設定をしていることが気に食わない。たかだか100分でその人の著作を語りつくせる程のものなのだろうか。その人の思考を語ることが出来るのだろうか。そんなものではないだろう。

しかし、何故時間設定が出来ない事柄に対して時間を設けるのか。仕事ではあるまいに。ということを考えて見るときにやはり「即効性のあるもの」が重要視される世の中であることというのが大きな要因ではないかと思われて仕方がない。

「明日からでも使える」といったものなのだろうか。まあ、そもそもそんな「使える」とか道具的に表現していることも腹立たしいことこの上ないのだけれども、そういったことが目立つ。

話を戻すが、とにかくそういった投稿の趣旨なるものが滲み出ていることが僕は腹が立って仕方がないのである。


さて、ここまで苦言に苦言を重ねてきた訳だが、僕自身も読書が好きだからこそこうなってしまったのだと思う。「読書の愉しさ」これを伝える以前に「消費する読書」を推奨してどうするのか。

沢山の本を読むこと。これは紛れもなく重要なことである。様々なジャンルの本を横断的に読むことは知のアップデートに必要不可欠だし、日々進化している情報社会を生き抜くうえで重要であるからだ。

しかし、ことさらにビジネス書の類ばかりの紹介をし、常に新しい情報のみを発信するという態度はどうも僕は解せない。何と言うのかな、僕は別に紹介することが悪いこととは思っていなくて、別にビジネス書を紹介するならするでそれは良いと思うんだけれども、なんかもっと上手にすればいいのになって思ってしまう。

注目を浴びたいだけ、いいねが沢山欲しいだけというのであれば構わないけど、本当に読んで欲しいと思ってるなら、そんな嫌らしい書き方でなくて、純粋に「この本のここが面白いんだよ!」っていうことをもっと全面的に出した方がいいと思うし、何か系統づけてその本の関連書籍的なので所謂「数珠つなぎ的」に紹介してくれれば面白さがより増すんじゃないかなとは思う。

ちなみに僕が好きな投稿というのは、その人のゴリゴリ趣味全開という投稿である。何気ない日常に突然現れるゴリゴリの趣味全開感、本当に好きなこと(かどうかは分からないけれども)について考えたことを全力で書いている投稿というのは面白いし、継続して読みたいとなる。

むしろ、そういった人たちの投稿の方が魅力的だし「めちゃくちゃ読みたい!」となるのだ。


最後の最後にこれまた苦言を呈して終わろうと思う。

「社会に迎合した投稿して愉しいかい?ビジネスライクで紹介してないかい?」

よしなに。



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