見出し画像

もう、戻ってくるんじゃないよ。と送り出された日。

精神科に入院した時の事を書いた、この前の記事。

そこで出会った人の続きとなるのだけど、Uさんと、Mさんの事を書こうと思う。

物を言うことの大切さを教えてくれた人

テレビを見ていて、時々話すのは主にUさんだった。
歌手のこととか、俳優のこととか…。

Uさんは、70歳くらいのおばあさんで、しっかりした方だった。
矍鑠(かくしゃく)というのは、こういう人だな、という感じ。
実際、院外への外出なども自由で、外のお店に買い物に行ったりもしていた。

自分の事を気の強い性格と言っていて、
「この役者は嫌い。」
と、ハッキリ言うのだけど、それが爽快に思えた。

今考えると、当時の私は、家では長いこと自分の気持ちや意見を言えない状態が続いていた。
自分の感情もよく認識できない状態だったのだと思う。
なので、嫌だとかそういう事を感じたり、言葉に出してもいいんだ、というのを実感できたのかなと思っている。

そういえば、私も
「ここの薬は、絶対に、子供には飲ましたら、駄目だよ。」
と、言われて
「飲ませませんよ!!」
と言った事があったなぁ。

Uさんは、「兄弟が多い長女だったから、兄弟が育った時に、子育てはもう十分。子供もいらないから、結婚はしないと決めたんだ。」
と言っていたのを思い出す。
あの年齢でしっかりした仕事を見つけて暮らすのは、なかなか大変だったのかなとも思う。

契約済みの高齢者向け施設の空きが出たら退院したいと言っていたけど、退院できたのだろうか。

退院のときに
「もう、戻ってくるんじゃないよ。」
と言ってくれて、
「はい。」
と答えたけど、あの時の言葉は忘れられないな、と思っている。

雪に埋めたシャンパンの美味しさ

Mさんも、70歳くらいのおじいさんだった。
話かけても気さくに答えてくれるし、いつもニコニコ、背筋がピンとしていた。爽やかで、にこやかな、おじいさん。

よく話してくれたのは、スキーの話。
昔、スキーの先生だったらしく

「雪山のてっぺんから、ピューッと麓に降りるんだけど、それで、麓にシャンパンを埋めておいて、生徒達と下った後に飲むんだ。これが美味しくてね…。」

と言っていた。
そして、足を怪我して今はスキーできないんだ、とも言っていた。

私が夜中泣いていたら、話を聞いてくれた事も覚えている。

「ビシッと心を決めたら何とかなるんだ。
こうね、中心をビシッと決めて、ゆくんだよ。」

と言って、手拭き用のペーパーを渡して、励ましてくれた。

そんなMさんだけど、痴呆がかなり進んでいる患者さんだった。
よくサブバックを持って、散歩に行くと言っては、廊下の回廊をずっとグルグルと歩いていた。

気さくで爽やかな性格は、元からだったのだと思う。
グルグル歩いたりする事になっても、元からの性格はそのまま残るんだな、と思ったら、私がいつか自分じゃなくなっても大丈夫なのかも、と思ったりした。

退院したいけど退院したくない気持ち


この頃私は、早く退院したいと思う一方で、元に戻るのが怖かった。

担当医との話の中で、コンビニに行きたくて、何気なく
「院内のコンビニ(入院していた病院のロビーにある)に買い物に行ってもいいですか?」
聞いたのだけど、逆に
「出られそうですか?」
と聞かれた。

入院している階から出てコンビニに行く…
それを想像した時に初めて「あぁ、私、外に出るのが物凄く怖いんだな。」と自覚した。

入院している間は時が止まっているようだった。

外に出ると、病気の事、子供の事や入園の事、そして仕事の事、全部背負って考えて整理して、何もかもしないといけない。

それをを直視しないといけない。
それがとても辛くて怖かった。

結局、息子と母が面会に来てくれる時に、一緒に行くことにした。
息子がいる時だけは怖くなかったから、それ以外の選択肢は無かった。

当時息子は3歳。
手をつないでコンビニに行ったのを思い出す。

病院内のコンビニに行く。
それだけの事が、当時の私にとってとても大きなミッションだったように思える。
そんな事だけど、少しづつ、退院という段階に進むための儀式になっていたのかなと、今にして思ったりしている。

精神科での入院期間は、そんな風に思い出深い事が沢山あった。
会った人達も印象的だったので、また思い出したら書いていこうと思っている。


サポートしてくれると、私の心が少し温かくなります。 左上↑にある♥(スキ)はnoteユーザーでなくても出来るので、押してみてください。押すと、ランダムで私の描いた「しりとり」の絵が出ますよ。