くろむ(よく見えないデザイナー)
網膜剥離になった時の事。励ましてくれた方、話を聞いてくれた方、眼科の待合室で出会った方たちの話。
私の見えているものは、他の人とは違う。 下の記事に書いたように、私は「目のよく見えないデザイナー歴」がそこそこ長い。 最初は、網膜剥離の目で見ると、線がガタガタだったり、円がマトーリュシカに見えたりで、すごく落ち込んだ。 線が直線に見えないし、円は真円に見えない!と。 でも、それが曖昧に定義されているもので、他の人との共通認識で決められているものなんだ。 という事に気づいてからは、気持ちが楽になった。 皆「直線という概念」を見ている 「直線」は鉛筆やボールペンでフリー
この前、ツイッターを見ていると、気になる引用ツイートがあった。 というものだった。 元のツイート内容を見ると以下のような概要。 今見ると、消されてしまったようなのだけど…。 このツイートを見ると、 「空港で人の荷物を運ぶなんて危険」「頼まれても断るのが普通」「犯罪に巻き込まれるのでやめしょう」 と 「いい話だった」「とても感動した」 という感想(つぶやき)があった。 同じ文章でも、人によって「見え方」が違うんだなと思った。 常識としての話なのか 哲学としての話なの
目の病気と育児のストレスで緊急入院した時があった。 病名は適応障害。 最近よく見かける病名で、診断されている人も多いと思う。 無理せず過ごすのが一番だけど、それでも無理したら…どんな事になるのかというと。 無意識に出来てた事が出来なくなる。そんな事が起きた。 前兆目の手術のあと、4ヶ月、眠いのに全く寝られない状態が続いていた。 目を閉じても、この後、目が見えるのか不安だった。なので、あの頃は毎回閉じた目の裏をじっと見ていた。 寝られる気配はなくて、 「この病気をどうや
精神科に入院した時の事、本当に取り留めない事になるのだけど、また一つ書いておこうと思う。 挨拶したかった人 いつも私の事を気にかけてくれた、看護師のMさんは、若くて元気のよい看護師さんだった。 看護師になって2,3年くらいだったのだろうか。 他の看護師さんは、優しくもあり、だけど淡々としたところもあったけど、Mさんは元気な新人という感じで、私が沈んでいる時も元気に声をかけてくれていた。 たまたま、あとで話そう!と言われた日に別な患者さんが騒動を起こしてしまい、話せなかっ
精神科に入院した時の事を書いた、この前の記事。 そこで出会った人の続きとなるのだけど、Uさんと、Mさんの事を書こうと思う。 物を言うことの大切さを教えてくれた人テレビを見ていて、時々話すのは主にUさんだった。 歌手のこととか、俳優のこととか…。 Uさんは、70歳くらいのおばあさんで、しっかりした方だった。 矍鑠(かくしゃく)というのは、こういう人だな、という感じ。 実際、院外への外出なども自由で、外のお店に買い物に行ったりもしていた。 自分の事を気の強い性格と言ってい
精神科に一ヶ月ほど緊急入院した事があると書いた、この前の記事。 今回はその時会った人達の事を書こうと思う。 変わった人もいたが、事情があり家がなかったり、家で暮らす準備期間中の人、どこにでもいそうな人達も入院してたのが、入院先の病院だった。 https://note.com/kuromunote/n/n5bdbee8096cd 病練にも談話室があり、個室から出られる程度に回復すると、よく談話室で過ごしていた。 談話室には、いつも決まったメンバー4〜5人がいてダラダラとテレ
皆さんは精神科病練の雰囲気を知っていますか。 目の大病のあと、調子が悪くなり倒れて、一時的に精神科の病練に緊急入院していた事があるのだけど… 精神病練というのは、他の病練とは少し違う感じ。 ずーっとあーとか言ってる人が居たり、何しているのかよくわからない人も多かった。 とはいえ、 私が入院したところは、大抵の人は病室のベットで寝て静かにしている(というか、何もする気が起きないのだと思う)ごく普通の人が多かったらしく、たまーに騒動みたいなのがある程度だった。 朝起きて
あともう少し、眼科の待合室で出会った人の事を書こうと思う。 一人はとても元気だったおばあさん。 隣に座っていたので、私の方から話しかけた。 このおばあさんも随分前に片目が網膜剥離になったそう。 ある日、目の前に暗いカーテンが下りてきて、緊急手術したと言っていた。 「網膜剥離という病気は、物がぶつかったりした時以外は、全部カルテに『原因不明』って書かれるみたい。原因が判らないって。 だから、努力しても気をつけても、どうしようもない病気なんだよ。」 と言っていた。 そし
この前の続きのなるのだけど、眼科の待合室でで何度か会ったSさんという女性の事を書こうと思う。 Sさんは具合が悪い私を見かけて声をかけてくれ、診察が終わって薬の処方までつき合ってくれた。 それも数回。 とてもいい人だった。 この人も、かかりつけでは治療不可能な眼の病気だった。 病気になるまでは「本が友達」で読書が趣味だったという。 今は、1、2ヶ月に一回、目の注射をしに近隣のS町からはるばる病院に通って来ているといっていた。 定期的に目に注射をしないと視力が保てないよ
私は術後しばらく眼科に通院していたのけど、その時に病院の待合室で出会った人たちの事を書こうと思う。 その頃、私は病気がショックだった事もあり、夕食以外は決まったもの(野菜ジュースとヨーグルトのみ)しか取れなくて、しかもほとんど寝られない状態だった。 そんな普通ではない状態で病院に行って、待合所で何時間も待つという事が苦痛だったし、不安でたまらなかった。 この後どうなるのだろう。仕事は出来るのか。 そんな中、同じ病気の人と少し話すと気持ちが楽になった。 最初に話した人は
病気(網膜剥離)になったのはもう5年前の事。 今はなんとか折り合いを付けて、普通に暮らしていますが、暮らすには、あると便利なものがやっぱりあります。 少しづつ試した結果、今のベストアイテムと思っているものを書いておきます。 今の装備メガネ(身につけるもの) 手術した人は大抵作る事になります。 もともと凄い近眼と少しの乱視だったので、メガネをかけていた。 が、手術後は同じメガネは使えない。 私の場合は、手術の時に眼内レンズも入れたので度数も変わった。 最初の頃は物が歪ん
前回noteを書いて、さて何を書こうかなー? と思って、少し考えていた。 私以外にも同じ目の病気になった人はいるし。 でも、デザイナーだった人っていないんじゃないかな? と考えると、やっぱり、病気と仕事の事、とか書くのがいいのだろうか。 仕事は出来るの?Illustratorが使えるので仕事は出来ます。 すごいぜ文明の利器。 ただ画面を見るのはすごく疲れる。 私は元々ウェブデザインがメインだけど、一日中画面を見てデザインしたり、コーディングはもう出来ないかなー、とい
初めまして、最初といえば、 "Hello, World"だと思っている「くろむ」です。 ほそぼそとデザインの仕事をしたり、 日記を書いたり、 子供と過ごしたり、 そんな生活をしています。 ブログもやっていますが…そちらに書きにくい、諸々の事を書く予定です。 特技:特にありません他の方のnoteを見たら自己紹介的な事が書いてあり、私も書きたいのですが、私については特にありません。 という事で。私はごく普通の「デザイナー」で「主婦」で「母親」という感じなのですが、そんな