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救世主

他人を変えようとしない


昨今、政治の汚職問題が報道されています。

税金が私たちの幸福な生活のために使われておらず、
憤りを感じている人も多いかと思います。

しかし、他者の行いが不正であるとして糾弾して、
変わることを期待するのは無意味です。

他者を自分の理想の形に収めようとする行為は、
早々に手放すべき思考パターンです。

今回は、他人への期待を手放すことの重要性について考えます。


特定の救世主はいない


今は時代が大きく変化しているときだといわれます。

日本から救世主が現れ、
新しい時代を作るだろう。


という雰囲気の情報がしばしば目に入ります。


実際にそのようなことは起きているのでしょう。


例えば、今まで秘匿されていた組織の機密情報が解禁されたり、
暴露されたりという動きが活発になっています。


各々の発信者の立場や動機はさておき、
当たり前に信じられていたことや、
隠されてきたことが暴かれることは多くの人の認識を広げるきっかけになります。


そういった意味で、
彼ら発信者は認識を広げた人にとっての救世主といえます。


しかし、これから大きな変化のために、

特定のだれかが救世主として降臨する。

といった発想には注意が必要です。


一人一人の思考が止まるからです。


人類の争いの歴史は、
信じる者が対立することによっておきます。


自分が信じる者が絶対的な正義である。
それ以外は悪であるという発想です。


二元的で、それ以上の思考をやめているのです。

自分が信じるものがあるのと同じように、
相手も信じているものがあるのだというところに思考が及んでいないのです。


救世主を求める思考は、
このような対立を生む危険性があります。

違う救世主を立てる集団同士の争いになるからです。


価値観の違う他者を排除するという生き方には限界があります。

争い、敵を排除していって、
最終1対1になるからです。


一人で文明を続けることはできません。


他人を「自分の正義」という型にはめようとする限り、
進化は打ち止めになるのです。


救世主は自分自身


しかし、

方々で情報の秘匿が解除されている。
それらの配信者は人々の認識を広げる救世主とも述べました。

救世主はいないのかいるのか。

矛盾する表現になってしまいました。


その矛盾を解消する一つの答えは、

一人一人が救世主であるというものです。


一人一人が他者の気付きを誘爆させる起爆剤になるのです。

全ての人が他者から触発され、
認識を広げること、その流れを別のだれかにつなげること。

爆弾が誘爆し、連鎖的に爆発を起こすように。


救世主を自分の外側に求めるのではなく、
自分の内側に見つけるのです。


そうすると、
救世主という言葉に過度な意味づけをすることがありません。

皆が特別というのは、誰も特別でないということと同じことだからです。


誰もが存在の不確かな他者の存在を待ち望んで期待するのでなく、

自分は今の時代にどんな自分として存在するか?

ということを決め、そのように生きることが、

個人や世界全体の成長のために重要です。


無力感を手放す


冒頭で政治の汚職について触れました。


救世主を外側に求めることの問題と関係ない冒頭だと思われたかもしれません。


しかし、共通する問題の本質は、


他人に自分の人生をゆだねているという点です。


それが不愉快な状況を作り出している本質です。


救世主の登場を期待することも、
汚職に手を染める政治家にまっとうな行いを期待することも、

自分の外側の変化を欲しています。


欲しても自分の人生の幸福は手に入りません。


他人に変わることを期待するのは、
自分では状況を変化させる力がない。

ということを自分に言い聞かせているようなものだからです。



救世主もまっとうな政治家も必要ありません。


自分は自分で人生をより良くできます。


救世主も真っ当な政治家もいてもいなくても関係ありません。

自分は自分の人生に向き合うだけです。


政治家の行いは、日本国民として生活するうえで幸福につながるから真っ当な行いを期待するのは当然と思うかもしれません。


しかし、期待しても変わりません。
できることは自分の行動を変えることだけです。


不正を働く他者に力を与えているのは私たち自身です。

私たち一人一人の無力感が、
他者に付け入る隙を与えているのです。


自分はどんな状況でも幸せに生きて、
幸せに死ぬことができる。


という確信があれば、
不愉快な他者に力を与えることはありません。


自分への無力感と、
そこからくる他者への期待がエサになっているのです。


無力感を手放し自分の人生を取り戻していきましょう。


そういった意識で過ごすと、
思いもよらない部分で自分が無力感を感じていたことに気付くことができます。

気持ちの良いことではありませんが、
その壁を越えたとき新しい自分として生きることができます。


全ての人が無力感を手放し自分の人生を取り戻した時、
自信に満ちた個人が互いを豊かにし合う、
素晴らしい世界が広がっていることでしょう。



























































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