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どうも
精神科病院勤務
専門学校外部講師脳神経学
をしてる者です

さて

考え方の差が人生を左右する
って話

ニーチェ
ツァラトゥストラはかく語りき
にて
大人は喜び方が足りない
という指摘があります

そう人間は全ての事象に順応適応していく生き物です

順応は受け身で無自覚に慣れていき
適応は能動的で自覚して慣れていく

どちらにせよ
人間の本能は素晴らしいSYSTEMなのです

が、
このSYSTEMの代償として
我々は感謝すべき事も
嬉しい事も
感動する事も

気がついたら
当たり前、普通、無。

という処理をしてしまうんです

ここを指摘したのがニーチェなわけですね

そしてそれを防ぐ為にはどうすればいいのか?
まで提示してくれてます

それは

考えること

です 

この発想を小学校6年の時に知って
衝撃を受けた事を覚えています

そう
喜びが足りないのは
順応適応してしまってるから

今日朝起きて
飲食が手に入る事への感謝は?
着る服がある事
履く靴がある事
風呂に入れる事
ガスや電気がある事
トイレが1人でできる事

起きてから
幾つも幾つも
感謝すべき事だらけ

おまけに
人の家には不法侵入してはいけないという人権まで与えられて
安心して
朝から好きな本で
好きな論文で勉強できる
つまり言論の自由がある
勉強する自由もある

そう
考えないと感謝には気付けないのです

それが当たり前や普通と感じるってことは
まだまだ歴史の勉強不足かもしれません

ほんまに当たり前なのか?
普通なのか?

一体何が喜びで
何がありがたいのか

考えなくなってないか

現在でいう
能登のように
地震被害に合って
日常が壊されるまで…
あそこまで行かなければ
日常への感謝ができぬか?

災害や戦争が起きてから
いつもの当たり前に感謝する…
のは…
遅すぎませんか?

そんなに
日常を当たり前やと思えるのは
やはり危険

何が一体当たり前なのか
考える時です

それを考えて考えて
深くまで理解できた時には
大人でも
子供のように心底喜べる
人間らしさが復活できるでしょう

っていうのが
ニーチェによる喜び方への考え方なわけですね

今日
1つでも感謝できる事を探す
1つでも嬉しい事があれば
なぜ嬉しいと感じるのか?
何が嬉しいのか?
と考えるCHANCEとして使う

それが習慣になれば

1つ嬉しい事が起きたら
単純に感情で嬉しいという事に加え
何が嬉しいのかも考える事ができて
さらに嬉しい事への深みまで知れて
あなたの嬉しい気持ちは
何倍にも膨れ上がるのですよ

それをボーっと
まぁ普通の事やな
まあー当たり前っちゃ当たり前やしな
って処理してる内は
まだまだ迷路の中にいる事になるでしょうね

世の中で
幸せそうに生きてる者と
不幸を背負った顔で生きてる者との
圧倒的な差は
考える癖です














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