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【時代小説の名手に聞く!】時代小説はどこまで史実に忠実であるべきなのか(2012年8月号特集)

※本記事は2012年8月号に掲載した永井義男先生のインタビュー記事です。


デビューは「算学」を巡る小説

――昔から時代小説を書こうと思っていたのですか。

 僕らの世代だと、高校生くらいの頃はほとんどが作家か映画監督を目指していたものです。ご多分にもれず私もいつかは小説を書いてみたいと思っていましたが、当時小説といえば純文学が主流。なかなか踏み出せずにいました。
 ただ、読書だけはしていました。特に江戸時代の風俗を描いた史料本や、江戸学の祖といわれた三田村鳶魚の随筆なんかはかなり読んでいましたね。古地図を見ながら、当時の名所旧跡をたずねて歩きまわるのも好きでした。

――第六回開高健賞を受賞された「算学奇人伝」では、日本古来の数学「算学」をテーマにされていますね。

 開高健賞が公募ガイドに載っているのを見て、これなら書けそうだと思ったのですが、現代物の応募は多いだろうから時代物でいこう、題材もあまり知られていない「算学」を取りあげようと考えて書いたのが「算学奇人伝」です。
 それで、たまたま賞に選んでいただき、その後は割とスムーズに作家としてスタートすることができました。本来なら、受賞しただけで必ず売れっ子になれるほど甘い世界ではありません。比較的すぐに仕事の依頼がくるようになったのは、時代小説の中でも珍しいテーマを扱ったことで「なんだか面白そうなやつだ」と思ってもらえたのかもしれません。

経験や知識がすべて生かせる

――時代小説とはなんですか。

 簡単にいえば、舞台設定を明治以前の時代に移した小説です。一方、歴史小説は実在の人物が登場し、史実に沿ってストーリーが展開します。しかし、歴史小説にも架空の人物が登場することはままありますし、時代小説の中に史実が取り入れられることもあります。明確な区分けは非常に難しく、結局のところは書き手がどちらを志向するかで決まってくるものだと思います。
 時代小説のほうが史実に忠実である必要がない分、書きやすいというのはあるでしょうね。人間の本質は時代によって大きく変化するものではありませんから、あまり構えずに書き始められるということもあると思います。

――特別な知識がないと書けないような気がしますが……。

 ある程度の年齢の方なら、むしろ現代小説より書きやすいと思いますよ。私自身、デビューは40歳を超えており、この年齢では史上最年少で芥川賞を受賞した綿矢りささんのような作品はどうやっても書けませんからね。
 一方で、年齢を重ねて培った経験や知識は若い人よりも相対的に多いはず。歴史学者ほどの知識はなくても、あの話だったらだいたいこのあたりの資料にあるだろうなどと見当をつける力は、若い人よりも備わっていると思います。
 また、子育てやサラリーマン経験など、一見、時代小説とは関係がないようなことでも、市井のおかみさんや藩邸暮らしの武士を描くときは大いに役立ちます。そういう意味では、特別な勉強というより、これまで経験してきたことが意外と役に立つんですね。

――ご自身ではどうやって作品を書かれるのですか。

 デビュー作についていえば、当時たまたま通勤で通過していたのが北千住で、そこはかつて千住宿と呼ばれた宿場町でした。途中下車して歩いてるうち、ほぼ1キロにわたってまっすぐに伸びる日光街道を見て、ふと「この道を図形に見立てて、算学のストーリーをつくったらどうか」という着想がわきました。
 情報収集については、地域の郷土資料館を活用しました。その地域の情報という面では大きな図書館よりも充実しており、複数の分野にまたがった資料が集められるので非常に便利です。こうして集めた資料を一通り読んで、あとは自分の足で舞台となる土地を歩きまわりながら構想を練りあげていきました。

時代考証より作品の面白さ

――書くときに注意すべき点は?

 基本的には何をやってもいい(笑)。
 たとえば、佐藤賢一の「女信長」や隆慶一郎の「影武者徳川家康」は、それぞれ信長は女だったとか、家康は関ヶ原の戦いで暗殺されていたという設定です。ただ、それだけ広大な「嘘」をつくからには、周りはきちんと事実で固めておかなければなりません。そうして、読者が面白いと感じて引き込まれていけば、何を書いても許されるわけです。
 あとは、調べたことを全部書こうとしないこと。私が昔書いた作品も、読み返すとまだまだ知識の羅列が多い。今ならもう少し大胆に削ってストーリーにメリハリを持たせられるのでしょうが、当時は調べたことを読者に知ってほしい気持ちが強かったんですね。
 読者は歴史の勉強をしたいわけではありません。時代設定はあくまでも背景であって、ストーリー上の伏線などでない限り、説明は最小限にとどめるべきだと思います。

――歴史について人並みの知識しかなくても書き出してかまいませんか。

 小説の場合、細部まで描写しなくても「武家の妻女」「茶屋娘」と書けば読み手のほうでだいたいのことは理解してくれます。実際、藤沢周平さんの小説でも、必要以上に細部を書き込むということはしていません。

――とはいえ、史実に反することを書いてしまうのも怖い。

 習作時代はミスをするものですし、ミスを恐れていたら書き出せません。それより、時代考証的な正しさばかりを追求するのではなく、ストーリー展開や全体の雰囲気をどうやってつくりあげるかに力を注いだほうがよいと思います。

――時代設定はいつにすればよいのでしょうか。

 描きたいストーリーや人物像が決まればおのずと決まってくるものだと思います。たとえば、剣豪を題材にしたいと思えば戦国時代や幕末期が舞台となるでしょうし、市井の人情話であったら江戸が豊かになり始めた江戸時代後期がふさわしいでしょう。
 私自身は、江戸文化がもっとも成熟し、吉原をはじめとする遊里が盛んであった文化・文政期から天保の時代を舞台にすることが多いですね。

――参考となる時代小説は?

 藤沢周平の文章は素晴らしいと思います。文章の書き方、季節感の出し方など学べるところは大いにあるでしょう。読むだけでなく、1ページを丸ごと書き写してみると、句読点の打ち方や改行の仕方、会話の呼吸がより明確に実感できると思います。

学ぶ楽しさも時代小説の醍醐味

――難しく考えず、まずは書き始めることが大切なのですね。

 時代考証の試験があって、合格しないと書けないという訳ではありませんからね(笑)。初めて書かれる方であれば、これまでの経験がどこかで生かせるような題材を選び、それに見合った時代設定を選べばよいでしょう。書いているうちに知りたいことが出てきますから、そこで初めて勉強を始めればいいのです。興味のあるテーマなら勉強も面白いですし、そうやって知識を吸収できる喜びこそが時代小説を書く醍醐味です。
 時代小説は、中高年の方がこれまでの人生経験を生かし、さらに勉強を積み重ねることで大成する可能性が十分にあります。小説家になりたいという夢をお持ちの方、ぜひ時代小説でデビューを目指してみてはいかがでしょうか。

永井義男(ながい・よしお) 
1949年、福岡県生まれ。1997年、『算学奇人伝』で第六回開高健賞を受賞し、以降、豊富な知識に裏打ちされた多数の作品を発表する。『二人の兵法 孫子』『死人は語る 蘭法医長崎浩斎』『春画と書き入れから見る吉原と江戸風俗』など著書多数。

特集「時代小説のいろは」
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※本記事は「公募ガイド2012年8月号」の記事を再掲載したものです。


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