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継続から見えてくる光

何事も継続をすることはすごく難しい。
どんなに張り切って始めたことだとしても、それを続けることは容易ではない。そんな時に、どうしたら継続することができるのか。ずっと考えていた。するとあることに気づく。継続することの最適解を求めることこそ。継続を妨げているのではないかと。結論から言えば、継続をする上で最も効果的で重要なのは、「行動をすること」。そう、動き続けることがいちばん大切なのだと考えた。

僕らは日々、あらゆることに対して、多量な情報を見てきている。取捨選択をするとしても、多すぎる情報量の中で。それに加えて、人間関係、仕事、趣味といったそれぞれの個性からくるプラスアルファの情報処理をしなければならない。そんな疲れ切ることが目に見えている中で、継続に関することや、新しい取り組みのことを考えていることは無茶以外なにものでもない。だから人は、癒しを求める。人のいない場所、自分らしく在れる場所に居場所を求めるのだと思う。

そんな中で、なぜ「行動をすること」が一番の継続につながるのかと言えば、走り出したら人間はあゆみを止めようとしない生き物だから。例えば、身の回りの人に何かやりたいことを宣言する。すると、それをやらない自分が許せなくなって、なんとしてでもやろうとする。自分で自分に発破をかけることは、少なからずほとんどの人が経験しているのではないだろうか。かくいう僕もその一人である。僕の場合は、むしろ必ずと言って良いほどに、人に宣言してから、物事に挑戦することが多い。退路を経ちたいのだ。自分の不甲斐なさや、だらしなさ、弱さを知っているからこそ、大きく見せようとする習性がある。これはある意味、弱みにも思えるのだけど、自分ではそう思っていない。これを活用することで、自分という人間と向き合えると信じているし、実際にそれに手応えを感じ始めている。

昨年は、新しいことを始めたことがきっかけで、いろんな人から「本気でやりたいことが見つかっていて羨ましい」と言われた。もちろん、その言葉にはいろんな意味合いがあると思っている。「私はできない」「私は見つかっていない」「羨ましい」みたいなことだと思うのだが、この新しいことを見つけられたのは「行動し続けていたからこそ」。何か継続できそうなことを探していたわけでも、本気でできそうなことを考えていたわけでは決してない。見えない将来に不安をかんじながら、目に見える範囲のことを手探りでトライしてみた結果で見つけることができた。振り返ってみれば、なんとなく行動し続けていた経験だったのだ。たまたま、カメラと出会って、家族写真と出会っただけなのだ。想像の中には、一ミリも考えていなかったことが、今の自分の新しい取り組みにつながっている。言うなれば、そんなものなのだと思う。

この文章を通して、自分が伝えたいことは、「考えるより、行動しろ」ということ。簡単ではないかもしれないけど、考える時間を多く作るくらいなら、行動していた方が、何かに引っかかる可能性が増える。僕はそれを経験したし、自分が意識していたこと。

ちなみに、僕は、今、新しい取り組みをたくさんしていこうと思っている。これも、深く考えたわけではなく、なんとなくやってみたいからやりたいと思ってる。今考えていることが、全滅かもしれないけど、思っていることをやることで「新しいこと」を発見できるかもしれない。

考えていても、チャンスには出逢えない。

行動をすることでしか。チャンスには出逢えない。


もっと、気楽に生きよう。

もっと、気楽に挑戦してみよう。

失敗したって、いいじゃん。



おれ、がんばれ。

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