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たまには ほんとうのことを はなしてみたいの

たまには ほんとうのことを はなしてみたいの

たまには ほんとうのことを はなしてみたいの
わたしが ひとり 眠りにつく 手前で 浮かぶ 言葉に ついて

たまには ほんとうのことを はなしてみたいの
わたしが 何十年も かけて 塗りつぶしてきた この黒目に ついて

たまには ほんとうのことを はなしてみたいの
わたしが あなたと 一緒にいる時の ことと わたしが あなたと 一緒に いない時の ことを

たまには ほんとうのことを はなして

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燦々

燦々

ただの音が聞こえる。水の中。こごもるゆえに落ちる鮮明。しかと聞き届けたいと思えども、わたしの耳には水が膜張る。そうじて聞き入れられぬ思いが泡沫にわたしの身体を温めて。知りもしないその名前を口ずさむ。考えている時間に過ぎていく夕焼けの美しさについぞ気を取られずにいられるわたしは利口だ。

するすると祖父の墓から這い出た蛙は解語の花を摘む。わからないままでそうしておける精神をただそのままにしておける。

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タイムトラベルおばあちゃん

タイムトラベルおばあちゃん

祖母が時間を旅するようになってから、きっと彼女は幸福だっただろうと思う。直線的な時間を生きているわたしたちからすれば縦横無尽なタイムトラベルをひとりでにやってのけてしまう祖母の幸福は妬ましく、煩わしいものであった。

祖母は彼女が生きたおよそ94年間を順不同に経験し直すことができた。新品の炊飯器のような少女がわたしたちを見つめたかと思えば、はじめて男に裏切られた時に世界もろとも呪い殺しかねない鋭さ

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悪と花

悪と花

自分自身のことを大切にしなさい。母から受けたのか、先生から受けたのか、それとも知らないおじさんから受けたのかもわからないこの言葉。正しさをデッサンしたらきっとこの言葉が浮き出てくるだろうというほどに透き通る正しさを持つ言葉。わたしをあらゆる不幸から守ろうとしてくれた。うかつさの隙間からにゅっと伸びた黒い腕がわたしの首元を犯そうとした時にも、この言葉はわたしを守ってくれた。その実感はある。

しかし

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ミモザ・シンクロニシティ

ミモザ・シンクロニシティ

これで学校という場所で卒業式を経験するのはきっと最後だろう。友人の多くはこの先、何回も何十回だって学校という場所で卒業式を経験する。そのたびにきっとこう思う。”辛いことや我慢のならないことがたくさんあった、誰にも気づかれず涙を流し、歯を食いしばって過ごした時間もあった。けれどそれらは今日という日のためにあり、そして今日から始まる明日への架け橋となるに違いない。あの子たちにもそうあってほしい。”と。

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ピュシスを覚えているか

ピュシスを覚えているか

「カフェ 古猫」にて。あっちはカフェモカ、こっちはエチオピア。
音楽はドン・シャーリー『Georgia On My Mind』。
ぬるんとしながらピカピカしたコーヒーカップにミルクを足そうとした。

「いつだって最後はミルクを入れるよね」

「もったいなくない?せっかくあるのに」

「単価なんてたかが知れてるでしょ」

「うわ、やなやつじゃん」

「好き好んで入れるならいいんだけど、もったいないか

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ジョハリの窓と缶ビール

ジョハリの窓と缶ビール

父はなんともない人だった。父はいつも夜の9時くらいに帰ってきて、ご飯を食べて、テレビを観て笑って、お風呂では湯船に浸かりながら寝てしまう人だ。ぐぉぉ〜っとお風呂場から父のいびきが聞こえる。たまにテレビで湯船で寝落ちしてしまってそのまま溺死することもあるなんてことも言っていたからいつもほんの少しだけ、心配している。

父はお風呂から出たらパジャマに着替えて缶ビールを飲む。スーパーで一番安いやつを段ボ

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しょうがないことの夜

名古屋駅で見上げた夜は高いビルと高いビルの間で窮屈そうにしていた。

ぼくは大学3年生で、こうして夏休みになったら地元に帰っては、高校時代のときの友人と久しぶりにお話をしていたりする。川内さんとはそんなに高校時代にすごい仲がよかったわけではないが、大学生になってからは、なんかそういうノリで、飲みに行こうとなったりする。

川内さんは正直タイプだった。大学生になってようやく私服姿の川内さんを見たが、

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「サモエの嫁入り箪笥」第2話(最終話)

「サモエの嫁入り箪笥」第2話(最終話)

どれだけ眠っていただろうか。サモエはすでに暗くなりかかった夕ぼらけの中で重たい頭を持ち上げた。起きてすぐ体温がぶわっと上がって汗が滲んだ。暑くなったのでお水を飲みに井戸の方へと向かった。サモエの家から井戸へは少し歩いたところにある。サモエはふらふらと少しずつゆっくりゆっくり水を求めて歩いていった。これまでこんなにも疲れたことがあっただろうかという気がしてくる。なんだか狐にでも化かされている気分がす

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「サモエの嫁入り箪笥」第1話

「サモエの嫁入り箪笥」第1話

部屋にはサモエと妹のワカ、坊主のカキヤ、そして仏様が一人。仏様は生前はアンといった。サモエの旦那だった。生まれてから心臓弁膜症という病気で、永くは生きられないとわかっていた。一昨日、吐血してすぐに亡くなった。突然の夫の死に接したサモエはテキパキと葬式の手筈を整え、手際よく段取りを進めた。サモエは仏となったアンを通夜の時からじっと眺めていた。カキヤの唱える般若心経は、子供の頃に聞いていたおばあちゃん

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ある男とある猫の話

ある男とある猫の話

男には思想がなかった。いつとも知れないその日を待って、男は今日もただ煙を燻らせているだけであった。家庭はあった。家庭を持つことに関して男はなんの思想もなかった。こだわりもなかった。ただ明け方に鳴くカラスのように男には始末の悪い気持ちだけが残った。夕方になると男は酒を飲んだ。特に周りから注意されているわけでも、特に自分が特別好きなわけでもなかった。ただなんとなく飲んでいた。工場からの煙がただ男を癒し

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走馬灯の支度をしながら

走馬灯の支度をしながら

「ねぇ知ってる?かまくらって昔は四角だったらしいよ」

しん、と澄んだ空気をワコが吸い込むと喉の奥が急に冷却される。それを押し返すようにワコの体温で温められた空気が世界に戻っていく。それは一瞬、目に見える姿で現れてはすぐに消えていく。

「そうなんだ」

あたりはすでに真っ暗で、横切る人の顔も分からないだろう。カイはかまくらの外を眺めては時々行き交う人らしきそれを消えるまで見送っていた。

「かま

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新郎からのご挨拶

新郎からのご挨拶

皆さん、この度はご多忙の中私たちの結婚式にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。簡単にではございますが、私よりご挨拶をさせていただきます。

少し遠回りになりますが、私が、かなえと交際をはじめたところから話を始めたいと思います。

私たちの交際はかなえが私に告白をしてくれたことから始まりました。人生で告白を受けたのは人生で2度目の出来事でした。この世界に生きていて、異性から告白を受ける確

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消耗

消耗

マサキがアクセスした先にいたのは彼女だった。そのサイトには明らかに彼女が写っている。マサキの見たことのない表情で、マサキの見たことのない姿で彼女が写っている。マサキは心底裏切られたような心地になって岩本町で乗り換えた。

きらびやかに色とりどりに発光する広告に映る全ての女性が彼女と重なって仕方がなかった。どれもこれもがマサキのことを笑っているように思えた。マサキは彼女を抱き寄せたこの身体が憎らしく

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