2022年12月の記事一覧
岩波書店・漱石全集注釈を校正する51 いい女はちょっきり結びで眉を軒げて火の柱
単純でいい女だ
岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解には、
……とあり、漱石の皮肉が見えていない。「碌さんと圭さんの胆を寒からしめた」「木に竹を接いだように」「剛健な趣味」「惜しい事だ」「皮が厚い」「水瓜」とこれだけ念押ししているのに、気が付いていない。これはあくまでもニュアンスの話だ。しかしこれだけニュアンスを並べられて「女らしい」と受け止められてしまえば、それはもうあなたの感想ですよね
岩波書店・漱石全集注釈を校正する49 焼き印が押してある豆腐屋が杉箸でとおふい
都らしく宿の焼印が押してある
漱石の小説は不親切である。あまり最初に説明を置かない。説明しないで、順々に書かれていることから状況を理解せよという姿勢が貫かれている。棕梠緒の貸下駄に岩波の注はない。棕梠はヤシ科の常緑高木。棕梠緒の下駄は鹿児島の資料に三件、東京の資料に一件しか見つからない。何でも質素な下駄のようだ。南に来ている感じがする。
ここで「宿」とあるから圭さんと碌さんが旅館にいること
岩波書店・漱石全集注釈を校正する48 普通の小説家は面はいいけど読むものがありますか?
あまり真面目腐って他人の粗さがしみたようなことばかりしていると人間がせせこましくなっていけないので、今日はむしろ注を付けにくいところ、しかし作品読解や、漱石論としては摘まんでおくと面白いところを拾ってみようと思う。摘まむと云ったり拾うと云ったり少々いい加減だが、いい加減にやらないと届かないところもあるのだ。まずはここ。
普通の小説家
ここで言われる普通の小説家をどこの誰兵衛とまで特定する必
岩波書店・漱石全集注釈を校正する47 行屎走尿はだまを出さない現実世界
行屎走尿
岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解は、
……としている。「行屎走尿」の方が一般的か。
ここでもやはり日常のふるまいの意味で使われているようだ。ではあるが、とても大切なことなのだ。
「平常無事、屙屎送尿、著衣喫飯」の「屙屎送尿」に対して「自然に排泄して」という訳もある。これは日常のありふれた行為でもあるが、またそれこそが大切なことだという意味もある。ここをもう少し強調したい
岩波書店・漱石全集注釈を校正する46 じんじん端折りの銀箭微塵棒針を棄て去る蜜のごときもの
じんじん端折り
大抵の馬は人間より顔が長い。馬より顔の長い人間は見たことがない。ここに注はつかない。注は「じんじん端折り」につけられる。
……とある。語源については諸説あり、「神事端折」というのもある。「サンショウパサミ」というのもある。また帯に差し込む向きにも諸説ある。
〔爺端折リノ音便、氣ノキカヌ體裁カラ]。脊縫ヒノ裾カラ七八寸上ノ處ヲ摘マンデ帶ビノ結ビ目ノ下ヘ端折リ込ムコト
岩波書店・漱石全集注釈を校正する44 殿下でも閣下でも趙範先生一竿風月の三十歳
殿下でも閣下でも
夏目漱石の反体制、反天皇主義の姿勢はこの程度にあからさまに示されている。この「殿下」とは天皇、皇后、太皇太后及び皇太后以外の皇族の敬称であり、普通は皇太子である。この時期に皇太子を揶揄うことは聊か剣呑であるが、漱石には遠慮がない。
全体何が不敬と言って、こう安っぽく殿下、殿下と持ち出されることほど不敬なことは無かろう。「その時分にも殿下さまがあるの?」とはなかなか言い得て
岩波書店・漱石全集注釈を校正する42 大抵のものは同類で蒟蒻閻魔は個中の味
主人のおやじはその昔場末の名主
岩波書店『定本 漱石全集第一巻』注解に、
……とある。この資料では本郷弓町のところに区長とある。1875年は明治八年である。
この資料では八等警視属とされている。
この資料では第四区の区長とされている。東京六大区とは……
このことでしょうか。
明治十二年には七等に昇格。
明治十九年でも変わらず。
これを見ると区長の仕事に警視は含まれていな
岩波書店・漱石全集注釈を校正する41 何でも蚊でもせつな糞
丹波の国は笹山から
この「丹波の国は笹山から」に岩波書店『定本 漱石全集第一巻』注解は、そのまま丹波篠山の説明をしてしまう。これは物言いから芝居か講談に由来があると見てよいだろう。調べたいが国立国会図書館デジタルライブラリーの調子が良くないので後回しとする。
デカンショ節の「丹波篠山山家の猿が」とか「文武きたえし美少年」あたりとはゆるく意味のつながりがあるように思える。
※後藤又兵衛のイ
岩波書店・漱石全集注釈を校正する40 それでは意味が解らない
勘左衛門
烏を勘左衛門と呼ぶのは昔からのことなので、ここにも注はない。しかし主要な辞書にはこの語の説明もない。ここには何らかの注釈があってしかるべきなのではなかろうか。一説に色の黒い人を罵って使うともされる。この鴉勘左衛門、実在の人物として尼子氏の伝記に出て來る。
この辺りはこの人物と「勘左衛門」という言葉の使われ方にどのような関係があるのかないのか、精査が必要なところだ。
がんがらがん