勘左衛門
烏を勘左衛門と呼ぶのは昔からのことなので、ここにも注はない。しかし主要な辞書にはこの語の説明もない。ここには何らかの注釈があってしかるべきなのではなかろうか。一説に色の黒い人を罵って使うともされる。この鴉勘左衛門、実在の人物として尼子氏の伝記に出て來る。
この辺りはこの人物と「勘左衛門」という言葉の使われ方にどのような関係があるのかないのか、精査が必要なところだ。
がんがらがんのがん
この「がんがらがん」に広辞苑は、
①からのブリキ缶などを打つ時の音。
②倉・家などの内部に物がなく空虚なさま。
大辞林は、
(1)ブリキ缶などをたたいたり落としたりした時にでる音を表す語。
(2)建物や部屋の中に何もないさま。「―の部屋の中」
日本国語大辞典は、
1 ブリキのかんのようなものを、たたいたり、落としたりした時にたてる音を表わす語。
2 倉庫、家などの内部に何も物がなく、空虚なさまを表わす語。
という説明をつける。明鏡、新明解、学研国語辞典、新辞林、大辞泉には説明がない。うるさいのか静かなのか解らない。では「がんがらがんのがあん」とは何かといえば、
薬缶頭が鳴る音であり、
石油缶の鳴る音であり
すっからかんの意味に転じる。空の樽ほど音が大きい、という意味だろうか。しかし鐘が鳴る。
そして粗雑な、「がらがらした」という意味に取れる用法もある。
漱石自身が『草枕』において、
人の性質に意味を転じている。「がらんとして物静かである」という意味ではあろうが何か説明が欲しいところだ。
所が実際は女禍氏の時代から予期と違うもので
この「女禍氏」に関して岩波書店『定本 漱石全集第一巻』注解には、
……とある。これでは意味が解らない。ここは「昔から」という意味である、とでも断定できなければ、「予期」や「戦争」との因縁付が必要なところ。一説に人類創造の神話があることから、天地開闢以来と同様の意味かと思われるが如何。
渋柿を食えば便秘する
なるほど渋柿で便秘になるというのは理屈だが、必ずしも便秘だから逆上するということは無いらしい。
茶羅ッ鉾
茶羅ッ鉾 茶羅鉾。
広辞苑、大辞林、大辞泉、新辞林、日本国語大辞典、学研国語辞典、新明解、等主要国語辞書に「茶羅鉾」の項目なし。こういう場合は何か説明があっても良いと思う。蕪の香の物と、塩煎餅の食い合わせも試してみるべきであろう。
ベースボール
昔の、輸入当時のベースボールはピッチャーボックスがあったり、下手投げだったり、裸足だったり、素手だったりと今のベースボールとは全く別物だった。
そんなことを言いだせば切りがないが、電話機もこの一世代前のもので、同じ言葉の意味が変わっているものがたくさんある。
校長でも幹事でも教頭でも
この「幹事」が解らないところ。『坊っちゃん』に出て來る「書記」も今では存在しないだろう。「幹事」から校長になる人もいる(岡倉天心など)ので、今でいう「副校長」のようなものかと思えば、序列としてはあくまで校長・教頭・幹事と並べる例もある。苦沙弥先生の言い分だと常勤の専業、それなりの責任者のようだが中学校例などには「幹事」の語が見られず、その職責が解らない。中学校の教員は「教諭」「助教諭」であり、書記・会計などの事務職員はあくまでも「その他」扱いながら、「幹事」も公務員ではなさそうながら教頭に準じた厚遇を得ていたように見受けられる。
しかしその業務内容、法律的な規定を記した資料がまだ見つからない。
いずれにせよこの辺りは私にだけ分からないのではなくおそらく皆さん解っていない筈の事なので、誰かが頑張って調べて欲しいものだ。
[余談]
逆に昔の人は「副校長」なんて言葉に驚くのかもしれない。世の中日々変わり続ける。
今と昔では大違い。
大連でも三越の商品券が使えた。
マンモスもいた。