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多様性とかいうただの事実

誰しも「なんとなくあまり使わない単語」というのがあると思う。僕の場合は「多様性」がそのひとつだ。別に多様性に対して否定的だからというわけではなく、むしろその正反対と言っていい。

どういう必要に迫られて、どういう場面で使う言葉なのか、正直なところよく分からないのだ。なぜなら「世界が多様である」ということは「空が青い」「地球が丸い」ということくらい当たり前のことだから。

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どんな嗜好も価値観もライフスタイルも、それが一般的かそうでないかに関わらず、それは等しくひとりひとりの個人に帰属するもので、すべてが固有のものである。僕はそう考えている。

だから「人それぞれ」は当たり前過ぎる事実なのだ。僕にとっては。

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それでも僕らはときにぶつかり合う。見解や展望が異なるとき。あるいはマナーやモラルの解釈が異なるとき。

でもその衝突が「多様性の否定」に端を発しているケースなんて稀なんじゃないかな、と僕は感じている。だって「多様性」なんて当たり前過ぎることだから。当たり前過ぎてもはや肯定否定の対象ですらない。

だから「人それぞれなので」を結論に持ってこられると「え?それって結論じゃなくてむしろ前提だよね?」と逆に困惑してしまう。

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たとえば醤油ラーメンは好きだけど豚骨ラーメンは好きじゃないという人がいたとする。その人が「ラーメンの多様性を否定している」と感じるなら一度病院に行ったほうがいいと僕は思う。

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でも確かにね、ラーメンを例にしたから思いついたけど、多様性に対して否定的だなと感じたことがあったわ。つけ麺否定論者にツイッターで絡まれたことがあった。つけ麺否定論者ってほんと面倒くさいね。自分は好きじゃない、で完結してれば「ふーん、そうなんだ」で終わる話なのに「つけ麺という料理がなぜ理にかなっていないのか」みたいなことをダラダラ話したりして鬱陶しい。

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美味しいか美味しくないか。料理に対する価値判断があるとすればそれだけだ。そして美味しくなければ「僕は食べない」という判断をするけど、同様の判断を他者に求めることはしない。

だって食の嗜好なんて人それぞれ、多様なのだから。

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