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岩波書店・漱石全集注釈を校正する44 殿下でも閣下でも趙範先生一竿風月の三十歳

殿下でも閣下でも

「警察が君にあやまれと命じたらどうです」
「なおなお御免蒙ります」
「大臣とか華族ならどうです」
「いよいよもって御免蒙ります」
「それ見たまえ。昔と今とは人間がそれだけ変ってる。昔は御上の御威光なら何でも出来た時代です。その次には御上の御威光でも出来ないものが出来てくる時代です。今の世はいかに殿下でも閣下でも、ある程度以上に個人の人格の上にのしかかる事が出来ない世の中です。はげしく云えば先方に権力があればあるほど、のしかかられるものの方では不愉快を感じて反抗する世の中です。だから今の世は昔しと違って、御上の御威光だから出来ないのだと云う新現象のあらわれる時代です、昔しのものから考えると、ほとんど考えられないくらいな事柄が道理で通る世の中です。世態人情の変遷と云うものは実に不思議なもので、迷亭君の未来記も冗談だと云えば冗談に過ぎないのだが、その辺の消息を説明したものとすれば、なかなか味わいがあるじゃないですか」

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 夏目漱石の反体制、反天皇主義の姿勢はこの程度にあからさまに示されている。この「殿下」とは天皇、皇后、太皇太后及び皇太后以外の皇族の敬称であり、普通は皇太子である。この時期に皇太子を揶揄うことは聊か剣呑であるが、漱石には遠慮がない。

「駄目ですわ、相手が石ですもの。ごまかしもたいていにすればいいのに、今度は殿下さまに化けて来たんだって。馬鹿ね」
「へえ、その時分にも殿下さまがあるの?」
「有るんでしょう。八木先生はそうおっしゃってよ。たしかに殿下様に化けたんだって、恐れ多い事だが化けて来たって――第一不敬じゃありませんか、法螺吹きの分際で」
「殿下って、どの殿下さまなの」
「どの殿下さまですか、どの殿下さまだって不敬ですわ」
「そうね」
「殿下さまでも利かないでしょう。法螺吹きもしようがないから、とても私わたしの手際では、あの地蔵はどうする事も出来ませんと降参をしたそうです」
「いい気味ね」

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 全体何が不敬と言って、こう安っぽく殿下、殿下と持ち出されることほど不敬なことは無かろう。「その時分にも殿下さまがあるの?」とはなかなか言い得て妙である。殿下は昔から存在した。しかし「その時分にも殿下さまがあるの?」と言われてしまう程度の存在であった。

烏金の長範先生

「そう云う知己が出てくると是非未来記の続きが述べたくなるね。独仙君の御説のごとく今の世に御上の御威光を笠にきたり、竹槍の二三百本を恃みにして無理を押し通そうとするのは、ちょうどカゴへ乗って何でも蚊でも汽車と競争しようとあせる、時代後れの頑物――まあわからずやの張本、烏金の長範先生くらいのものだから、黙って御手際を拝見していればいいが――

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 烏金の長範先生には注が必要であろう。烏金に関しては既に高利貸しとの注がある。一昼夜を期限として高利で金を貸す高利貸しである。長範先生が熊坂長範であることは、昔は常識ではあったかもしれないが、今はそうではない。

 熊坂長範は強盗・泥棒であり、高利貸しではない。では「烏金の長範先生」とはどういう意味か。


芳年武者无類 源牛若丸・熊坂長範(収載資料名:[武者无類外ニ三枚続キ画帖]) 大蘇芳年

  ここには合理的な説明はないように思う。「御上の御威光を笠にきたり」「竹槍の二三百本を恃みにして無理を押し通そうとする」明治政府、明治天皇制への大雑把な批判と見てよいだろう。

修正尋常小学教授日案 第3学年(第1巻) 普通教育研究会 1913年
新国定教科書各科教授細項 : 細目適用 前編 教育実際社 編宝文館 1910年

一竿風月

「あなたはどうです」
「僕ですか、一竿風月閑生計、人釣白蘋紅蓼間」
「何ですかそれは、唐詩選ですか」
「何だかわからんです」
「わからんですか、困りますな。寒月君は出てくれるでしょうね。今までの関係もあるから」
「きっと出る事にします、僕の作った曲を楽隊が奏するのを、きき落すのは残念ですからね」

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

詩人は之を歌うて曰く、「一竿風月亦君恩」と。以上は或は上帝、或は父母、或は國家、或は君、或は師を地主視して、人の之に負ふ義務を指示したるものなり。經濟世界の狼藉者を社會黨といふ。

青年諸君 和田垣謙三 著至誠堂 1911年

今なほその惡趣味が殘つてゐて、大臣でもやめると、「一竿風月」と云つたやうな、常套詩をつくり出す者のあることによつて、傳統の强さが感ぜられる。

予が一日一題 正宗白鳥 著人文書院 1938年

一竿風月、明窓淨几さう云ふ趣味が募つた。微雨當窓冷、一澄洩竹靑風流の昔戀しき紙衣かなといふ句を得た。

 ……と断片にある。「一竿風月」は正宗白鳥にとっては既に月並みなスタイル、ステレオタイプの風流気取りに見えていたようだ。『坊っちゃん』でも釣りが高尚な趣味と揶揄われているものの、ここで漱石はそこまで悪くは書いていないように思う。

〔一竿風月〕一本の釣竿に浮世離れて風流を樂しむ。

皇国漢文読本教授資料 第4学年用大東文化協会 編東京開成館 1937年

【一竿風月一句】コレマデハ一本ノ釣竿ヲ持ツテ、風景ヤ月ヤナドト云ツテ自然ノ風景ヲ愛シタカラ、水邊ニ樂シンデ居タ初ノ心ニ違フヤウニナツタとの意。

新修最新漢文読本備考 巻2 富山房編輯部 編富山房 1939年

 一竿風月で鰹や鮪を吊り上げていたら風流でもなんでもない。

 こんな場所では鯰くらいしか釣れまい。釣る気のない釣り人なので辛うじて風流なのだろう。

情に棹させば流される


 山路を登りながら、こう考えた。
 智ちに働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

(夏目漱石『草枕』)


 岩波書店『定本 漱石全集第三巻』では、当然ここに注はない。ここは書き出しの名調子として多くの人に親しまれ、記憶されているところだからだ。しかしこの「情に棹させば流される」の意味がかなり誤解されているという。「掉さす」の意味が伝わっていないのだ。

 ごく自然に「流れに逆らう」と解釈して疑わない人からすれば、いまさら反対の意味だとはどうしても認められないということにもなるだろう。この感覚が作品の意味を変容させても、それはそれで仕方ないと言い張る人もいるかもしれない。

 現にこの記事を読んでもトンデモ説としか受け止められない人がいるようだ。あくまでも『こころ』の話者は「なんとなく」先生に近づくのであり、

 先生を同性愛者に仕立てたい。

 違うと言われると不機嫌になる人たちが漱石を読んでいる。何度も書くが間違いが認められないような人は夏目漱石など読まなくてもいい。一生玉ねぎを剝いていればいい。

万乗の君


 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云いえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも璆鏘の音は胸裏に起おこる。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足たる。
 この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺縑なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。

(夏目漱石『草枕』)


 岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解には、

万乗の君 乗は古代の戦車。一万の戦車を繰り出すことのできる君主。天子。

(『定本 漱石全集第三巻』岩波書店 2017年)

 ……とある。間違いではないが、何故ここに天皇と書かないのか解らない。天子とは当時の天皇の呼び方だが、戦後次第に「天子」とは呼ばれなくなった。「澆季溷濁」は文明批評だ。金持ちや華族に対する攻撃は『二百十日』ほどではないにせよ、確かにここにもある。

三十の今日


 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。

(夏目漱石『草枕』)

 岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解には、執筆当時漱石が三十九歳であったことが記されている。一つ加えるとしたら遺作『明暗』においても主人公・津田由雄は三十歳に設定されている。

「うんこの前京都へ行った時にも何だかそんな事を云ってたじゃないか。年寄はね、何でも自分の若い時の生計を覚えていて、同年輩の今の若いものも、万事自分のして来た通りにしなければならないように考えるんだからね。そりゃ御父さんの三十もおれの三十も年歯に変りはないかも知れないが、周囲はまるで違っているんだからそうは行かないさ。いつかも会へ行く時会費はいくらだと訊くから五円だって云ったら、驚ろいて恐ろしいような顔をした事があるよ」

(夏目漱石『明暗』)

「時にあなた御いくつ?」
「もうたくさんです」
「たくさんじゃないわよ。ちょっと伺いたいから伺ったんだから、正直に淡泊とおっしゃいよ」
「じゃ申し上げます。実は三十です」
「すると来年はもう一ね」
「順に行けばまあそうなる勘定です」

(夏目漱石『明暗』)

 それからの代助も三十歳だった。

「それは実業が厭なら厭で好い。何も金を儲もうけるだけが日本の為になるとも限るまいから。金は取らんでも構わない。金の為にとやかく云うとなると、御前も心持がわるかろう。金は今まで通り己おれが補助して遣やる。おれも、もう何時死ぬか分らないし、死にゃ金を持って行く訳にも行かないし。月々御前の生計位どうでもしてやる。だから奮発して何か為するが好い。国民の義務としてするが好い。もう三十だろう」
「そうです」
「三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何にも不体裁だな」

(夏目漱石『それから』)

 夏目漱石が三十歳の男にこだわり続けてきたことは、村上春樹が三十七歳の男にこだわり続けてきたことと同様、その作品解釈の上ではかなり重要なポイントではなかろうか。結果として漱石は様々な時代の三十歳の男を描いたことになる。この三十歳の男に留まる定点観察のような態度によって、漱石は時代と女を書いてきた。
 同時にこのスタイルの爲、老いを書かなかった。それは書けなかったのではなく、書かなかったのだろう。今の時代では老いる事にも何か価値がありそうなことを書いた方が無難な時代だが、本当に心が老いた者がそれだけで偉いわけでも無かろう。おそらく漱石は三十歳の男に留まることで、老いを拒んでいる。だから偉いという理窟もないが、ここには漱石なりのスタイルがあったと見るよりない。

 そこに答えがある人は注を付けよう。
 


[余談]

https://lapis.nichibun.ac.jp/waka/waka_kigo_search.html

 和歌の語句検索のこつがつかめない。基本ひらがなで検索するが、巧くヒットしないこともある。欲を言えば歌物語も繋いでほしいし、初出が何処なのか知りたい。表記の揺れも……贅沢言ってるな。




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