江藤淳の漱石論⑭ なんとなくではない
この「なんとなく」の解釈はそのまま柄谷行人に引き継がれ『夏目漱石論集成』に収められている。さらに「何となく」は一般の読者にも広く伝搬してしまっているようで、むしろそれ以外の解釈が見つからない。私が繰り返し批判している近代文学1.0の誤読のパターン、「書いてあることを読まない」ことの典型的な事例である。
ツイッターに夏目漱石botというのがあってこの後の一行「人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。」をやたらと呟くのだが、そのロジックに辿り着いてはいないだろう。「私」は懐かしみから先生に近づく。何となくではない。その出会いも「私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのである。」未知のものを見つけ出すことはできない。直感が後になって事実の上に証拠立てられたとは先生の遺書の中の記述を差すのだろう。あるいは純白なままの静という見立てもあろう。
「私」はKの生まれ変わりのように仄めかされている。この感想に335人が賛同してくれている。その半分くらいには理屈は伝わっているのではないか。目からうろこ的なコメントの人は、一応理解してくれたのだろう。
それにしても何故これしきの事が読み落とされ、読み落としが継承されてしまうのか。
その一方で江藤淳「薤露のうた」(『漱石論集』所収/江藤淳/新潮社/平成四年)では「正確に事実を提示できなければ書いたものが長い生命を持ち得ないのではないか」とも語る。正確に事実を提示とはどういうことか。それは作中の言葉を頭の中で正しく配置し、…いやまず書いてあることを読むことから始めるべきではなかろうか。
それなのに「正確に事実を提示できなければ書いたものが長い生命を持ち得ないのではないか」と語ったそばから、また「漱石は私事にしか興味がなかった」とも断定する。そんな馬鹿な話はなかろう。確かに日比谷騒動については書かないが、それは書けなかったのではないか。しかし「漱石は私事にしか興味がなかった」と断定する江藤淳は、乃木大将夫妻の殉死と『こころ』、いや江藤淳式に書けば『心』との関係を全く理解していなかったのだと自ら告白してしまっていることになる。
乃木大将夫妻の殉死と『心』は無関係であるという誤情報もそのまま伝搬してしまったように思う。明確にこの点を指摘する論を私はこれまで目にしていない。さらに「日露戦争に対しても、妙に好戦的な新体詩がある」というのも残念だ。おそらく好戦的という印象も巷に広く伝搬され、こびりつき、もう引きはがすことが困難になってしまっているのではなかろうか。良く読めば単に「妙に好戦的な」だけではないことが解る。
江藤淳は漢文を読むことができるようだが、この『從軍行』を単に好戦的と見做しているようだ。なんとなく好戦的と見做しているのではないか。ならば「大和魂の歌」はどうなるのだろう。東郷大将を詐欺師、山師、人殺しと並べているのに、その剣呑な滑稽に気が付かないということがあるだろうか。パイエリアの詩の泉は大いに飲むべし、然らざれば一滴も口にすべからず、という。なんとなくは文芸批評家の使うべき言葉ではない。
こう述べる江藤淳は正直だろう。嘘は言っていない筈だ。しかし、江藤淳でさえ、自ら任じるほどの者にはなり切れないのだ。「できるだけ厳密な学問的手続きを自分に課し」という自戒を易々と信じてはいけない。それこそが聖化を嫌う江藤淳イズムであろう。
※今日 ↑ この本を買ってくれた方、ありがとうございます。これでまだ生きられます。
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