かなり陽気な調子で書かれている『二百十日』が『硝子戸の中』と比べるといかにも寂しげなところをうまく作り変えていることが分かる。そして書簡を見るとなかなか手ごたえを感じてもいたようだ。
割と軽く見られている『二百十日』だが、そもそもみなさん軽く見るほど読めているのか?
今回もつけあがった人には厳しく、ただひたすら謙虚に正しい読みを目指して書いていく。
時間のある人は、
くらいから、私の小説の読みに関する方法論を確認しながら読んでもらいたい。
海賊の張本毛剃九右衛門
岩波はこの張本毛剃九右衛門に関して、海賊で、貿易商人と称していたと註釈をつける。これでは「実は慷慨家かも知れない」というところがつながらない。
つまりいわば爆笑問題の時事ネタ毒舌漫才のような形で、近松近松門左衛門が張本毛剃九右衞門というキャラクターを際物として創造して、政治批判をしたという事実が抜けている。『ゴジラ対ヘドラ』は水爆と東京湾のヘドロ、水質汚染に対する文明批判だった。近松近松門左衛門が張本毛剃九右衞門というキャラクターを通じて行ったのは単なる「反体制的な姿勢の表れ」であり「大衆への阿り」でもあるかもしれないが、この「際物」という捉え方がないと註釈としては成立していない。
ここが解らないと「海賊」→「慷慨家」? 何それ? ということになってしまいかねない。おそらく草双紙の読み手も反体制の悪のヒーローとして張本毛剃九右衞門というキャラクターを認識していたわけで、ただの海賊と見ていたわけではなかろう。
そこが掴めないと話が曖昧になってしまう。
しかしそれだけで終わるわけもなく、
こうした訳の分からない資料も出て來る。張本毛剃九右衞門は草双紙だけに収まるキャラクターでもなさそうだ。
ヒーローは何度でも蘇る。
豆腐屋主義はきびしいもんだね
この豆腐屋主義に岩波は、森田草平あての書簡を紹介する注を付ける。
森田は、
この「豆腐屋主義」の人、圭さんを「餘裕のある社會改良主義者」と解釈している。「圭さんは應揚でしかも堅くつて自說を變じない所が面白い。餘裕のある逼らない慷慨家です」という漱石の弁を巧く整理している。
どうせならここまで拾いたいところ。何しろ現代人は皆まで書かないと理解しようとしない。
ここで森田が社會改良主義者としていることも興味深い。
社会は常に改良すべきだが、安直な完成モデルを想定すべきではないのかもしれない。
西郷隆盛のような顔
この西郷隆盛の顔が解らない。
これがマスイメージとして、熊本なら本当の西郷隆盛の人相が伝わっていたのではなかろうか。
いろんな西郷さんがいる。しかしまあ「姉さん、この人は肥ってるだろう」というところを見ると、漱石の西郷のイメージは月並みだろうか。この西郷さんの顔に関しては、永遠に真実は知られることは無いかもしれない。
恵比寿
この恵比寿に岩波は「明治二十三年三月に発売」と注を付ける。発売は二月二十五日である。
またここで「日本の領地でないような気がする」と言われるのは、
ビール醸造が輸入ビールを減らすため、国策のように勧められたことによるのではなかろうか。
その後朝日ビールが世界に販路を伸ばす。その手前明治三十九年時点で、ビールは日本中で飲まれていた。
半熟を知らないか
明治も三十二年(漱石が熊本旅行をした年)ならばいくら熊本の田舎だろうと半熟玉子くらい伝わっていたのではないかとも思うが、実は食べ物の伝搬は緩やかで、案外保守的であったということではなかろうか。なにせ神風連の熊本である。肥後出身の徳富蘆花は全熟卵を食う。他に全熟卵を食べるものが見つからない。
これが明治三十六年に書かれている。ということは明治三十二年、湯の温度が高い熊本ではちょうど良い半熟は難しかったのかもしれない。
それに今やどんな山奥の旅館に泊まっても刺身くらいは出てくるものだが、「あいにく何もござりまっせん」というのはやはり時代ということか、それとも地域性なのか。文豪飯研究家の皆さんにはもう少し頑張って調べてもらいたいものだ。
[余談]
あらためて、何故下女が「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」と答えたかと考えてみると「朝日」には新聞もたばこもあるからではないかという気がしてきた。即座に「恵比寿講」があるなと気が付いた。
何故下女が「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」と答えたのか、答えることができたのか、これは永遠の謎である。