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夏目漱石論2.0

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2022年6月の記事一覧

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑤ 神の論理?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑤ 神の論理?

 夏目漱石の『行人』のあらすじをきちんと理解している人を私は知らない。多くの人が「塵労」にフォーカスして、一郎を主人公にしてしまう。物語の中で一郎は二郎に観察される対象でしかなく、主人公は飽くまで二郎である。これは『坊っちゃん』の主人公が「おれ」で『それから』の主人公が代助であるくらい確かなことだと私は考えているが、『彼岸過迄』の主人公が田川敬太郎だというところから、読者を混乱させているようだ。確

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『それから』は植物小説なのか?

『それから』は植物小説なのか?

 『それから』が緑と赤の世界が対比される小説であり、植物が多く描かれる小説でもあるという程度の話は今更繰り返すまでもないだろう。しかし案外、何故植物が多く描かれる小説なのかということはこれまで殆ど議論されてこなかったのではなかろうか。(新聞小説なので露骨に書けないところを花で誤魔化しているのではないかという見立てが小森陽一氏にはあるように思われる。後は江藤淳が山百合にアレゴリーを見出しているぐらい

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三四郎の身長は何故伸び縮みするのか?

三四郎の身長は何故伸び縮みするのか?

 どういう訳か真面目に書いた記事より、息抜きに、ちょっと裏の話を書いた方がPVが多いので、今回はやはり正統的な文章読解では答えが出そうもなさそうな問題、三四郎の身長が伸び縮みする問題について、与太話を書いてみたいと思います。

 まず三四郎の身長が伸び縮みするというのはこういうことです。

 一応、ここで三四郎の身長は五尺四寸五分とされます。これを「明治の平均身長からすれば低くはない」と妙な擁護を

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漱石のコードとみなまでいわないこと

漱石のコードとみなまでいわないこと

 赤木昭夫の『漱石のこころ──その哲学と文学』(岩波書店、2016年)では、『坊っちゃん』に関して「山城屋」=「山城屋和助」「質屋の息子勘太郎」=「山縣有朋」「マドンナ」=「山縣に囲われていた芸者、大和、本名吉田貞子」「狸・野だ・赤シャツ」=「山縣・桂・西園寺」とし、「明治寡頭制に対する真正面からの政治風刺」だと断じる。
 まず「山城屋」=「山城屋和助」という見立てはだけに限ればそう強引なものでは

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑦ 「小説の技法において巧みな人ではなかった」だと?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑦ 「小説の技法において巧みな人ではなかった」だと?

 これは評価ではなく個人の感想なので云々しない。しかし無理にそう読まなくてもいいんじゃないかという与太話を一つ。

 極めてざっくりまとめると『道草』は健三があちこちから金の無心をされる話だ。この一つ前の『こころ』との関係で言うと、働かなくても暮らしていけて、話者の帰省費用でもすっと出してくれる先生を見て、漱石に金の無心にくる弟子たちが沢山いた筈だ。時期は色々あるが、実際何人もの弟子が漱石から借金

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑥ 『こころ』は読みやすい話ではない。

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑥ 『こころ』は読みやすい話ではない。

 こう書いている時点で阿刀田高は「自分には夏目漱石作品を理解する能力がありません」と宣言しているようなものだ。『こころ』を文字として読むことはそう困難ではない。実際、漱石全集では細かく注釈が振られているので三島由紀夫作品や谷崎潤一郎作品を読むよりむしろ「楽」と感じるかもしれない。しかし実に多くのプロが夏目漱石作品を読み落とし、読み間違いをしているというのは、どうにも誤魔化しようのないゆるぎない事実

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『こころ』は暗い話ではない

『こころ』は暗い話ではない

 読書メーターやgoodreadなどで夏目漱石の『こころ』の感想を読んでいると実に多くの若者が「最後は暗かった」と書いています。これは冒頭のすがすがしさ、全肯定される先生を捉えきれていないという読み誤りなのですが、読み誤りとは少し違う、正統的ではないところで『こころ』を大笑いして読むという遊びが可能な「外部的要素」があります。

 この「外部的要素」というのは勿論作品には書かれていないことで、私は

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高④ この世界の実存的トラブル?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高④ この世界の実存的トラブル?

 読書感想文は好きに書けばいいと思います。しかし少なくとも評価するためにはある程度調べてから書くべきだと思います。懐手で考えて解らなければ、気になる部分を掘っていく必要があるのではないでしょうか。そもそも自分の理解を超えているものを何故評価しようとするのか私には解りませんが、最低でもそのくらいの礼儀はあっていいでしょう。

 阿刀田高は『門』について、「暗いんだよな、何を汲み取ったらよいのだろうか

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高③ 『それから』はどうしてそれから?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高③ 『それから』はどうしてそれから?

 読み落としは読み誤りとは違うのではないか、気が付いていないことがあるだけで、読み誤りとは言えないのではないか、

 この記事を読んでそんなことを思う人がいるかもしれない。しかし私が言っているのは、最低限ここまでは読めていないといけないという最低ラインに達っしていないのに解った風に書いてしまうのはどうなのかということだ。清を「ねえや」にしてしまうのは誤読だ。汚染データだ。漱石が意図して『三四郎』で

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読み誤る漱石論者たち阿刀田高② 三四郎の髪の長さはどれくらい?

読み誤る漱石論者たち阿刀田高② 三四郎の髪の長さはどれくらい?

 夏目漱石作品の中でも『坊っちゃん』『三四郎』『それから』は謎だらけの作品だ。一度さらっと読んで解るものではない。

 この書きようからすると阿刀田高は他人の解釈は参考にしていないようだ。だからこそ『虞美人草』の藤尾の死に関しては惑わされずに済んだのかもしれないが、ここではやはり書いていないことを付け足してしまっている。まず三四郎の里は北九州寄りの福岡で、熊本からはかなり距離がある。「国を立つまぎ

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高① 『坊っちゃん』はそう単純な話ではない。

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高① 『坊っちゃん』はそう単純な話ではない。

 それにしてもどうしてこうも沢山の人が漱石について語ろうとするのだろうか。そしてことごとく漱石作品を読み誤るのは何故なのだろうか。そんな近代文学2.0の根本的な問題を改めて考えさせてくれるのが阿刀田高の『漱石を知っていますか』(新潮社、2017年)だ。

 谷崎潤一郎作品に関しても阿刀田高の読みは迂闊であり、凡庸で型通り、しかも話を作るために読み誤っていた。丁寧にストーリーを追いながら、何の疑問を

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夏目漱石と「中性」

夏目漱石と「中性」

 夏目漱石の虚子宛ての手紙に、ちょっと気になる文句が出て來る。

 中性役者というものが昔から存在していたかどうか調べてみたがどうも見つからない。少なくとも「次世代デジタルライブラリー」の中にはなかったので、ここで漱石が云う「中性」の意味は定かではない。「青空文庫」の中にも「中性役者」はない。
 高村光太郎が支那を経て日本に渡来した超人間的霊体の顕現としての仏像が、性の観念を断絶した中性として扱わ

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話者が手紙を読むとはどういうことか

話者が手紙を読むとはどういうことか

 昨日は筋の話として物語の構造の話をしました。『彼岸過迄』『行人』『こころ』がともに主人公が手紙を読むという構造を持っていて、この構造を無視すると筋が解らなくなるという話でした。

 改めて『こころ』で説明しますと、「私」はKの生まれ変わりのように仄めかされていて懐かしみから先生に近づきます。その直感は後に先生の遺書によって事実の上に証拠立てられます。「私」は先生の遺書を読むことで先生を「人間を愛

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筋について

筋について

 この間帝国座の二宮君が来て、あなたの明治座の所感と云うものを読んだが、我々の神経は痲痺しているせいだか何だかあなたの口にするような非難はとうてい持ち出す余地がない、芝居になれたものの眼から見ると、筋なぞはどんなに無理だって、妙だって、まるで忘れて見ていますと云いました。なるほどそれが僕の素人であるところかも知れないと答えたようなものの、私は二宮君にこんな事を反問しました。僕は芝居は分らないが小説

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