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『こころ』は暗い話ではない

 読書メーターやgoodreadなどで夏目漱石の『こころ』の感想を読んでいると実に多くの若者が「最後は暗かった」と書いています。これは冒頭のすがすがしさ、全肯定される先生を捉えきれていないという読み誤りなのですが、読み誤りとは少し違う、正統的ではないところで『こころ』を大笑いして読むという遊びが可能な「外部的要素」があります。

 この「外部的要素」というのは勿論作品には書かれていないことで、私は普段そういうものを極力排除して作品を読むようにしています。作品に書かれなかったことはあえて書かれなかったのですから、書かれなかったことを無理に付け足して読まないようにしているのですが、今回はそういう読み方もできるという遊び的な読み方のお話をしたいと思います。

 その前にまず「外部的要素」というのは『行人』における重箱の出所や、『それから』における短銃の撃ち手のことではないことを理解してください。それはなんというか、わざと、あるいはわざわざ言い残して強調する「いいさし」といったレトリックで皮肉のようなものです。

 漱石はみなまで言わないスタイルなので、「いいさし」を多用します。それは「外部的要素」ではなく、しっかり捉るべきことです。今回は無理に捉えなくてもいい、だけどそう読むと面白いという「外部的要素」の話をします。

 先日、「出来るならば月給を倍にして、遠山のお嬢さんと明日から結婚さして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってやりたい気がした」というところで、無理に大塚楠緒子を持ち出す必要はない、と書きました。ここは大塚楠緒子を持ち出すと、大いに笑える場面なのですが、そこまでやる必要はないという意味です。

 しかし敢えて言ってしまえば、どうもマドンナは大塚楠緒子です。漱石は大塚楠緒子にふられた恨みをずっと引きずっていたようで、繰り返し三角関係を描き、男をふった女を「罪ある女」にしてしまいます。『明暗』では清子を「反逆者」とまで呼んでいます。では清子が津田由雄に対して、どんなひどい仕打ちをしたのかというと、それは解りません。ただ、清子に津田がふられたというだけではないでしょうか。『門』ではお米と宗助、安井の修羅場が恐ろしく大げさで抽象的な表現になっていて、具体的に何が起きたのかということはさっぱりわかりません。ただまあ、これもお米が安井を捨てて、宗助に嫁いだというだけではないかと思います。それなのにまるで犯罪者のようにひっそりと暮らさせられているというところに漱石の恨みが込められているとしたら、何だか馬鹿々々しくて笑えませんか?

 何が起きたのか割と具体的なのが『それから』ですね。友人の女房に金を貸して告白(?)をする。これを漱石の願望と見るとやはり笑えます。そんなに大塚楠緒子が欲しいのか、とある意味感心し、そしてその執念深さを笑ってしまいます。『三四郎』では三角関係すら未遂ですね。三四郎が踏み出す前に美禰子は去っていきます。

 これらの三角関係の類型の中で、漱石と大塚楠緒子の実際の関係に最も近いのは、精々『三四郎』なのではないかと思います。一応見合いの話があったものの、うまくまとまらずに別の相手に嫁いだ、と。このあたりが実際にあったことでしょう。

 この「見合い話があったものの」、というニュアンスは、『三四郎』の中では「よし子の縁談の相手に美禰子が急に嫁ぐ」という形に変換されているように見えます。美禰子が大塚楠緒子だとしたら、美禰子の嫁ぎ先は小屋保治ということになります。

 しかし男と女の本当の関係と云うものは、他人には分かりません。漱石の未練は見え見えですが、大塚楠緒子の側にも未練ではないにせよ何か感情があり、漱石との関係を百パーセントぴしゃッと遮断するようなことはなかったわけです。

大塚楠緒子作 筆が器用に出來て居る。苦る文章を考へたものであります。思ひつきもわるくありませんあの人の作としては上乘であります。三小說のうちの傑作である。

 などと書評し、

飛んだ夢を御覧になつたものに候。あんな夢はかいてくるに及ばず候。近頃の樣になまけて居ては駄目に候。もう少し勉强をなさい。坑夫の校正は大抵にてよろしく候。少し位誤植があつても平氣に候。讀む人は猶平氣に候。

 と、どこか突き放すようなところもありつつ、二人の間にはまるで交換日記のような登場人物名や作品名のやり取りがありました。大塚楠緒子の方でも、「生理的に無理」ということではなかったはずです。だから漱石の未練が消えなかったとしてですよ、やはり何があったと云って、起きた事は結局精々漱石が振られたというだけのことです。

 うらなり君と赤シャツとマドンナの関係では、如何にも赤シャツが狡猾で陰険な悪者のようで山嵐に征伐されます。その腰ぎんちゃくの幇間の「野だいこ」は「おれ」から「野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本のためだ」とまで言われます。別に何も悪いことはしていないのにそこまで言いますかね。小屋保治側に立って縁談を進めた誰かを思い浮かべていたんですかね。その恨みが出てしまったのだとしたら「漱石先生、未練たらたらですね」と揶揄いたくなりませんか。

 おまけに「赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しいように見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目だ。惚れるものがあったってマドンナぐらいなものだ」とマドンナさえくさします。実際漱石は大塚楠緒子の詩を必要以上に酷評するなどして、大塚楠緒子に対する捻れた感情をどうにも隠しきれません。

 しかしまあ、『坊っちゃん』や『三四郎』程度ならまだなんとか、分かる話でもあります。しかし、『それから』はどうですか。流産までした友人の嫁を取り返そうとするわけです。

 あるいは『門』はどうですか。あたかも大塚楠緒子はそもそも自分のもので、それを奪った宗助なんか雨漏りのする家で底の抜けた靴を穿いてりゃいいんだ、どうだ思い知ったか、モモンガー野郎、と言わんばかりです。いや、漱石先生、大塚楠緒子は先生の嫁だったんですか、冷静になってくださいよ、と云いたくなります。

 冷静なのは『彼岸過迄』ですね。須永は高木と千代子との関係に嫉妬する事すら嫌で、海水浴から逃げ帰ります。それでいて抑えた分だけ内側では激しい感情が渦巻きます。

 けれどももし僕の高木に対する嫉妬がある不可思議の径路を取って、向後今の数十倍に烈しく身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像する事ができなかった。始めは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真似はしえまいという見地から、すぐこの問題を棄却しようとした。次には、僕でも同じ程度の復讐が充分やって除けられるに違いないという気がし出した。最後には、僕のように平生は頭と胸の争いに悩んでぐずついているものにして始めてこんな猛烈な兇行を、冷静に打算的に、かつ組織的に、逞しゅうするのだと思い出した。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分らない。ただこう思った時急に変な心持に襲われた。その心持は純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりは遥かに複雑なものに見えた。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 ここまでくるとなんだか怖いですね。漱石先生何処迄執念深いのかと呆れます。でもそうさせるものがあったんでしょうね。被害妄想的なものが。一応須永と千代子はどうにもならないわけです。ですから漱石は『彼岸過迄』では我慢したわけです。で、我慢した分だけ、その後すごいことなります。

 一般には、と云いますか江藤淳系列の人たちには『行人』における嫂・直と二郎の関係を嫂・登世と漱石の関係に見ようという向きもありますが、鏡子夫人が云うように一郎が漱石そのままなので、この関係はもう少し複雑です。これは漱石が大妄想の中で勝手に「大塚楠緒子を自分の女房にしておいて、さらにその大塚楠緒子の浮気心を疑っている」と考えると馬鹿々々しくて面白いような気がします。

 そしていよいよ『こころ』です。この話、よく高校生の感想として「Kは別に御嬢さんと付き合っていたわけじゃなかったのだから、わざわざ死ぬことはなかったんじゃないの」というものが見られます。正論ですね。先生の悩みも深すぎます。
 しかしこの物語に大塚楠緒子を持ち込むと、「俺は咽喉を切って死んでやるど、小屋保治、お前は何をする資格もない男だ。一生悩み苦しんで自殺しろ、毎月墓参りにこい、このすっとこどっこい」と云っているかのようではありませんか。
 ちょうど『彼岸過迄』で無理やり押さえつけた嫉妬心が、猛烈な兇行の物語として吹き上がってきたような、そんなとんでもない夏目漱石の大塚楠緒子への思いが見えてきたところで、その大妄想に大笑いが出来ると思います。
 
 しかし『行人』における「勝手に大塚楠緒子を女房にしておいて、さらにその浮気心を疑っている」という見立てが可能であるとしたら、「K≒金之助」「静≒大塚楠緒子」「先生≒小屋保治」と云った単調なモデル論では片付かない要素があります。
 それは真砂町事件の嫉妬心を死ぬまで消せない先生の存在です。

 真砂町事件と云っても起きた事は「Kと御嬢さんが連れ立って用事に出掛けたのかどうか曖昧にされた」というだけで、それも結婚前のことなので、常識的に考えればそんなことはもうなんということもない筈なのですが、先生は静に対する愛情が薄れてさえ、この真砂町事件に関する嫉妬心を消せません。死ぬまで嫉妬しているのです。

 この感情のねじれには「純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりは遥かに複雑なもの」があるように思えますが、それにしても漱石と大塚楠緒子の関係で考えると、「お前はおれというものがありながら小屋保治と真砂町に行っただろう。人を愚弄するんじゃない。このストレイシープめ。天罰が当たれ。お前とは子は作らんぞ」という大妄想が見えてきます。「お前とは子は作らんぞ」って大塚楠緒子は人の嫁なんだって、漱石、と云いたくなります。
 それで終いには「反逆者」とくるからもう手に負えません。
 太宰治の『走れメロス』は、

 懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、妻が「きっと良くない生活をしているのでは……」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」と依頼した。
 往復の交通費と宿代などを持たされ、熱海を訪れた檀を、太宰は大歓迎する。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきた金を全て使い切ってしまった。飲み代や宿代も溜まってきたところで太宰は、檀に宿の人質(宿賃のかたに身代わりになって宿にとどまること)となって待っていてくれと説得し、東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。
 数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀が、宿屋と飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、2人はのん気に将棋を指していた。太宰は今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいたのであるが、激怒しかけた檀に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。
後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と『小説 太宰治』に書き残している。(ウイキペディア「走れメロス」より)

 ……と真逆の構図が元になった、無茶苦茶に自分勝手な話だとされています。このエピソードを知って『走れメロス』を読むと、別の意味で猛烈に面白いのですが、夏目漱石の『こころ』も大塚楠緒子という「外部的要素」を持ち込むと、漱石の無茶苦茶加減が見えてきて、大笑いできると思います、というお話でした。繰り返しますが、これは正統的な読みではありませんよ。何でもモデルや舞台裏を暴けばいいというものではありませんからね。

 ただし逆に単純な単独モデル論の馬鹿馬鹿しさを感じ取ってもらえる切り崩しにはなっていると思います。三四郎のモデルは小宮、与次郎は三重吉という単独モデル論では『三四郎』は語れないということです。また、漱石が三角関係にこだわり続けた理由の一つとして、大塚楠緒子の存在を無視できないという指摘でもあります。それから漱石の被害妄想が作品にどう活かされているかという話でもあります。これくらい大胆な思い込み、立場の入れ替えが出来ないと漱石のような作品は書けないというお話でもあります。

※嫁、嫁、嫁ぐと書いていますが実際には小屋保治は婿です。


[付記]薄氷について

 大塚楠緒子の『春小袖』の広告に「一葉逝き、薄氷去りて、世は等しく閨秀文壇の寂寥を告る うちに獨り大塚楠緒子女史あり」とあった。この薄氷、「明治の文學は一葉薄氷の二女史ありて盛を古今に誇る」とまで言われていたが「若松賤子、小金井喜美子、北田薄氷、田澤稻舟、大塚楠緒子、三宅花圃の諸氏、或は小說に、或は飜譯に、それぞれ才筆を見せた」とされ、また「一葉をはじめ、北田薄氷、田澤稻舟、大塚楠緒子、三宅花圃がそれであつた。その中では、一葉を除いては、花圃を卓れたものとする。花圃に『萩桔梗』の作があつた。一葉と共に老熟の筆致を以て世に推賞せられた」とか「三宅花圃、小金井きみ子、北田薄氷、田澤稻舟、伊藤簪花、大塚楠緒子、古在紫琴その他があつたけれども、一葉ほどに、男性と立派に太刀打の出來る作家が、發見されなかつたのは殘念である」と次第に評価が変わってくる。
 ちなみに、北田薄氷きただうすらひ〔二五三六-二五六〇〕小說家。北田正董(辯護士)の二女。名は、尊子。『三人やもめ』を十七歳で書いている。『薄氷遺稿』には何故か謎のサンスクリットが、まさか薄氷が書いたのか?

 大塚楠緒子の作なり。 Enthusiast.好く出來ました一葉は惜しい人でありましたが、その跡つぎにもなられさうな人は先づ此作者でありませう。

 これは鴎外。

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