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『それから』は植物小説なのか?

 『それから』が緑と赤の世界が対比される小説であり、植物が多く描かれる小説でもあるという程度の話は今更繰り返すまでもないだろう。しかし案外、何故植物が多く描かれる小説なのかということはこれまで殆ど議論されてこなかったのではなかろうか。(新聞小説なので露骨に書けないところを花で誤魔化しているのではないかという見立てが小森陽一氏にはあるように思われる。後は江藤淳が山百合にアレゴリーを見出しているぐらいなものではなかろうか。)
 実はこの答えはシンプルなもので『それから』が『三四郎』のそれからだからということになる。『三四郎』は先に進めない話であった。しかし先に進むつもりはあった。『それから』は先に進む話だ。まだ終わりは見えない。しかし兎に角も一歩踏み出したことは間違いない。

 三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女のところへいってまったく困ってしまった。湯から出るまで待っていればよかったと思ったが、しかたがない。下女がちゃんと控えている。やむをえず同県同郡同村同姓二十三年とでたらめを書いて渡した。そうしてしきりに団扇を使っていた。(夏目漱石『三四郎』) 

 『三四郎』において最初の「花」は和歌山の女に与えられた出鱈目な名前として現れる。次に現れる白い花によって三四郎は美禰子の魔法にかかる。そして美禰子は和歌山の女と重ねられる。

 そのうち高等学校で天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎はベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。
 二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである。
 この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。
「失礼でございますが……」(夏目漱石『三四郎』) 

 こんな生意気な三四郎に対して、美禰子は逆に、

「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。
「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」
「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」
「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、
書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地ここちである。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。(夏目漱石『三四郎』) 

 と、主客の転倒を図る。あなたが私を眺めるのではなく、私があなたを眺めて差し上げましょうか、とくるのだ。閨秀作家に描かれる漱石とはどのようなものかと思わせるなかなか面白い切り返しだ。
 実際三四郎は美禰子を剪って眺める事が出来なかった。
 それに対して『それから』の代助は、「花を剪って嗅ぐ」と一歩前に進むことを宣言する。それは椿が俯せに堕ちるという不吉な予言として始まった。
 
 流石に桜や梅子は切り取られはせぬものの、鉢植えのアマランスを覗き込み、百合や鈴蘭は切り取られて鉢に活けられる。しかし三千代を切って眺めようとした瞬間に、三四郎の生意気であることがロジックとして明らかになる。三四郎は「花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである」と悟った。だがその悟りはこう改められるべきだろう。「花ならば剪って、瓶裏にながめてもよいだろう」と。花ならば、枯らしても良い。池に捨てても良い。しかし女を枯らすわけにはいかないし、池に捨ててもいけない。そんなことも解っていない生意気な三四郎だから、美禰子はよし子の縁談相手に慌てて嫁ぐことになったのだ。

 代助は一応三千代の心を得た。三千代が花ならば、『それから』が植物小説ならば、それでハッピーエンドであっても良かった。しかし『それから』は温かい紅の血潮の緩く流れる人間小説なので、代助は自然の愛のために高級人種から麺麭の為に働く人に堕ちようとしなければならないのだ。自然の愛を貫いた『門』の宗助は果して腰弁に堕ちた。その『門』の世界は花のない世界だ。

 崖は秋に入っても別に色づく様子もない。ただ青い草の匂いが褪めて、不揃にもじゃもじゃするばかりである。薄だの蔦だのと云う洒落たものに至ってはさらに見当らない。その代り昔の名残の孟宗が中途に二本、上の方に三本ほどすっくりと立っている。それが多少黄に染まって、幹に日の射すときなぞは、軒から首を出すと、土手の上に秋の暖味を眺められるような心持がする。宗助は朝出て四時過に帰る男だから、日の詰まるこの頃は、滅多に崖の上を覗く暇を有たなかった。暗い便所から出て、手水鉢の水を手に受けながら、ふと廂の外を見上げた時、始めて竹の事を思い出した。幹の頂きに濃かな葉が集まって、まるで坊主頭のように見える。それが秋の日に酔って重く下を向いて、寂りと重なった葉が一枚も動かない。(夏目漱石『門』)

 夏目漱石という人は、ここまで理詰めで來る。竹は120年に一度花を咲かせ、枯れてしまう。

 その晩宗助は裏から大きな芭蕉の葉を二枚剪って来て、それを座敷の縁に敷いて、その上に御米と並んで涼みながら、小六の事を話した。(夏目漱石『門』)

 花を剪って、瓶裏にながむことをしない。どうもわざとやっている。

 納戸から取り出して貰って、明るい所で眺めると、たしかに見覚みおぼえのある二枚折であった。下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間すきまなく描かいた上に、真丸な月を銀で出して、その横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦こげた辺りから、葛の葉の風に裏を返している色の乾いた様から、大福ほどな大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつくづくと見て、父の生きている当時を憶い起さずにはいられなかった。(夏目漱石『門』)

 花は屏風に描いた絵でしかない。その屏風も売り払われてしまう。


 円明寺の杉が焦げたように赭黒くなった。


「御爺さんはやっぱり植木を弄っているかい」
「だんだん寒くなったから、もうやめたんでしょう。縁の下に植木鉢がたくさん並んでるわ」

御米のぶらぶらし出したのは、秋も半ば過ぎて、紅葉の赤黒く縮れる頃であった。
(夏目漱石『門』)

 おそらく漱石は意図して花を排除している。『門』が秋から春にかけての花のない世界であることは、このように念押しされる。

 縁先は右の方に小六のいる六畳が折れ曲って、左には玄関が突き出している。その向うを塀が縁と平行に塞いでいるから、まあ四角な囲内と云っていい。夏になるとコスモスを一面に茂らして、夫婦とも毎朝露の深い景色を喜んだ事もあるし、また塀の下へ細い竹を立てて、それへ朝顔を絡ませた事もある。その時は起き抜けに、今朝咲いた花の数を勘定し合って二人が楽しみにした。けれども秋から冬へかけては、花も草もまるで枯れてしまうので、小さな砂漠みたように、眺めるのも気の毒なくらい淋しくなる。小六はこの霜ばかり降りた四角な地面を背にして、しきりに障子の紙を剥していた。(夏目漱石『門』)

  そう気が付いてみると、こんな「悪戯」も面白い。

 坂井の家の門を入ったら、玄関と勝手口の仕切になっている生垣の目に、冬に似合わないぱっとした赤いものが見えた。傍へ寄ってわざわざ検べると、それは人形に掛ける小さい夜具であった。細い竹を袖に通して、落ちないように、扇骨木の枝に寄せ掛けた手際が、いかにも女の子の所作らしく殊勝に思われた。こう云う悪戯をする年頃の娘は固よりの事、子供と云う子供を育て上げた経験のない宗助は、この小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有様をしばらく立って眺めていた。そうして二十年も昔に父母が、死んだ妹のために飾った、赤い雛段と五人囃と、模様の美くしい干菓子と、それから甘いようで辛い白酒を思い出した。(夏目漱石『門』)

 冬の時期に何の花かと見れば布だったと、これが悪戯になるには、それ以前から「花がないなあ」と思って読んでいなくてはなるまい。もし「花がないなあ」と思って読んでいないとなんだかぼんやりしたプロットになる。『三四郎』から『それから』を経て、この様な意匠の徹底に気が付かなければ、その人が生きていることには殆ど意味がない。それでは生きていることにはならない。

それから一週間ばかりの中に、安井はとうとう宗助に話した通り、学校近くの閑静な所に一戸を構えた。それは京都に共通な暗い陰気な作りの上に、柱や格子を黒赤く塗って、わざと古臭く見せた狭い貸家であった。門口に誰の所有ともつかない柳が一本あって、長い枝がほとんど軒に触りそうに風に吹かれる様を宗助は見た。庭も東京と違って、少しは整っていた。石の自由になる所だけに、比較的大きなのが座敷の真正面に据えてあった。その下には涼しそうな苔がいくらでも生えた。裏には敷居の腐った物置が空のままがらんと立っている後ろに、隣の竹藪が便所の出入りに望まれた。(夏目漱石『門』)

  過去の景色も石や苔や竹藪とわざわざ殺風景にされる。これは意匠である。やろうとしてやっている。やっているのに、やっていないことにされては作家の命がない。殺されるのと一緒である。

「でね、少しあった株をみんなその方へ廻す事にしたもんだから、今じゃ本当に一文なし同然な仕儀でいるんですよ。それは世間から見ると、人数は少なし、家邸は持っているし、楽に見えるのも無理のないところでしょうさ。この間も原の御母さんが来て、まああなたほど気楽な方はない、いつ来て見ても万年青の葉ばかり丹念に洗っているってね。真逆そうでも無いんですけれども」と叔母が云った。(夏目漱石『門』)

 万年青(おもと)は当時流行していた観葉植物である。


 がちらほらと眼に入いるようになった。早いのはすでに色を失なって散りかけた。雨は煙るように降り始めた。それが霽れて、日に蒸されるとき、地面からも、屋根からも、春の記憶を新にすべき湿気がむらむらと立ち上った。背戸に干した雨傘に、小犬がじゃれかかって、蛇の目の色がきらきらする所に陽炎が燃えるごとく長閑に思われる日もあった。

 ようやく梅が咲き、鶯が鳴いて『門』は終わる。この「梅に鶯」の構図は、『彼岸過迄』を飛び越して『行人』に繋がる。『三四郎』と『門』の関係において眺めれば、『それから』の花は、危険で残酷な自然の愛の象徴でもあろうか。花、それは種子植物の生殖器官である。



  あった。



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