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【ネタバレ】濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』絶望から忍耐、忍耐から希望

超絶大傑作。チェーホフ「ワーニャ伯父さん」を使って演劇論を展開しながら、家でも演技をしていたことで仮面が顔に張り付いて取れなくなった男の物語を描く本作品は、絶対的に理解できない何かを肯定しながら、"絶望から忍耐、忍耐から希望"というチェーホフ的主題を、「ワーニャ伯父さん」と村上春樹の原作(たち)を換骨奪胎して融合させて語り直している。演劇論/演出論について、台本を機械的に読み上げさせて身体に染み込ませ、役者が役に近付くのではなく役を役者に近づけるような手法は、監督本人が"7:3で自分に似ている"と応える通り、濱口竜介の他の作品にも通底する彼のやり方にも似ているが、本作品ではその過程や成果が少々分かりやすく描かれている上に、説明されすぎている気もする。それでも、「ワーニャ伯父さん」を多言語劇化することで、個々人の思考そのものであり世界でもある"言語"をそのままに、互いの世界を垣間見るという多層的かつアクロバティックなことをしていて非常に興味深い。

また、"ワーニャは家福さんがやると思ってるんですよ"というプロデューサーの言葉が象徴する通り、幻想を打ち破られて自分の世界に引きこもる家福は、似たような絶望的背景を持つワーニャと重ねられている。加えて、ワーニャは義弟の若い後妻を酒飲み医師アーストロフと奪い合う人物としても描かれている。ここでいうアーストロフは家福の妻である音と親しかった若手俳優の高槻に重ねられているが、原作の高槻と比べると酒飲み要素というアーストロフとの一番の共通点が削除されているのが興味深い。安易な逃げを求めないがアーストロフと似たような背景を持つ危うさは、岡田将生が真顔で覚醒するシーンで爆発している。まるでこちらの"心の奥にあるどす黒い何か"を透かし見るかのような目でカメラに向き直るのだ。
「ワーニャ伯父さん」に沿って考えるとワーニャの目を外へ/前へ向けられるのはソーニャしかいない。本作品でソーニャが重ねられているのは勿論後述のドライバーである渡利みさきであるが、舞台上で家福を"絶望→忍耐→希望"へと導くのは韓国語手話で話すイ・ヨンアである。彼女が二人羽織のように家福=ワーニャの裏に回って、彼の言語としてソーニャのセリフを読み上げるシーンでは、家福の言語によって構築された世界=彼が閉じこもっていた世界をソーニャがワーニャの言葉としてこじ開けて希望へと導くという、「ワーニャ伯父さん」本編よりも凄まじいことをしていた。もう一点素晴らしいのは、二人羽織手話が背中から家福を抱きしめることであり、その直前でみさきが家福を正面から抱きしめるシーンと呼応していることだろう。家福=ワーニャは現実でも舞台でもソーニャに救われたのだ。

車の中の空間はごく個人的な空間であり、家福はその空間に他人を入れることを是としていない。原作では"女の運転は過激すぎか慎重すぎて意識的に緊張してしまう"とされているが、本作品では家福の記憶への固執として描かれている。妻の吹き込んだテープを回し続けるのも、赤いサーブ900を丁寧に整備しながら使い続けるのも、妻との"キレイな"記憶を保全しようと躍起になっている彼の姿勢と重ねられているのだ。だからこそ、新しいドライバーとして渡利みさきが登場したときは拒絶したし、彼女の実力を認めても背もたれを介した空間の線引は崩さず、必ず後部座席の、しかも運転席の後ろ側に座っている。濱口竜介本人が言うには、このプライベートな空間でそれぞれの"領域"がジワジワと混じり合って広がっていく様を描き出していて、彼らが自然に話し始めるまで待つという姿勢で脚本を書いたらしい(上映時間ありきでは勿論ない)。ある瞬間を以て二人の空間は確かに混じり合って広がり、家福は助手席に乗り換える。良くてバックミラー越しだった車内での会話が、車内で真横を向いたキアロスタミばりの切り替えしで描かれることで視線も直接交わり、タバコを介して車の外の世界へすら広がっていく。どのシーンも好きなんだが、やはり二人がタバコを車外に出すシーンの美しさは尋常じゃない。

村上春樹の原作では車の色が黄色だったが、本作品では赤色に変わっている。これは日本の風景を走る際に、前者では緑色の中に埋没してしまうことを考慮して変更したらしい。

・作品データ

原題:ドライブ・マイ・カー
上映時間:179分
監督:濱口竜介
製作:2021年(日本)

・評価:90点

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