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ジャスティン・カーゼル『ニトラム / NITRAM』オーストラリア、冷たく空虚な悪について

2021年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。初長編作品『スノータウン』がオーストラリア史上最悪の殺人事件の映画化作品であり、続く『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』も19世紀後半のオーストラリアで活動した義賊ネッド・ケリーを描いていることから、彼がオーストラリアで起きた大量殺人事件であるポートアーサー事件を描くのは必然と言えるだろう。本作品は1979年に放映された少年の花火事故のニュースで幕を開ける。火傷を負って病院のベッドから取材に応える少年は、"もう花火はしない?"という質問に微笑みを浮かべながら"いいえ"と答える。十数年後、自宅裏庭で花火を打ち上げる青年は近所から迷惑者として扱われていた。青年の名前は明かされず、小学生時代のあだ名であるニトラムと呼ばれ続けるのは、直接的に犯人の名前を語ることで起こる、ある種の神格化を否定するためなんだろう。映画は早い段階でニトラムの心情に寄り添うことを止め、彼の中にある空虚さを冷静に観察しながら、予測不可能に行動する彼がどのような人物だったのか、彼の周りの人々の反応からあぶり出す方向へ転換していく。監督の弟ジェド・カーゼルの耳障りな(褒めてます)劇伴に彩られた物語は、事件の数年から数秒前までを描いているため、事件そのものを再構築して犯人の思惑通り恐怖に永遠の命を与える『ウトヤ島、7月22日』のような作品にはなっていない。犠牲者の尊厳を尊重し、責任を負うべきなのに逃げおおせた人々をキチンとあぶり出しているのだ。

ニトラムの両親は彼に対して対照的な対応をしている。母親は息子である以上親としての責任は持つが、それ以上は抱えきれないので、なるべく普通の人間として社会に適応した行動をするように望んでいる。かたや父親は、彼の行動を受け止め続けているが、直接的に他人に迷惑を掛けるのだけは止めて欲しいと願っている。母親の冷たい態度の原因は後に明かされるが、それを知らずとも剥き出しの凶暴性を隠そうとしないまま、ああまで大きく育ってしまった息子の存在(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの圧倒的な存在感)は恐ろしい。そして、彼が偶然出会うことになったヘレンという老婆も、父親と同じく彼を優しく受け止めてくれる。廃屋のような豪邸で大量の犬猫と生活している彼女は、実は億万長者であり、ニトラムの興味が向かうままに様々なものを買い与えていく。まるで『グレイ・ガーデンズ』の世界からそのまま抜け出したかのようなヘレンの存在は、父親と共にニトラムと社会を繋ぎ止める細い線として機能していたのだろう。残念ながら、父親はエアガンを、ヘレンは大金を遺して作中で亡くなってしまい、その双方の要素が根源となって、事件へと近付いていってしまうのがまた悲しい。

興味深いのは、ニトラムが金髪イケメンマッチョのサーファーに憧れている描写だろう。明らかにどこを比較しても何らかの形で劣っているニトラムが、最終的に金を手に入れて購入した銃を自慢するのは象徴的な場面だ。この瞬間だけ、映画はニトラムの心情にフッと近寄り、その寄る辺なき絶望感を共有する。

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・作品データ

原題:Nitram
上映時間:110分
監督:Justin Kurzel
製作:2021年(オーストラリア)

・評価:70点

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